たなか みん 田中 泯 | |||||||||||
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![]() 2023年 第36回東京国際映画祭にて | |||||||||||
生年月日 | 1945年3月10日(80歳) | ||||||||||
出生地 |
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身長 | 178 cm | ||||||||||
職業 | ダンサー | ||||||||||
ジャンル | 映画・舞台・オペラ | ||||||||||
公式サイト | 田中泯公式サイト | ||||||||||
主な作品 | |||||||||||
テレビドラマ 『ハゲタカ』 『龍馬伝』 『まれ』 『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』 映画 『たそがれ清兵衛』 『隠し剣 鬼の爪』 『メゾン・ド・ヒミコ』 『永遠の0』 『るろうに剣心 京都大火編』 『アルキメデスの大戦』 | |||||||||||
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田中 泯(たなか みん、1945年3月10日 - )は、日本のダンサー。
近年では俳優としても著名だが、本人は「オドリは個人に所属できません。私は名付けようもないダンスそのものでありたいのです。」と語り自身の踊りを「舞踏」「舞踏家(ぶとうか)」表記されることを「間違い」「誤解」とし、正しい肩書きは「ダンサー」「舞踊家(ぶようか)」または俳優としている。
クラシックバレエを学び、その後アメリカンモダンダンスを学び、1966年よりモダンダンサーとして活躍。
1974年より従来のダンスと呼ばれるもの、またはダンス芸術界そのものに反発し、独自のダンスを開始する。個性を表現するような全身の体毛、髪の毛や眉毛に至るまでの全てを剃り落とし、ペニスには包帯を巻いて、体を土色に着色し、ほぼ裸体に近い状態で、劇場、ライブハウス、美術展覧会場、そして、即存の設えられた場所だけでなく、日常的な場所、または野外などの、ありとあらゆる場所で自身の信じるダンスとしての「ハイパーダンス」を展開した。「ハイパーダンス」を命名したのは編集工学研究所の松岡正剛である。
1978年、海外でのデビューは、パリ秋の芸術祭「日本の間 (MA-Space/Time in Japan)」展に招待参加(磯崎新・武満徹プロデュース、ルーヴル美術館)したことであった[1][2]。これを契機に、翌79年にはアムステルダム市立美術館、1980年にはアヴィニョン演劇祭、ローマ・カラカラ浴場などで次々と独舞公演を行うことになった[3]。この当時の写真は、2016年に出版された写真家田原桂一による写真集「Photosynthesis 1978-1980 光合成 | Min by Keichi Tahara」において世界初公開された。
1982年、意を決して土方巽に会いに行き、土方巽 演出・振付の田中泯ソロ公演「恋愛舞踏派定礎」(1984年)を決行するに至る。現在の彼は、土方の存在に強い影響を受けたと語る一方で、現存する舞踏という枠に、自身のダンスが分類化され押し込められることを強く拒否している。舞踏の創始者と括られる土方巽をも本人はこう語る。「1950年 - 1960年代、世界中で同時に起こったアンダーグラウンドの文化活動と同じで、土方巽は、私にとって反発とバネを持って独自の方向へと踏み出した表現者である。」現在においては「舞踏はもう終わった」と公言もしている。
同年身体気象研究所を立ち上げ、ダンサーのみならず美術家、映像作家、詩人、哲学者、などあらゆる表現者たちが集う集団を作る。実行委員の一人として東京中野区にオルタナティブスペースとしてplan-B(1982年 - 現在)を立ち上げる。
1985年から山村へ移り住み農業を礎とした日常生活をおくることでより深い身体性を追求。
1986年から2010年にかけて「カラダの可能性を一緒に考える場」としてのダンスワークショップを世界各国で開催した。現在、ヨーロッパを中心としてダンスの方法論としても「身体気象」(ボディウェザー)という言葉が蔓延しているが、これは田中と松岡正剛がともに発案した言葉であるが、特別なイデオロギーを示唆しないと言及している。理路整然と説明できえない彼らの考えるダンスの敬称として生み出された言葉である。また、数多くのワークショップ受講生が世界各地に現存するが、本人が認める唯一の弟子は石原淋のみであると語る。
映像活動としては、伊藤俊也監督の映画『犬神の悪霊(たたり)』(1977年)、NHK大河ドラマ『独眼竜政宗』(1987年)、吉田喜重監督の映画『嵐が丘』(1988年)、伊丹十三監督の映画『あげまん』(1990年)に、シーンの振付家として参加。俳優としては山田洋次監督の『たそがれ清兵衛』(2002年)で初出演を果たす。本作にて、第76回キネマ旬報ベスト・テン新人男優賞、第26回日本アカデミー賞最優秀助演男優賞・新人俳優賞を受賞する。テレビドラマへの初出演は、元NHK職員であった映画監督の大友啓史が演出家時代に演出をした、NHK土曜ドラマ『ハゲタカ』である。大宅壮一賞を受賞したNHK職員の国分拓のアマゾンのヤノマミ族を150日間同居取材したドキュメンタリー番組『NHKスペシャル ヤノマミ〜奥アマゾン 原初の森に生きる〜』(60分)などドキュメンタリー番組に参加している。
2023年、ヴィム・ヴェンダース監督の映画『PERFECT DAYS』に出演し、第76回カンヌ国際映画祭に参加。帰国後、映画祭で男優賞を受賞した主演の役所広司と共に日本記者クラブで開かれた会見に出席した。日本の映像業界のこれからについて記者から質問をされた際、田中は映画やドラマの作り手が国民を馬鹿にしていると感じることが多いと答え、続いて「たとえば、NHKの朝ドラに出ている時もとにかく一生懸命笑わせようとする。『どうして、こんなに笑わせなきゃいけないんですか?』って聞いたら『国民が、そうだから』って…冗談じゃないでしょ? と思いました」と、とにかく笑わせようとするだけの演出にあきれたと明かした。加えて「(視聴者を)泣かしたって怒らせたっていいわけなんです。いろんな気持ちがある方がおもしろいじゃないですか?」と日本の映像業界について自身の考えを述べている[4][5]。
田中泯をリーダーとして現存していた舞踊集団は、プロジェクト毎に構成されている。中でも長期にわたり同名称で複数回の公演を繰り返したものとして、「舞塾」(1981年 結成 - 1997年 解散)、「桃花村舞踊団」(2000年 結成 - 2006年 解散)がある。