基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
生年月日 | 1972年2月7日(52歳) |
出身地 | 日本 岡山県 |
WRCでの経歴 | |
活動時期 | 1994年 - 2008年 |
所属チーム | 三菱 |
出走回数 | 19 |
チャンピオン回数 | 0 |
優勝回数 | 0 |
表彰台回数 | 0 |
ステージ勝利数 | 0 |
通算獲得ポイント | 1 |
初戦 | 1994 ラリー・ニュージーランド |
最終戦 | 2008 ラリージャパン |
田口 勝彦(たぐち かつひこ、1972年2月7日 - )は、日本のラリードライバー。岡山県出身。A型。アジアパシフィックラリー選手権(APRC)で2度シリーズチャンピオンを獲得した。父は同じくラリードライバーの田口盛一郎。
ニックネームは「カツ」。そのためドライバーとしての登録名はKatsu Taguchiを使用している。
1990年ダートトライアルでモータースポーツデビュー。
1993年に全日本ダートトライアル選手戦に参戦、最激戦クラスであるAIVクラスに三菱・ランサーエボリューションを駆ってただ一人シーズン2勝をマークし他のドライバー達を驚かせた。(この当時まだ21歳)
1994年全日本ダートラ参戦の傍らWRCラリーニュージーランドにグループNの三菱・ランサーでラリーデビュー。翌1995年に本格的なラリー活動のため、オーストラリアに移住し、ラリーアート・オーストラリアを拠点にオーストラリアをはじめ、マレーシア、ニュージーランドの国内選手権を転戦する。
1997年マレーシアに移住。1996年~1998年、3年連続マレーシアラリー選手権グループNチャンピオンに輝く。1997年APRCグループNクラス5位。1998年APRCマレーシアラリーでグループN優勝。
1999年にはAPRCで総合のドライバーズタイトル及びグループNシリーズチャンピオンのダブルタイトルを獲得。
2001年は世界ラリー選手権(WRC)第6戦キプロスラリーに三菱ワークスの一員として出場。初のヨーロッパラウンドWRC出場ながら一時は総合10位を走行。惜しくもリタイアに終わったが、その非凡な才能は高い評価を受けた。
2002年4月、日本に帰国し、株式会社ラリーアートの社員となる。2002年はさらにラリー経験を積むために英国ラリー選手権に出場。2003年はAPRCにスポット参戦。2004年にはAPRC全戦に参戦し、シリーズランキング3位を獲得。同年よりインドのタイヤ最大手・MRFタイヤのサポートドライバーとなる。
2005年はAPRC第4戦ラリー北海道で総合優勝を飾るも、シリーズランキング5位に終わる。2006年はAPRC第2戦ラリー・ニューカレドニアで総合優勝、3位2回、4位2回という成績でシリーズランキング3位。
2007年はスポット参戦したWRC第14戦ラリージャパンで見事グループN優勝を飾ったが、APRCでは2位を3度獲得するにとどまりシリーズ3位。「チームMRFタイヤ」で戦う5年目のシーズンとなった2008年は、APRC開幕戦のニュー・カレドニアと第4戦北海道で優勝、2位も2回獲得するがシリーズ2位に。WRCラリージャパンでは、三菱・ランサーエボリューションXを世界選手権デビューさせ、グループN/PWRC7位(総合16位)となった。
2010年にはAPRCで2度目のドライバーズタイトルを獲得するなど一線で活躍を続けていたが、2012年は方針を大きく転換してAPRCから撤退。代わりに全日本ダートトライアル選手権への参戦など、日本国内での活動に主軸を移すことになった。また同時に自らのチームやラリースクールも立ち上げ、後進の育成にも力をそそぐ方針としている[1][2]。
2015年・2016年・2018年に全日本ダートトライアル選手権を連覇した。
2023年はアジアクロスカントリーラリーに、チーム三菱ラリーアート(旧ラリーアートとは別組織で、タイの「タント・スポーツ」が母体)から三菱・トライトンで出場することになり、久々に三菱ワークスへ復帰することになった[3]。