水口宿(みなくちしゅく、みなくちじゅく)は、近江国甲賀郡にあった東海道五十三次の50番目の宿場である。現在は滋賀県甲賀市水口町旧市街。
石橋を境に、東側は道が三筋に分かれた宿場町、西側は水口城の城下町で道が鍵の手になっていた。室町時代に宿駅の機能を有するようになった[1]。
1601年に宿駅に指定された[1]。1634年に水口城が築かれ、1682年に水口藩が成立して城下町にもなった[1]。
1843年の『東海道宿村大概帳』によると、家数692軒、人口2692人、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠屋41軒を数えた。本陣は作坂町の鵜飼伝左衛門家、天王町の儀峨彦之丞家と堤文左衛門家があった[1]。
近江鉄道本線 水口石橋駅
- 柏木神社
- 中世は柏木庄の鎮守であった。中世後期に山中・伴・美濃部の柏木三家の崇敬を受けた。
- 北脇縄手
- 東海道の整備で、曲がりくねった道が直線状に改修された。かつては両側の土手に松並木があり、美しい景観が保たれていた。
- 柏木公民館
- 東海道を記念する鐘楼のモニュメントがある。
- 泉一里塚跡
- 改めて整備されたもので、元は現在地より野洲川よりにあった。
- 横田渡
- かつては仮橋あるいは船での渡りだった。東海道十三の渡しの一つに数えられている[2]。目印として1822年に万人講によって建てられた高さ10.5mの巨大な常夜燈があり、現在は史跡公園として整備されている(滋賀県指定史跡「旧東海道横田渡跡」)。甲賀市と湖南市の市境あたり。
- 大沙川隧道
- 1877年に起工、1884年に竣工。長さ16.4m、内幅4.39m、トンネル高さ4.6m[3]。滋賀県下最初の道路トンネルで「吉永のマンポ」とも呼ばれる。切石造のきれいなアーチ断面を持つ。
- 弘法杉
- 東海道が下をくぐる天井川大沙川の堤上にある。幹の周囲6m、樹高26m、樹齢750年程度。弘法大師がこの地で昼食をとり、使った杉の箸を刺したところ、成長して大杉になったと伝えられる。2本並んでいたが、1本は1773年の台風で倒れた。
- 由良谷川隧道
- 1886年に竣工。長さ16.0m、内幅4.5m、トンネル高さ3.6m[3]。切石造のきれいなアーチ断面を持つ。
- 北島酒造
- 江戸時代から続く老舗の蔵元。針村。現在の湖南市針。
- 松尾芭蕉
- シーボルト - 『江戸参府紀行』に水口のことを書いている。
- 巖谷一六 - 書家。「明治の三筆」の一人。
- 巖谷小波 - 作家(児童文学)。お伽ばなしの制作、普及に努めた。巌谷一六の子。
- 東海道
- 土山宿 - 水口宿 - 石部宿
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- “甲賀市観光ガイド”. 2014年7月11日閲覧。