田之上慶三郎

田之上 慶三郎
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 鹿児島県指宿市
生年月日 (1971-09-17) 1971年9月17日(53歳)
身長
体重
184 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1989年 ドラフト外
初出場 1996年9月26日
最終出場 2007年5月20日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

田之上 慶三郎(たのうえ けいさぶろう[注 1]1971年9月17日 - )は、鹿児島県指宿市出身の元プロ野球選手投手、右投右打)、プロ野球コーチ

経歴

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指宿商業高から、1989年オフにドラフト外福岡ダイエーホークスに入団。

1990年には1Aアドバンス級チームだったサリナス・スパーズ英語版に野球留学した。

1996年に一軍に昇格し、長らく「未完の大器」と称されていた[1]

1997年にプロ8年目で初勝利。直球の最速は140km/h程度[注 2]であった。

2000年はダイエーがリーグ優勝を決めた試合で先発し無失点で勝利投手になるなど、ローテーションの谷間の先発・ロングリリーフを中心とした仕事をこなし、後半戦には主軸を任され、若田部健一ら4投手に次ぐ8勝を挙げた。安定感ではこの年5勝を挙げて一軍に定着した斉藤和巳に勝っていたため、日本シリーズ第4戦(10月26日、福岡ドーム)では先発も経験し、敗戦投手にはなったが読売ジャイアンツ(巨人)打線を5回2失点に抑えた。

2001年には13勝7敗とエース格にのし上がり、最高勝率最優秀バッテリー賞城島健司と共に)のタイトルを獲得。オフの契約更改では推定年俸1億円となった[3]

2002年には開幕投手を務めた。規定投球回はクリアし、防御率は3点台だったが、6勝に留まった。

2003年は若手の斉藤和巳、杉内俊哉寺原隼人、ルーキーの和田毅新垣渚が先発ローテーションに入ったことにより、前年の先発ローテーションから総入れ替えになり田之上は先発では僅か1試合の登板に終わる。

2004年は故障のため一軍登板ゼロに終わった。

2005年の交流戦中に一軍に復帰、6月5日の巨人戦に先発し好投、実に991日ぶりの先発勝利を挙げた。その後も谷間の先発として9試合に登板し、3勝3敗の成績を残した。

2006年も開幕は二軍で迎えたが、6月4日の阪神タイガース戦で初登板。326日ぶりの先発勝利を挙げた。

2007年吉田修司の移籍により投手最年長、またチームに復帰した小久保裕紀[注 3]と共にチーム最年長となった。しかし成績が振るわず、10月6日に戦力外通告を受け、10月19日に現役引退を発表。同時にコンディショニング担当コーチ補佐に就任した。なお同日付で任意引退選手として公示されている。11月26日に福岡Yahoo! JAPANドームで行われた「感謝の集い2007」で、同じく戦力外通告を受けていた倉野信次大野隆治稲嶺誉らと共に別れのセレモニーに参加した。

引退後

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2008年は二軍コンディショニングコーチ補佐。

2009年から2010年まで一軍投手コーチ(ブルペン担当)を務め、前年リーグワーストだった救援防御率を2年連続でリーグ1位に押し上げ[4]SBM攝津正ブライアン・ファルケンボーグ馬原孝浩)の勝利の方程式は構築し[5]、2010年のリーグ優勝に貢献した。

2011年から2012年まで二軍投手コーチを務めた。

2013年からは北海道日本ハムファイターズの二軍投手コーチを務める。大谷翔平を指導した[6]

2014年10月28日に任期満了につき退団[7]。同年11月8日に二軍投手コーチとしてソフトバンクに復帰[8]

2015年11月3日に一軍投手コーチに就任することが発表された[9]

2016年10月28日より三軍投手コーチを担当[10]

2017年、11月25日から台湾で開催されるアジアウインターベースボールリーグにおいて、NPBウエスタン選抜の投手コーチを務めた[11]

2023年シーズン終了をもって退団した[12]。田之上の妻は福岡県糸島市筑前前原駅前にある実家の婦人服店を継承していたが、その妻が2022年末に緊急搬送されたこともあり、田之上は2023年夏に退団を申し入れていた。退団後は同店に併設されたカフェの運営に携わっている[13]

選手としての特徴・人物

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曲がりの大きいカーブなどが武器の右腕[14]

プロ入り時は最高球速が僅か128km/hだったが、ウエイトトレーニングや食事に気を遣うなど地道な努力を重ねたことで、2001年には最速149km/hまで上げた[2]

端正な顔立ちの持ち主で、現役時代は女性ファンも多かった[2]

