『江戸名所図会』(えどめいしょずえ)は、江戸時代後期の1834年と1836年(天保5年と7年)に刊行された江戸の地誌、絵入りの名所案内。斎藤月岑が7巻20冊で刊行した。鳥瞰図を用いた長谷川雪旦の挿図も有名。
神田の町名主であった斎藤長秋(幸雄)・莞斎(幸孝)・月岑(幸成)の3代にわたって書き継がれた[2]。長秋は京都の名所図会(『都名所図会』)に刺激を受け、寛政期に編纂を開始した。当初は『東都名所図会』という題だったとも言われるが、脱稿時点で『江戸名所図会』に決まっていた[2]。
当初は8冊本として刊行予定であり[2]、1798年(寛政10年)5月に出版許可も得ていたものの[2]、1799年(寛政11年)長秋が63歳で病死した。後を継いだ婿養子の莞斎は郊外分などの追補に努め、長谷川雪旦に画を依頼した。1818年(文化15年)に莞斎が死去し、その刊行は月岑に託された。結局、前半1–3巻(10冊)は1834年(天保5年)、後半4–7巻(10冊)は1836年(天保7年)に刊行された[2]。拾遺編を刊行する意志もあったようだが、刊行には至らなかった[2]。
武蔵、江戸の由来、日本橋から、各所の寺社、旧跡、橋、坂などの名所について記しており、近郊の武蔵野、川崎、大宮、船橋などにも筆が及んでいる。考証の確かさ[3]と、当時の景観や風俗を伝える雪旦の挿図が高く評価[4]されており、江戸の町についての一級資料になっている。
当時の図会は方角順に記述するものと郡別に記述するものがあり、『江戸名所図会』は方角順に記述している[2]。天枢、天璇…は北斗七星の中国名。
巻 | 部 | 冊数 | 内 容 | 冊 |
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1 | 天枢之部 | 3冊 | (武蔵、江戸)日本橋、本町通、神田、小川町、飯田町、両国、霊巌島、八丁堀、築地鉄砲洲、芝口、愛宕下、西久保、赤羽根、三田、魚藍、白銀、芝浦 | 一 |
二 | ||||
三 | ||||
2 | 天璇之部 | 3冊 | 品川駅、大井、鈴ヶ森、池上、矢口、大森、蒲田八幡、六郷、川崎、鶴見、生麦、神奈川、本牧、程ヶ谷、杉田、金沢 | 四 |
五 | ||||
六 | ||||
3 | 天璣之部 | 4冊 | 外神田、霞関、永田馬場、平川、溜池、麻布、広尾、青山、目黒、碑文谷、北沢、世田ヶ谷、渋谷、四谷、千駄ヶ谷、代々木、高井戸、武蔵野、府中、玉川、向ノ岡 | 七 |
八 | ||||
九 | ||||
十 | ||||
4 | 天権之部 | 3冊 | 市谷、牛込、小石川、大窪、柏木、成子、堀之内、中野、小金井、築土、高田、大塚、雑司ヶ谷、巣鴨、板橋、練馬、大宮、野火留 | 十一 |
十二 | ||||
十三 | ||||
5 | 玉衡之部 | 2冊 | 湯島、上野、日暮里、根津、谷中三崎、駒込、王子、川口、豊島 | 十四 |
十五 | ||||
6 | 開陽之部 | 2冊 | 浅草、下谷、根岸、山谷、橋場、千住、西新井 | 十六 |
十七 | ||||
7 | 揺光之部 | 3冊 | 深川、本所、亀戸、押上、柳島、隅田川、木下川、松戸、行徳、国府台、八幡、船橋 | 十八 |
十九 | ||||
二十 |
『江戸名所図会』(鈴木棠三・朝倉治彦校注)角川文庫、全6巻、1966-68年、新装復刊1989年
鈴木棠三・朝倉治彦校註『新版 江戸名所図会』(単行判 全3巻)角川書店、1975年