沢海 東助(さわみ とうすけ、1910年(明治43年)3月31日 - 没年不明)は、日本の水球選手。1932年ロサンゼルスオリンピックに出場した。
1910年3月31日[1]、新潟県に生まれる[2]。慶應義塾大学予科に入学してからは、東京都渋谷区にある同大学の寄宿舎に暮らした[2]。ポジションは右翼のフォワードで、長身を生かした力強いシュートを持ち味とした[3]。1931年に翌年のオリンピックの選手として推薦される[4]。1932年のロサンゼルスオリンピックでは水球競技において、8月7日のアメリカ合衆国戦と8月8日のハンガリー戦に出場したが、どちらでも他の全ての日本選手と同じく0シュートに終わった[5][6]。その後、日本水泳連盟水球委員、日本学生水泳連盟水球常任委員、慶應義塾大学水球部主将などを歴任した[2]。