民間伝承における近親相姦

民間伝承における近親相姦(みんかんでんしょうにおけるきんしんそうかん)では、民間伝承、昔話にみられる近親相姦について述べる。

概要

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民間伝承、昔話において、近親相姦は神話のように頻繁に登場するわけではない[1]。関西大学の髙岸敦夫によると、「この(近親相姦)モチーフが使われている昔話の多くは状況や展開が『ロバの皮』と似通ったもの」である[1]。昔話に登場する近親相姦のモチーフの代表的なものは、「ロバの皮」型の民話のように、父親が娘に求婚するが娘はそれを拒んで去るというもので、近親相姦は行われない[2]。また、「ロバの皮」型の民話においても「父親が娘に求婚する」というモチーフは必須ではない[2]

20世紀には、潜在的な親殺し・近親相姦の願望を表す概念「エディプス・コンプレックス」が注目を集め、昔話研究においてもこれを取り入れることが流行った[1]。「ロバの皮」型の民話は一見「エディプス・コンプレックス」の観点から取り上げるのに適しているように見え、そのように扱われたため、論争を呼び、アプローチが素朴すぎると批判された[1]

「ロバの皮」型民話

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アーサー・ラッカムによる「千匹皮」の王女の絵

世界中にみられる「シンデレラ」型の一形態と考えられる昔話の話型に、「ロバの皮」に代表される、ヒロインが毛皮を被り身分を隠すという類話群があり、このタイプの特徴の1つに物語前半にヒロインが実の父から求婚されるという近親相姦のモチーフがある(アールネ・トンプソンのタイプ・インデックス〔国際昔話話型カタログ〕のアールネ=トンプソン=ウター分類〔2004年改訂版〕においては、「ロバの皮」型はATU510〔いわゆる「シンデレラ・サイクル〕のうちATU510Bに分類されている)[1]浜本隆志は、ロバの皮の類話群では冒頭で近親相姦の素材が扱われる場合が多いと指摘している[3]。例えば、ジャンバティスタ・バジーレの『ペンタメローネ』に収録された「牝熊」では、父親の王に求婚された娘が熊に変身し森に逃げ込むが、王子のキスで変身が解けその王子と結婚するという話で[4]シャルル・ペローの『ペロー童話集』の『ペンタメローネ』所収の話をフランスの宮廷向けに改変した「ロバの皮」では、父親の王に求婚された娘が、ロバの皮を被り国外に脱出し王子と結婚する話となっている[5]

ただし、昔話に登場する近親相姦のモチーフの代表的なものは、「ロバの皮」型のように、「父親が娘に求婚するが、娘はそれを拒んで父親のもとから離れる」というもので、近親相姦は行われず、未遂に終わり、神話などのジャンルとはかなりの隔たりがある[2]。また、「ロバの皮」型において「父親が娘に求婚する」というモチーフは必須ではなく、父からの求婚を別のものに置き換えても成立する類話群であり、髙岸敦夫は、近親相姦が話全体の主題になっているとは言い難いと述べている[2]

浜本隆志は、『グリム童話』の初版の「白雪姫」で実母が娘を殺害しようとする筋を不自然とみなし、本当は「白雪姫」も「ロバの皮」の類話群と同じ父と娘の近親相姦を扱う話だったからではないのかと推測している[6]。『グリム童話』の初版では、父親が娘と結婚する「千匹皮」という作品もあったが、読者からの猛抗議で改変された[7]。『グリム童話』には父親が娘に性的関係を強要しようとして拒まれたため胸と腕を切り落とす「手なし娘」という話も収録される予定だったが、この話を問題視したヴィルヘルム・グリムによって近親相姦的描写は全面カットになった[8]

20世紀には「ロバの皮」型を「エディプス・コンプレックス」の観点から取り上げることが流行ったが、古くはオーストリアの精神分析家のオットー・ランクは、『文学作品と伝説における近親相姦モチーフ』(初版1912年、増補改訂版1926年)で、近親相姦を扱った民衆本や聖徒伝、文学作品は古代だけでなくキリスト教中世においても数多く見られると主張し[9]、父-娘関係を論じる際に「ロバの皮」型の語をいくつか取り上げている[1]。しかし、近親相姦のモチーフがあるから「エディプス・コンプレックス」が表されているとする見方は素朴に過ぎ、大きな問題があると批判を浴びた[1]

再話文学

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『カレワラ』の「クッレルヴォ・サイクル」

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フィンランドカレリア地方に口承されていた古謡を19世紀に採話整理し、編集・創作した文学作品、長編叙事詩『カレワラ[10]では、ウンタモ族に滅ぼされたカレルヴォ族の子で、ウンタモ族の元で奴隷として虐待的に育てられたクッレルヴォ英語版は、出会った少女と生き別れた実の兄妹と互いに知らずに兄妹相姦し、翌日それを知った妹は自殺[11]。クッレルヴォはウンタモ族に復讐を果たすと、妹が死んだ場所で自殺する[12][11]

