牟宇姫(むうひめ、慶長13年(1608年) - 天和3年2月19日(1683年3月17日))は、伊達家一門筆頭、石川宗敬の正室。父は伊達政宗(牟宇姫は第2息女)。母は側室の於山方。
慶長13年(1608年)伊達政宗の第2息女(第9子)として仙台城で生まれる。母は側室の於山方(柴田宗義の娘)。政宗42歳の時の子。
元和5年(1619年)2月10日、12歳で伊達家一門筆頭の石川宗敬(伊具郡角田要害主)に嫁ぐ。このとき小桧山佐藤佐衛門と太田休佐衛門の2人が附人となり、石川家家臣となった。婚礼の際、政宗は石川家の仙台屋敷に来臨して祝い、1泊して翌日帰城している。
その後、石川宗敬との間には、宗弘・宗信・貞弘・千代鶴姫・正菊姫の3男2女を授かった。
政宗は牟宇姫が相当かわいかったとみえて、姫あての女文字の手紙が、幾通か角田市内に所蔵されている。
寛永13年(1636年)、実父の伊達政宗が没した後、牟宇姫の実母でもある於山方が仙台城を出て、角田邑に住むようになる。牟宇姫は母のために御堂を建て、於山方はそこで余生を過ごした。
正保3年(1646年)8月、夫の宗敬は家督を子の宗弘に譲り隠居し、領内の稲置邑に移り住む。
寛文8年(1668年)8月24日、実母の於山方が没する。同じ年の10月16日、夫の石川宗敬が没する。
天和3年(1683年)2月19日、没す。享年76。戒名は松寿院殿徳雲如高大姉。