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1996 ダイエー
ソフトバンク
2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 9 3.0 0 0 0 0 0 4 0 0 0 0 0.00 0.00
1997 32 14 0 0 0 4 9 0 -- .308 405 93.2 104 3 29 1 2 52 7 0 57 53 5.09 1.42
1998 8 2 0 0 0 0 1 0 -- .000 88 19.2 24 2 6 1 0 10 1 0 9 9 4.12 1.53
1999 11 5 0 0 0 2 3 0 -- .400 152 35.0 35 4 19 0 0 11 1 1 19 19 4.89 1.54
2000 24 15 0 0 0 8 4 0 -- .667 385 88.2 94 4 34 2 2 56 2 0 38 38 3.86 1.44
2001 29 27 5 1 1 13 7 0 -- .650 716 171.2 172 16 42 2 2 99 2 0 85 72 3.77 1.25
2002 26 24 4 1 0 6 9 0 -- .400 622 148.2 154 19 30 0 3 83 1 0 75 65 3.93 1.24
2003 3 1 0 0 0 1 1 0 -- .500 35 8.0 7 2 4 0 0 4 0 0 5 5 5.63 1.63
2005 9 9 0 0 0 3 3 0 0 .500 203 48.0 51 6 13 0 0 27 1 0 24 22 4.13 1.33
2006 5 5 0 0 0 1 3 0 0 .250 105 22.2 35 2 5 1 1 9 0 0 13 13 5.16 1.76
2007 4 4 0 0 0 1 2 0 0 .333 83 18.0 24 5 7 0 2 11 0 1 13 11 5.50 1.72
通算:11年 153 106 9 2 1 39 42 0 0 .481 2803 657.0 700 63 189 7 12 366 15 2 338 307 4.21 1.35
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更

タイトル

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表彰

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記録

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背番号

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  • 94(1990年 - 1991年、2008年)
  • 64(1992年 - 2007年)
  • 86(2009年 - 2012年)
  • 75(2013年 - 2014年)
  • 82(2015年 - )

脚注

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注釈

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  1. ^ 「けいぶろう」は誤り。
  2. ^ その後本人の努力もあり球威が徐々に上昇していき、2001年には149km/hまでストレートの球速がアップしている[2]
  3. ^ 2004年から2006年まで巨人、それ以前はダイエーに所属していた。

出典

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  1. ^ 1998年 日刊スポーツ発行 プロ野球選手写真名鑑
  2. ^ a b c ベンチ裏コネタ「ケッコー効果あった? 父の手作りスープ」」『日刊スポーツ』。2023年4月12日閲覧
  3. ^ 超弱小校から“まさかのドラフト指名”「なんであんたクビにならんの?」二軍で6年間、戦力外寸前だった男が“ホークス1億円投手”になるまで」『Number Web』2025年2月8日。2025年2月10日閲覧
  4. ^ ソフトB優勝の原動力…目立たないけどスゴかった『最強ブルペン』」『BASEBALL KING』2014年10月3日。2025年2月10日閲覧
  5. ^ 週刊ベースボール2010年2月25日増刊、2010プロ野球全選手写真名鑑、62頁
  6. ^ 「【日本ハム】田之上2軍コーチ、今季限り退任 大谷の指導も」 スポーツ報知 2014年10月28日
  7. ^ ファームコーチ退団のお知らせ」『北海道日本ハムファイターズ』2014年10月28日。2014年10月28日閲覧
  8. ^ ソフトB来季コーチングスタッフを発表」『日刊スポーツ』2014年11月8日。2014年11月8日閲覧
  9. ^ 2016年 コーチングスタッフについて」『福岡ソフトバンクホークス』2015年11月3日。2015年11月3日閲覧
  10. ^ 2016/10/28 プレスリリース コーチ担当変更のお知らせ」『福岡ソフトバンクホークスオフィシャルサイト』2016年10月28日。2017年5月9日閲覧
  11. ^ 2017アジアウインターベースボールリーグ(AWB)NPBメンバー一覧」『日本野球機構』2017年11月10日。2017年11月10日閲覧
  12. ^ 新入団コーチのお知らせ」『福岡ソフトバンクホークスオフィシャルサイト』2023年10月31日。2023年10月30日閲覧
  13. ^ 緊急搬送された妻を支えるため、34年間の野球人生にピリオドを打ったホークスの元タイトルホルダー~夫婦で歩む第二の人生~」『RKB毎日放送』2023年12月7日。2023年12月10日閲覧
  14. ^ 九州魂継承、地元コーチが守る常勝ソフトBのDNA」『日刊スポーツ』2020年1月20日。2023年4月12日閲覧

関連項目

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外部リンク

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