神話

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近親婚が当事者にとって心理的葛藤を経ないで実現された場合には、動物によってその事実が知らされる一類型があるなど、兄妹始祖神話は多様な内容を持っている[13]

ケルト神話(ウェールズ神話)

グウィネズの王マース英語版は戦場以外では処女の膝に足を乗せていなければ死んでしまうのだが、マース王の甥で母なる女神ドーン英語版の息子ギルヴァエスウィ英語版は、その役を務めていたゴエウィン英語版に恋し、兄弟で魔術師のグウィディオンの助けを借り、ゴエウィンを強姦する[14][15]。事態を知ったマース王はゴエウィンと結婚し、罰としてギルヴァエスウィとグウィディオンを1年ごとに鹿・猪・狼のつがいに変え(年ごとに雌雄を逆転)、兄弟の間には3人の息子が生まれ、これによって3年後に2人は許された[16][17][18][19]

グウィディオンはマース王に、彼の足を乗せる役目の処女として自身の姉妹のアリアンロッドを推薦し、マース王が純潔か否かを魔法でテストすると、その際にアリアンロッドは2人の未熟児の息子を生む[14][15]。彼女はこの屈辱に激怒し、息子に名前と武器を与えるという母親の義務を拒否[14]。グウィディオンはアリアンロッドの息子の一人をこっそり保護して育て、彼女を騙してフリュウ・フラウ・グウフェス英語版という名前と武器を与えるよう仕向ける[14]。アリアンロッドが妊娠した経緯は不明瞭で、出産時の彼女の反応から自身の妊娠を知らなかったようであるが、知らぬうちに妊娠したのなら、それはグウィディオンの欺瞞を示唆している[14]。彼女の2人の息子の父は兄弟のグウィディオンともされる[20][15]

シベリア

東シベリアのユカギルの伝承では、両親が死亡した兄妹が自分たちの欲求に基づいて兄妹相姦を行おうとした所、神が現れ、二人の行為を咎めようとするが、兄は弓を取って10日間神と戦い、11日目に神を殺害して妹と結婚した。二人から数人の子供が生まれ、そこから一族が始まった[21]

アフリカ

アフリカのコートジボワールアニ族英語版の神話には、エケンデバという好色な蜘蛛が妻を追い出してしまい、美しく育った娘を騙して近親相姦したという話がある[22][23]

インドネシア

ライジュア島の西端、コロラエ村の森に、島民の祖である兄妹夫婦ミハガラとアルガラと二人の十二人の息子と娘が住んでいた。次男のハウミハと次女のバボミハも兄妹で結婚し、娘二人を儲けた。四男のイエミハと長女のカヒミハも兄妹婚をしている。サブ島の神話では以上の兄妹婚以外の事例も合わせて10組の兄妹婚が語られている[24]。また、ライジュア島やサブ島では沖縄のおなり神のように、姉妹がその兄弟を霊的に守護するという信仰があり、兄(弟)が危険な場所に旅立つ時にはその妹(姉)は手ずから織ったイカットという布を兄弟に贈る[25]。ライジュアのおなり神信仰はバンニケドとその弟マジャの姉弟がモデルとされており、また、一部ではバンニケドとマジャが姉弟でありながら夫婦であったという説が根強く残っている[26]

中国

古代中国神話の神である伏羲女媧は、兄妹または夫婦とされ、古代中国には両者が性交しているとみられる図像が多くある。代末期には既に、伏羲と女媧の伝承が庶民の間で語り継がれていた[27]

日本

八重山列島の神話では、島で人々が平和に暮らしていたところ、突如油雨が降り注ぎ、島の生き物は尽く死滅した。洞窟に隠れてただ二人だけ生き残った兄妹が夫婦になり、子供が産まれるが、その子はボーズという魚のような子だった。そのような子が産まれるのは土地柄がよくないからだと思い、各所を転々として、ようやく人間らしい子供が産まれた[28]

