『男はつらいよ』(おとこはつらいよ)は、渥美清主演、山田洋次原作・監督(一部作品除く)のテレビドラマおよび映画シリーズである。主人公の愛称から「寅さん」(とらさん)シリーズとも称される。
テキ屋稼業を生業とする「フーテンの寅」こと車寅次郎が、何かの拍子に故郷の柴又に戻ってきては、何かと大騒動を起こす人情喜劇で、毎回旅先で出会った「マドンナ」に惚れつつも失恋するか身を引くかして、成就しない。寅次郎の恋愛模様を日本各地の美しい風景を背景に描く。
フジテレビプロデューサー小林俊一が、渥美清主演の新しいテレビドラマの企画を検討していた際に、渥美清に相談。渥美が、脚本家としても活動していた新人監督の山田洋次を推薦。旅館で執筆中の山田を小林と共に訪ねた渥美が、少年時代に憧れていたテキ屋の話や、自身の青春時代の話を披露、その時の雑談を元に、テレビドラマ「男はつらいよ」の物語が誕生した。
1960年代のドラマの主人公は、正統派の2枚目がほとんどで、「テキ屋が主役」という当時としては、斬新な設定のドラマの成功後、落語の長屋物からの影響、東映の「ヤクザ映画」のパロディとして企画されたという推論[1][2]、松竹映画に出演していた安藤昇が面識のある山田に「ヤクザ者が一般社会に入ってくることから巻き起こる物語」の案を話したエピソード[3][4]、など、様々な面からの影響が唱えられている。
フジテレビが制作・放送したテレビドラマは、1968年(昭和43年)- 1969年(昭和44年)に、放送されたが、柴又では、撮影が行われていない。当初、全く人気がなかったが、徐々に視聴率が上がり、最終回で、ハブ酒を作ってひと儲けしようとした寅次郎が、奄美大島で、ハブに咬まれて毒が回り死ぬ、という結末を迎えると、視聴者から抗議が殺到。映画化につながった[5]。
映画シリーズは、山田洋次が全作の原作・脚本を担当。松竹によって1969年8月27日に第1作が公開され、1995年(平成7年)までに渥美が参加した48作が製作された。1997年(平成9年)には、特別篇、2019年(令和元年)には、映画公開50周年を記念して、23年ぶりに新作として、50作目が公開された。
当時の松竹社内では、映画化に反対の声が多く、期待されていなかったので、シリーズ化も想定されていなかった。2作で終わる予定で[6]、第1作の観客動員数は54万3000人とまずまずの結果となり、早々に第2作が再作開始。第3作は森崎東が、第4作を小林俊一が監督を行い、山田はこれらはもういいと思い脚本のみ手掛けた[7]。第5作は山田が再び監督しシリーズを完結させる予定であったが、それまでトントンの線で横ばい状態であった観客動員が一挙に5割増しとなり(それでもシリーズ平均の観客動員165万の半分にも及ばない72万人という小ヒットである)、これを受けてシリーズ継続となった。そのため、第5作は、続編製作の保証がない状態で作られた第1作、山田が当初2部作構想としていた第2作とともに、ある種の完結感を持ってしめくくられている。
以降、尻上がりで全作品がヒット、特に第8作は前作比6割増の爆発的飛躍で、森川の死による打ち切り意見を吹き飛ばすとともに、以降は100~200万台の動員を見込める松竹のドル箱シリーズとなった[注 1]。30作を超えた時点で世界最長の映画シリーズ(作品数)としてギネスブック国際版にも認定された(年数では『007』シリーズの方が長い)。山田は全50作完結を構想し、第49作『寅次郎花へんろ』準備中に渥美の死去により、1995年(平成7年)に公開された第48作『男はつらいよ 寅次郎紅の花』をもって終了(打ち切り)になった。その後、ファンからのラブコールが多かったとのことで、『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花』を再編集し、新撮影分を加えた『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇』が1997年(平成9年)- 1998年(平成10年)に公開された。
