浄土宗西山派(じょうどしゅうせいざんは)は、広義の浄土宗の流派、浄土宗の祖法然没後、法然の高弟証空が唱えた西山義であり、その流れが西山浄土宗・浄土宗西山禅林寺派・浄土宗西山深草派として現存している。
法然の後継者であった信空没後、浄土宗は京都の浄土宗主流となった三鈷寺証空の西山義、証空に対抗して諸行本願義を説いた九品寺長西の九品寺義、流刑を機に東国で多念義を広めた長楽寺隆寛の長楽寺義、筑後国・肥後国を中心に念仏の教えを弘めた弁長の鎮西義などに分割された。だが、後世まで残ったのは現在の浄土宗である鎮西義(白旗派)と、証空の西山義(浄土宗西山派)の2つである。
江戸時代までは浄土宗西山派法度が制定されるなど浄土宗(鎮西義)とは別流であり、明治維新後の1870年(明治3年)に一旦は浄土宗に統一されたが1876年(明治9年)に分離する。
証空〈西山義〉 | 浄音〈西谷流〉 | 【西山浄土宗】【浄土宗西山禅林寺派】 | |||||||||||||||||||||||||||
了音〈六角流〉(衰退) | |||||||||||||||||||||||||||||
立信〈深草流〉 | 【浄土宗西山深草派】 | ||||||||||||||||||||||||||||
証入〈東山流〉 | (衰退) | ||||||||||||||||||||||||||||
証慧〈嵯峨流〉 | (衰退) | ||||||||||||||||||||||||||||
遊観〈嵯峨流〉 | 示導〈本山流〉(衰退) | ||||||||||||||||||||||||||||
聖達〈嵯峨流〉 | 一遍【時宗】 | ||||||||||||||||||||||||||||