河瀬 四郎 | |
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生誕 |
1889年(明治22年)7月7日 日本、岡山県 |
死没 | 1946年(昭和21年)7月20日 |
所属組織 | 日本海軍 |
軍歴 | 1911年 - 1945年 |
最終階級 | 海軍中将 |
河瀬 四郎(かわせ しろう、1889年(明治22年)7月7日 - 1946年(昭和21年)7月20日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。
鳥取藩士・小学校長、河瀬聰の四男として生れる。鳥取第一中学校を経て、1910年7月、海軍兵学校(38期)を卒業し、翌年12月に海軍少尉任官。海軍水雷学校高等科を卒業し、「天津風」水雷長、臨時海軍防備隊付などを経て、1922年11月、海軍大学校(甲種20期)を卒業した。
横須賀防備隊水雷長、「萩」「桑」の各駆逐艦長、連合艦隊参謀、水雷学校教官、艦政本部員、水雷学校教官、イギリス出張(造兵監督官)、「霧島」副長、第3駆逐隊司令、第6駆逐隊司令、艦政本部員などを経て、1937年12月、海軍少将に進級。艦政本部第2部長、第5水雷戦隊司令官、第1水雷戦隊司令官、第7航空戦隊司令官、第1航空戦隊司令官、水雷学校長などを歴任し、1941年10月、海軍中将となった。
太平洋戦争を、第3遣支艦隊司令長官として迎え、以後、大湊警備府司令長官を経て、第5艦隊司令長官となり、キスカ島撤退作戦の指揮にあたる。第2南遣艦隊司令長官などを勤め、1945年3月、予備役に編入された。