1972年(昭和47年) - 1985年(昭和60年)の14年間はきっちりお盆と年末年始の年2回公開が守られており、多くの人が帰省休みを取るこの時期を彩る日本の風物詩とまでいわれた。なお、通常の「正月映画」が12月3週目あたりから公開されるのに対し、同シリーズは年末ぎりぎりの公開として初冬の風景をおりこんでいる。
1981~1985年は曜日にかかわりなく12月28日公開に固定されていたぐらいだが、後期はやや早まってクリスマス前後に公開されるようになった。また、前述の冬公開から「寅さん」は冬の季語にもなっている。1986年と1988年は山田がそれぞれ『キネマの天地』『ダウンタウン・ヒーローズ』に取り組む都合でお盆はお休み、これを挟んだ1987年と1989年はお盆・正月製作が守られたものの、渥美の体力低下もあって1990年以降は正式に正月のみの年1本製作へと変更された。前後して、恒例であった冒頭の夢の場面も次第になくなっていく。
渥美が撮影に参加した映画シリーズ48作の配給収入は464億3000万円[8]、観客動員数は7957万3000人[8] を記録。ビデオソフトは1996年7月末までにセル用とレンタル用の合計で85万本が流通している[9]。その後、ほぼすべての配信プラットフォームで全作品が視聴可能となっている。
1969年(昭和44年)の映画第1作公開から50周年に当たる2019年(令和元年)12月27日には、旧作の名場面に新撮部分を加えた第50作『男はつらいよ お帰り 寅さん』が公開[10][11][12]。2018年(平成30年)9月6日に誕生50周年を迎える来夏頃に“50作目”となる新作映画を公開することが6日、都内で行われた『50周年プロジェクト』会見で発表された。“22年ぶり”となる新作には、シリーズ全49作を4Kデジタル修復した映像と、新たに撮影される映像が使用される。あわせて、2年をかけて4Kデジタル修復されたシリーズ全49作のBlu-ray Disc発売と全国劇場公開、東京都葛飾区柴又の寅さん記念館のリニューアルオープン、山田洋次監督の小説『悪童 小説 寅次郎の告白』の刊行、BSテレ東の企画『やっぱり土曜は寅さん!』による全49作のテレビ放送、などが行われた[13]。
男はつらいよ | |
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ジャンル |
テレビドラマ ホームドラマ |
脚本 |
山田洋次 稲垣俊 森崎東 光畑碵郎 山根優一郎 |
演出 | 小林俊一 |
出演者 |
渥美清 長山藍子 森川信 杉山とく子 井川比佐志 佐藤オリエ 東野英治郎 |
オープニング | 渥美清「男はつらいよ」 |
製作 | |
プロデューサー |
小林俊一 白川文造 |
制作 |
フジテレビジョン 高島事務所 |
放送 | |
放送国・地域 | 日本 |
放送期間 | 1968年10月3日 - 1969年3月27日 |
放送時間 | 木曜22:00 - 22:45 |
放送分 | 45分 |
回数 | 26 |
フジテレビ系列で1968年10月3日から1969年3月27日まで毎週木曜日22時00分 - 22時45分に放送された。脚本は山田洋次・稲垣俊・森崎東らが手掛けた。全26話だが、映像は第1話と最終話しか現存していない(後述)。
東京の東の外れ、葛飾区柴又に帝釈天こと名刹題経寺がある。門前町には名物の草団子を商う店が軒を連ねている。その中に「とら屋(とら家)」という江戸時代から続く老舗があった。そこには主人の車竜造(森川信)と妻のつね(杉山とく子)、そして両親と長兄を亡くし、腹違いの次兄は行方知れずになったままの姪さくら(長山藍子)が暮らしている。