ユダヤ教

旧約聖書』の創生記に記される唯一の独身女性の名が、レメクチラの娘でトバルカインの妹のナアマであり、重要な人物である可能性があるが、『旧約聖書』では特に役割は与えられていない[29]ユダヤ教ミドラシュ(聖書解釈の方法、解釈が書かれた文献)では、ノアの妻で大洪水後の人類の母である女性の名はナアマとされ(『旧約聖書』のナアマから取られたと考えられる)、ノアの妻ナアマは天使が虜になるほど美しい女性と讃えられる一方、偶像に歌を捧げ、音楽によって人々を偶像崇拝に誘い込み、堕落を助長する悪意に満ちた誘惑者だと解釈された[29][30]。ナアマという名の語源は主に「心地よい」という意味であるが、旋律や歌といった意味合いも持つことに関連すると思われる[29][30]。こうしたナアマの否定的な解釈は後代のミドラシュやカバラ(ユダヤ教神秘主義)のゾーハルにも見られ、そこではナアマは人間の男だけでなく悪魔さえも誘惑する者と記述され、ナアマと天使シャマドンの交わりから悪魔界の王アスモデウスが生まれたともされた[29]。後のカバラ文献でナアマは、赤ん坊の首を絞め、眠っている男を誘惑して血を吸う女悪魔とされた[31]悪魔ナアマ)。ユダヤ教において、女性(強い意志や率直さ、聡明さや能力等を持つ者など)が誘惑者、悪魔、赤ん坊殺し、売春婦、魔女とされ貶められる傾向は、ナアマだけでなく、リリスやイヴデボラ預言者フルダ英語版ラビ・メイルの妻ベルリヤ英語版の扱いにも見られる[29]

しばしばこれらのナアマは混同されている。ラビの中には、レメクとチラの子であるトバルカインとナアマの兄妹が交わりアスモデウスが産まれたと主張する者もいる[31][32]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 髙岸 2020, pp. 111–112.
  2. ^ a b c d 髙岸 2020, pp. 112–113.
  3. ^ 浜本 2017, p. 116.
  4. ^ 浜本 2017, pp. 119–121.
  5. ^ 浜本 2017, pp. 121–124.
  6. ^ 浜本 2017, pp. 129–131.
  7. ^ 浜本 2017, p. 124.
  8. ^ 『童話ってホントは残酷 第2弾 グリム童話99の謎』(桜澤麻衣編著、二見書房、2018年発行、1999年初版発行) 72、73頁 ISBN 978-4-576-17199-9
  9. ^ オットー・ランク『文学作品と伝説における近親相姦モチーフ 文学的創作活動の心理学の基本的特徴』中央大学出版部、2006年、160ページ ISBN 978-4-805-75163-3
  10. ^ カレワラ』 - コトバンク
  11. ^ a b ARABIA社 カレワラ 150周年記念プレート”. BOLIG. 2025年7月6日閲覧。
  12. ^ 小泉保『カレワラ神話と日本神話』日本放送出版協会、1999年、228-234ページ ISBN 978-4-140-01855-2
  13. ^ 荻原 1996, pp. 139–140.
  14. ^ a b c d e Arianrhod of the Silver Wheel”. roman-britain.co.uk. 2025年7月9日閲覧。
  15. ^ a b c Arianrhod”. Oxford Reference. 2025年7月9日閲覧。
  16. ^ Bleiddwn”. Oxford Reference. 2025年7月9日閲覧。
  17. ^ Hyddwn”. Oxford Reference. 2025年7月9日閲覧。
  18. ^ Gwydion fab Dôn”. roman-britain.co.uk. 2025年7月9日閲覧。
  19. ^ Mabinogion: fourth branch”. BBC. 2025年7月9日閲覧。
  20. ^ ジャン・マルカル『ケルト文化事典』大修館書店、2002年、11ページ ISBN 978-4-469-01272-9
  21. ^ 荻原 1996, pp. 108–109.
  22. ^ 大林太良『世界神話事典』角川学芸出版、2005年、207ページ ISBN 978-4-047-03375-7
  23. ^ 山口昌男『アフリカの神話的世界』岩波新書、岩波書店、1971年
  24. ^ 鍵谷 1996, pp. 124–126.
  25. ^ 鍵谷 1996, p. 88.
  26. ^ 鍵谷 1996, p. 122.
  27. ^ 金光仁三郎『ユーラシアの創世神話 水の伝承大修館書店、2007年、271ページ ISBN 978-4-469-21312-6
  28. ^ 古橋信孝『神話・物語の文芸史』ぺりかん社、1992年、91ページ ISBN 978-4-831-50544-6
  29. ^ a b c d e Naamah, wife of Noah, sings as she goes about her work. Her voice calls to us as the world is remade”. rabbisylviarothschild (2016年9月3日). 2025年7月6日閲覧。
  30. ^ a b Tamar Kadari. “Naamah: Midrash and Aggadah”. Jewish Women's Archive. 2025年7月6日閲覧。
  31. ^ a b Satrinah Nagash. “Occultism and Satanism”. 2025年7月6日閲覧。
  32. ^ 『世界大百科事典 1』平凡社、2007年(改訂新版)、254ページ ISBN 978-4-582-03400-4

参考文献

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  • 髙岸敦夫「「ロバの皮」型における父と娘の関係」『仏語仏文学』第46巻、関西大学フランス語フランス文学会、2020年3月15日、111-125頁、CRID 1050565163717058176 
  • 浜本隆志『シンデレラの謎 なぜ時代を超えて世界中に拡がったのか』河出書房新社、2017年。ISBN 978-4-309-62505-8 

関連文献

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