燧人氏(すいじんし、拼音: suìrén shì)は、中国の伝説上の氏族で、火を発見したとされ(燧人氏の燧の読みは「ヒキリ」であり、乾燥し木口に棒をあて激しくもんで火を出すこと、である。)、家屋を発明した有巣氏の子と伝わる。また、三皇の一、天皇とされることもある[1]、古国時代の伝説上の帝王であり燧明国の君主とされる[一次 1]。後有巣氏と黒衣氏の祖で、妻は華胥氏出身、尊称として燧皇と呼ばれたともされる[2][一次 2]。また燧人氏は元々、旧石器時代の河套周辺の母系制氏族であったとされ、狩猟生活を営んでいたとされる。諱は允婼、子は伏羲であり、伏羲を含め後に78の帝が炎帝神農氏以前に立ったともされる[3]。
薪を擦り合わせる方法と石で火を打つ方法との2種類の発火法を発見したとされる。このことから発火法を発見した人という意味の尊号として「燧人」と呼ばれるようになったとされる[一次 3][4]。
商丘は、王大有の「三皇五帝の文化研究」に依ると、燧人氏が建設した中国初の都であるとされる[注釈 1]。また伝説上でも商丘は燧人氏の都であることから、商丘は「火文化の郷」と呼ばれている。燧人氏は商丘に葬られ[5]、「燧皇陵」が造られていたとされる。商丘はその後、隣の開封とともに何度も都となっている。
古国時代において帝王として君臨した大伏羲氏(伏羲女媧政権)や炎帝神農氏、黄帝有熊氏らはこの子孫とされている。また燧人氏の末裔は風姓や嬴姓氏族となり、先秦時代(三代)・秦代までの間、中華を支配したとされる。
尸子『燧人上観辰』『路史』察辰心而出火などの、伝説上の暦の記述から17500年前とされるが、後の時代についての中華文明探源プロジェクトなどの考古学的考察とは合致しない。また古くとも紀元前5000年程度とするものもあり、中国国内でも定まっているとは言い難い。
燧人氏
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先代 有巣 |
中国の帝王 | 次代 伏羲 |