日々何事も無く平凡な毎日を過ごしている「とら屋」一家のもとに行方不明だったさくらの兄・寅次郎(渥美清)が1968年(昭和43年)夏、18年ぶりに帰って来た。感動の対面を果たす兄と妹。ただしすぐに人相の悪い怪しげな寅次郎の仲間達が押しかけてきてどんちゃん騒ぎを始める。あまりの非常識な振る舞いにさくらの怒りを買った寅次郎は翌日反省し再び旅に出て二度と帰らないことを決める。ところが柴又の町内を出ないうちに近所に住む恩師の散歩先生(東野英治郎)の娘で幼馴染みの坪内冬子(佐藤オリエ)に出会い一目惚れ、冬子恋しさにそのまま「とら屋」に居つくことになる。旅暮らしでいつかは一獲千金が実現することを夢見ながらテキ屋稼業をしている寅次郎は平穏なとら屋の日常を過激なまでに変えてしまう。可愛いさくらのために奮闘努力を誓う寅次郎だがほとんど空回りに終わる。さくらといい仲だった恋人の道夫(横内正)との間に入ってぶち壊しにしたり、次から次へと変な知り合いを連れてきたり、警察のご厄介になったり、テレビに出て大恥をさらしたり、はたまた急にアメリカ航路に密航して心配させたり大騒動続きである。そんな寅次郎の破天荒な生き様を最初は煙たがっていたさくらたちだが次第に刺激を与えられることを楽しむようになる。それと共に寅次郎の悪気が無く憎めない人柄を愛するようになっていく。その後さくらは寅次郎が仮病で入院した時に知り合った医師の諏訪博士(井川比佐志)と結婚、体調を崩した竜造は「とら屋」をたたむことを決意、散歩先生は亡くなり、冬子も恋人の藤村(加藤剛)との結婚を決めた。
心の拠り所が無くなった寅次郎は一獲千金を狙い弟の雄二郎(佐藤蛾次郎)を引き連れて奄美大島までハブを捕まえに行く。時は流れ、さくらのお腹に赤ちゃんが授かった頃、突然雄二郎がやってくる。奄美大島でハブに噛まれて絶命した寅次郎の遺品という帽子を携えて…。信じられないさくら。その夜、さくらのアパートにひょっこりと寅次郎が現れる。やっぱり生きてたんだ! 喜ぶさくらだが寅次郎はすぐに姿を消す。慌てて外へ出ると寅次郎は愛唱歌「喧嘩辰」を歌いながら去っていく。追いかけるさくらが公園にきたところで寅次郎の姿はフッと消えてしまう。心配して駆けつけた博士の腕の中でいつまでも泣き続けるさくらだった。
この節の加筆が望まれています。 |
1966年にフジテレビで放送されていた、渥美清主演の連続テレビドラマ『おもろい夫婦』が大ヒットしており、これをきっかけに昭和40年代の同局では、渥美の連続ドラマが毎年のように放送されていた。本作は第3作にあたる。
制作は、フジテレビと当時の渥美の所属事務所の高島事務所。企画と演出はフジテレビ制作部のディレクター兼プロデューサー(当時)の小林俊一[25]、同局の編成部では白川文造が係わった。
1968年夏、松竹の中堅監督であった山田洋次が、フジテレビから渥美主演のドラマの脚本の依頼を受けたことで本作の企画が始まった[13]。本作の原点となったのはフランスの国民的作家・マルセル・パニョルによる喜劇「マルセイユ3部作」(『マリウス』〈1929年〉、『ファニー』〈1932年〉、『セザール』〈1936年〉)で、学生時代に演劇好きの友人から戯曲を借りて読み「なんとここには日本人しか分からないと思っていた落語や浪花節の人情の世界がマルセイユを舞台にしてたっぷりと描かれているではないか」と感銘を受けた山田は後にフジテレビから渥美主演のテレビシリーズの脚本執筆を打診された際に青春時代に読んだ同シリーズを思い出し、「マリウスは博で、ファニーはさくら。セザールは渥美さんが演じた寅さん」と同シリーズに登場する愛すべき人物たちを中心にさらに熊五郎・八五郎・ご隠居といった古典落語の登場人物も重ね合わせて本作の登場人物たちを構築[26][27]。
主人公の「寅さん」については、執筆に先立って「ゆっくり話がしたい」と主演の渥美と東京・赤坂の旅館で対面し、まるで名人の落語を聞くかのように驚異的な記憶力とテキ屋の口上など豊かな話術で笑わせる渥美から「この人は本当に頭がいい人だな。こういう人が愚かな男を演じると面白い話ができるのでは」「落語に出てくる熊さんのようなキャラクターが、この人ならできるんじゃないか」との着想を得て、落語の熊さんと結びつけながら「下町の不良少年のなれの果て」という「寅さん」のキャラクターを創造していった[13][28]。柴又帝釈天の舞台設定は、助監督時代に作家の早乙女勝元との打ち合わせの折に帝釈天参道で食事したことを思い出し、戦災から逃れた風情の残る街並みと「葛飾、柴又、帝釈天」の語感が良さから決定。ほどなく門前の団子屋の設定も決まった[13]。
