水島 あやめ(みずしま あやめ、1903年7月17日 - 1990年12月31日)は、新潟県六日町(現南魚沼市)出身[1]の著述家。日本初の女流映画脚本家で[1]、後に児童文学作家となった[1]。「小公女」や「家なき娘」などの海外作品を翻訳した[1]。
- 1903年 新潟県南魚沼の村長で南画家の高野団之助(雅隆、1863-1930)の娘・千年として生まれる。[2][3]
- 1910年 大月小学校入学。
- 1916年 六日町高等科入学。
- 1917年 長岡高等女学校入学。
- 1921年 日本女子大学師範科入学。
- 1923年 歴史小説「形見の絵姿」が雑誌『面白倶楽部』の懸賞小説に当選し、掲載される。在学中に小笠原プロダクションで脚本を学びはじめる。[2]
- 1924年 脚本『落葉の唄』が映画化(小笠原プロダクション制作)[2]
- 1925年 日本女子大学師範科卒業。
- 1925年 松竹キネマ入社、脚本家として活躍。28本の映画を担当。
- 1935年 松竹キネマ退社、児童文学作家(主に少女小説)となる。
- 小笠原プロダクション・特作映画社
- 『落葉の唄』(1924年) 監督:小笠原明峰
- 『水兵の母』(1925年) 監督:小笠原明峰
- 『極楽島の女王』(1925年) 監督:小笠原明峰
- 松竹蒲田
- 『お坊ちゃん』(1926年)原作担当 監督:島津保次郎
- 『母よ恋し』(1926年) 監督:五所平之助
- 『いとしの我子』(1926年)原作担当 監督:五所平之助
- 『曲馬団の少女』(1926年) 監督:鈴木重吉、斎藤寅次郎
- 『愚かなる母』(1926年) 監督:池田義信
- 『恋愛混戦』(1927年) 監督:島津保次郎
- 『木曾心中』(1927年) 監督:吉野二郎
- 『孤児』(1927年) 監督:大久保忠素
- 『天使の罪』(1927年) 監督:大久保忠素
- 『故郷の空』(1928年) 監督:大久保忠素
- 『鉄の処女』(1928年) 監督:大久保忠素
- 『神への道』(1928年) 監督:五所平之助
- 『空の彼方へ』(1928年) 監督:蔦見丈夫
- 『妻君廃業』(1928年) 監督:大久保忠素
- 『をとめ心』(1928年) 監督:大久保忠素
- 『美しき朋輩たち』(1928年) 監督:清水宏、原作:壁静(伊東静雄)
- 『明け行く空』(1929年) 監督:斎藤寅次郎 ※フィルム現存[4]
- 『親』(1929年) 監督:清水宏、大久保忠素 ※フィルム現存[5]
- 『現代奥様気質』(1930年) 監督:重宗務
- 『純情』(1930年) 監督:成瀬巳喜男
- 『モダン奥様』(1930年) 監督:重宗務
- 『美はしき愛』(1931年)原作担当 監督:西尾佳雄 ※フィルム現存[5]
- 『暴風の薔薇』(1931年) 監督:野村芳亭
- 『青空に泣く』(1932年) 監督:成瀬巳喜男
- 『輝け日本女性』(1932年) 監督:野村浩将
- 『女人哀楽』(1933年) 監督:池田義信、原作:吉屋信子
- 『接吻十字路』(1935年) 監督:佐々木恒次郎
- 『輝け少年日本』(1935年) 監督:佐々木恒次郎、佐々木康
- 友情の小径
- 櫻咲く日
- 美しき道
- 雪の女王
- 愛の翼
- 秋風の曲
- 久遠の夢
- 白菊散りぬ
- 乙女椿
- 形見の舞扇
- あこがれの星
- 嘆きの花嫁人形
- 母への花束
- 愛の花々
- 古城の夢
- 忘れじの丘
- 涙の円舞曲
- 野菊の唄
- 乙女の小径
- 花の友情
- 嘆きの小鳩
- 秋草の道
- 春日局
- 盛綱陣屋
- 大阪の花 木村重成
- 寺子屋
- 吉田松陰の母
- 櫻花の心
- 山の勇者
- 家なき児
- 故郷の空
- 美しい勝利
- 高原の秋
- 信ちゃんとジョン
- くに子のへや
- たぬきとふえ
- あかるいのぞみ
- 佐々木亜希子
- 朗読番組 - 2021年4月3日[1]から2022年3月26日、BSNラジオ(新潟放送)にて、土曜 8:30-8:40/(再)土曜 20:30-20:40の枠で小野沢裕子の朗読にて『水島あやめの生涯』が放送された。
- ^ 【お知らせ】BSN新潟ラジオ・朗読番組の開始(4/3~) 水島あやめ研究ブログ(2021年3月28日掲載、2022年6月1日閲覧)