『水曜の朝、午前3時』 | ||||
---|---|---|---|---|
サイモン&ガーファンクル の スタジオ・アルバム | ||||
リリース | ||||
録音 | ニューヨーク、コロムビア・スタジオ(1964年3月10日-31日) | |||
ジャンル | フォーク | |||
時間 | ||||
レーベル | コロムビア・レコード | |||
プロデュース | トム・ウィルソン | |||
専門評論家によるレビュー | ||||
チャート最高順位 | ||||
| ||||
サイモン&ガーファンクル アルバム 年表 | ||||
|
『水曜の朝、午前3時』 (Wednesday Morning, 3 A.M.) [4]はサイモン&ガーファンクルのデビューアルバム。
1963年、コロムビア・レコードのプロデューサーのトム・ウィルソンが「私の兄弟」を聴いたのがきっかけで、サイモン&ガーファンクルは1964年2月10日にコロムビアと契約[5][6]。本作で再デビューを果たした(ポール・サイモンとアート・ガーファンクルは、1957年にトム&ジェリー名義でレコード・デビューしている)。
1964年3月10日、ニューヨークのコロムビア・スタジオにバリー・コーンフィールド(12弦アコースティックギター)、ビル・リー(ベース)が呼ばれ、レコーディングは開始された。ウィルソンはスタジオに入る前にサイモンとガーファンクルに「アルバムはサイモンのオリジナル曲が6曲とカバー曲が6曲という内容でいきたい」と告げた。カバーについてウィルソンが出した唯一の条件は、自らがプロデュースしたところのボブ・ディランの「時代は変る」を取り上げることだった[6]。エンジニアとしてロイ・ハリーが参加している[6]。
なお、「私の兄弟」の作詞・作曲者としてクレジットされているポール・ケインは、ポール・サイモンが無名時代に使っていた偽名。
発売当時は話題にならず、チャート・インすらしなかったが、「サウンド・オブ・サイレンス」のシングル・ヴァージョンが大ヒットすると本作も再評価され、1966年には全米30位に達した[3]。また、イギリスではリリースから4年後の1968年になって全英アルバムチャートに初登場し、同年には最高24位に達した[2]。
*原曲:Missa ad imitationem moduli Iager/Orland di Lasso (「狩人のミサ/ラッソ」作品番号LV622)