人物情報 | |
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生誕 |
1905年1月17日 日本北海道 |
死没 | 1963年7月12日 (58歳没) |
出身校 | 北海道帝国大学 |
学問 | |
研究分野 | 昆虫学・考古学 |
研究機関 | 北海道帝国大学・北海道学芸大学 |
河野 広道(こうの ひろみち、1905年(明治38年)1月17日 - 1963年(昭和38年)7月12日)は、日本の昆虫学者、考古学者。
1905年1月17日、北海道史研究者の河野常吉の息子として生まれる。北海道帝国大学農学部にて、昆虫学を学ぶ[1][2]。
大学卒業後の1930年に、北海道帝国大学農学部の助手として採用される[3]。1932年、27歳の時に「日本産象鼻虫科ノ研究(独文)」により、農学博士の学位を授与される[4][5]。 また、考古学などの研究も始める[1][6]。1935年に、「貝塚人骨とアイヌのイオマンテ」の論文を発表し、縄文遺跡の貝塚は、ゴミ捨て場というよりは、アイヌ儀礼の「物送り場」という解釈を論じる。1944年、北海道帝国大学を退職。その後は北海道新聞北方研究室長につく[1]。北海道学芸大学札幌校の教授を務めた[1]。1963年7月12日に死去。