涇陽王 | |
---|---|
各種表記 | |
漢字・チュノム: | 涇陽王 |
北部発音: | キン・ズオン・ヴオン |
日本語読み: | けいようおう |
涇陽王(けいようおう、ベトナム語:Kinh Dương Vương / 涇陽王)は、ベトナムの伝説的な帝王(在位:前2879年? - 前2793年?)。諱は禄続(ベトナム語:Lộc Tục / 禄續)。
神農氏神農の三世の孫の帝明が南巡して五嶺に至り、婺仙の女と接して連れ帰り、禄続を生んだ[1][2]。帝明は聡明だった禄続に天子の位を嗣がせたいと考えた。しかし禄続は兄の帝宜に譲って位を受けようとしなかった[3]。そこで帝明は帝宜に嗣がせて北方を治めさせ、禄続を王に封じて南方を治めさせ赤鬼国と号した[2]。涇陽王は洞庭君の娘の神龍女を妻として、貉龍君を生んだ[3]。