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![]() 1位表彰台に立つ1964年東京オリンピック全日本女子バレーボールチームキャプテン・河西昌枝(Masae Kasai standing in the center of podium as the captain, 1964 Tokyo Olympics Women's Volleyball) | |||||||||||||||||||||
基本情報 | |||||||||||||||||||||
国籍 |
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生年月日 | 1933年7月14日 | ||||||||||||||||||||
出身地 | 山梨県中巨摩郡(現在の南アルプス市) | ||||||||||||||||||||
没年月日 | 2013年10月3日(80歳没) | ||||||||||||||||||||
ラテン文字 | Masae Kasai | ||||||||||||||||||||
身長 | 174cm | ||||||||||||||||||||
体重 | 63kg | ||||||||||||||||||||
選手情報 | |||||||||||||||||||||
愛称 | ウマ | ||||||||||||||||||||
ポジション | セッター兼センター | ||||||||||||||||||||
利き手 | 右 | ||||||||||||||||||||
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河西 昌枝(かさい まさえ、結婚後の姓は中村、1933年7月14日 - 2013年10月3日)は、日本の元女子バレーボール選手。東洋の魔女 (Oriental Witches) [1]の主将。金メダリスト。
山梨県中巨摩郡(現在の南アルプス市)の出身。山梨県立巨摩高等学校卒業後、日紡に入社する。
河西は『東洋の魔女』の主将として1962年世界選手権優勝、1964年東京五輪でコーチ兼主将として優勝に大いに貢献した。ポジションはセッターで、長身を生かして前衛ではセンタープレーヤーも務めた[2]。
1965年1月に日紡を退社。同年5月30日に当時の総理大臣である佐藤栄作の取り計らいで2歳年上の自衛官と結婚した。
選手のファンであった女優の淡島千景がオーナーとなって設立したバレーボールのクラブチーム「フジクラブ」にも参加、同クラブの中心選手として活躍した[3](フジクラブは国民体育大会バレーボール競技一般女子の部において、1965年、1966年と二連覇した。1968年頃までには活動を終えたという[3])。またその後は、ママさんバレー教室の講師も務め、普及に尽力した[3]。
2003年3月に日本バレーボール協会の女子強化委員長に就任し、 2004年アテネ五輪では全日本女子チームの団長(チームマネージャー[4])を務めた。
2013年10月3日、脳出血のため東京都内の病院で死去。80歳没[3][5]。
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