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国籍 | 日本 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
泳法 | 平泳ぎ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所属 | JSS八王子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大学 | 中央大学 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1979年1月5日(45歳) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生誕地 | 北海道紋別郡遠軽町 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 164cm | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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田中 雅美(たなか まさみ、1979年1月5日 - )は、日本の元水泳選手で、2000年シドニーオリンピック4×100mメドレーリレー銅メダリスト[1]。専門種目は平泳ぎ。現在はスポーツコメンテーター・タレント。BS日本番組審議会委員。中央大学法学部卒業。三桂所属。身長164cm。
北海道紋別郡遠軽町出身。3人姉妹の末っ子として生まれる。2人の姉の影響で水泳を始めた。 小学生時代、体育の教員をしていた父親[注 1]の仕事の関係で美唄市に住んでいた時期がある。 岩見沢市立緑中学校卒業後、通っていたスイミングスクールで選抜されて上京。1994年、私立八王子高等学校に入学し、JSS東京八王子クラブに移籍。その年の日本水泳選手権で100mと200mの平泳ぎで2冠を達成した。2年生となった翌1995年の同大会では、長崎宏子が保持していた女子100m平泳ぎの日本記録を11年ぶりに更新。
3年生となった1996年に開催された1996年アトランタオリンピックでは、田中が目標としていた岩崎恭子(その前大会だった1992年バルセロナオリンピックの女子200m平泳ぎ金メダリスト)と共に競泳日本代表に選ばれるが、平泳ぎの成績は100mで13位、200mで5位と振るわなかった。尚田中と岩崎は同級生(1978年度生まれ)で、共に最大のライバルでありながらも良き親友であり、その親交は引退した現在でも続いている[4]。
1997年、中央大学に入学。中大水泳部はそれまで男子部員しか採っていなかったが、アトランタ五輪でメダル0[5]と日本水泳界が壊滅的な状態となり、日本水泳連盟が「大学生を選手団の主力とする」という方針を打ち出したこともあり、田中はいわば女子部員の“1期生”の形で入部した。岩崎が日本大学在学中に競技の第一線を退いたこともあり、以降は日本女子平泳ぎ界の有力選手になった。
4年生時の2000年開催の2000年シドニーオリンピックでは、期待されていた平泳ぎ個人戦では100mで6位、200mで7位と、いずれもメダルを逃した。しかし、女子400mメドレーリレーで大学の後輩2人を含むチームで銅メダルを獲得した。シドニー五輪後に一旦、第一線を退く。
2001年、中央大学を卒業。また、眼瞼下垂に罹患し不眠などに悩まされていたため手術を受けていたことを明らかにする。その後北米へ渡って留学し、2002年の2002年ソルトレークシティオリンピックでは、テレビ東京系列の中継でリポーターを務めた。
2004年開催のアテネオリンピックへ出場したいとの思いから、2003年に2年近くの引退の期間を経て、スイマーとして現役に復帰。日本選手権で好成績を残し、アテネ五輪出場権を獲得。アテネ五輪では200m平泳ぎで3位とは0.05秒差の4位に留まった。この大会後の2005年に再び現役引退を発表した[6]。
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関口宏が代表を務める芸能事務所三桂に所属。スポーツコメンテーターとしてメディアでの活動の他にも、水泳講師として全国各地へ出張している。
2005年8月にフリーダイビングのダイナミック・アプネア・フィンなしで96mの女子日本新記録を樹立した。
2008年6月、ダイエットエッセイ本「BODY+REMAKE」を出版。
2009年7月2日、30代半ばの会社員男性(当時)との結婚を発表[7]、同年8月9日に挙式・披露宴が行われた。
2012年5月28日付けのブログで、同年3月に離婚したことを公表[8]。
2013年、スポーツマネージメント会社「スクランブル・エンターテイメント」・アディダスのアドバイザリーと共に契約した[9]。
2017年5月18日付けのブログで、1歳年下の元飛込選手と再婚し、第1子を妊娠していることを発表した[10]。
2019年2月20日、北海道の民放5局とNHK札幌放送局による共同キャンペーン『One Hokkaido Project』のキャンペーンソングに参加[12]。
2019年8月27日、第二子の妊娠が判明した[13]。
2024年9月に里崎智也がホストを務めるYouTube「白鶴酒造公式チャンネル」に出演した際、これまで始球式で何度も暴投を繰り返していたことについて、本来左利きだが普段使っているグラブが右利き用だったのでずっと投球の利き手が分からずに右手で投げていたと語った[15]。