企画段階でのタイトルは『愚兄賢妹』という番組名だったが[29]、フジテレビの営業から「愚兄賢妹では堅苦しくて番組として売り難い」と言われたため、タイトルを変更することになる。そして、北島三郎が唄っていた『意地のすじがね』の中にあった「つらいもんだぜ男とは」という歌詞をヒントに、小林俊一が『男はつらいよ』と命名した。
他にも、同時期にTBS系列で放送されていた渥美清主演のテレビ映画『泣いてたまるか』の、最終話のタイトルが「男はつらい」であり、この回の脚本を山田洋次が書いていたことも決め手となった。他にも渥美清が良く口ずさむ歌が北島三郎であり、その作詞者が星野哲郎であることも主題歌の作詞を依頼する決め手になった。 音楽の山本直純に関しては小林俊一がドラマを企画する際に好んで依頼していたのが山本であり、一連の渥美ドラマでも同様に山本直純に依頼した。
船山馨原作のベストセラー小説をドラマ化した『石狩平野』(脚本:早坂暁、主演:南田洋子)が不調で、1年の放送期間が半年に短縮された[注 4]。これにより、秋の番組編成に穴が空いてしまったため、本作の放送時間が木曜22時となる。今でこそ木曜22時は「木曜劇場」で定着しているが、当時のこの時間帯は他局が圧倒しており、大苦戦が続いたフジは同局の渥美ドラマの人気で打破したい思惑もあった。
放送開始当初こそ視聴率は苦戦を続けたが、回数を重ねる毎に少しずつ上昇していき、番組終了までに最高で20パーセント台を達するまでになった。視聴率としては高いとは言えないが、当時の状況を思えば大健闘の数字である。 一部の資料では「3か月間13回を放送を延長して26回になった」という記述があるが実際は最初から半年間26話の予定であり、13話説は小林俊一が山田洋次を説得する際に出した打開案に過ぎない。
最終話で寅次郎は、ハブ狩りで一儲けしようと奄美大島に出かけるが、そのハブに噛まれて死んでしまう。寅次郎を死なせたことで、視聴者からはテレビ局に抗議の電話が殺到。これが映画化に繋がった[31]。しかし、当時はまだテレビ番組の地位が、映画から見てかなり低く見られていた時代であった。松竹は、テレビ番組の映画化に難色を示していたが[32][31]、山田洋次と松竹プロデューサー上村力の説得に折れる形で今で言うリブートの様な形で映画化された(当時、松竹の社長であった城戸四郎が山田の意見を汲みいれた)[33]。
寅次郎が首に下げているお守りは成田山新勝寺のもの、帽子は渋谷道玄坂の店で作られた特注品であり、撮影の邪魔にならないようにツバが既製品より短く作られている。帽子やシャツ、雪駄も手製であり、テレビ版終了後の打ち上げで商品としてそれぞれスタッフが一つずつ持ち帰ったものの、映画を製作にするにあたり慌ててすべて取り戻したという逸話がある。最終回の舞台は奄美大島であるが、これは沖縄が当時米軍統治下であり、ロケは徳之島で行われた。以上のエピソードは「テレビドラマ版DVD」の特典映像スタッフによる座談会で明らかにされている[34]。
テレビ版では一度も柴又へロケに来ておらず、シーンは全てセットで制作されている[35]。
テレビ版の映像は、フジテレビのライブラリーには第1話と最終話のみ現存している。その理由としては、以下の事柄も関係している。
そのため当時、ビデオテープは放送後に別の作品へ使い回され、内容が上書き消去されるのが普通であった。
現存する第1話と最終話については渥美清の没後、同局の情報番組『ビッグトゥデイ』で、追悼企画としてノーカットで再放送されたほか、1997年2月にフジテレビよりVHSで、2008年8月に松竹よりDVDでソフト化された。これらの映像ソフトでは欠落した回も写真で紹介するほか、スタッフによる企画の誕生などのエピソードが収録されている。横浜市にある放送ライブラリーでは、第1回を閲覧することが可能である。2015年5月10日と2016年1月9日に、BSフジにて第1話と最終話が一挙放送された。
話数 | 放送日 | 脚本 | 演出 | とらや関係者以外の出演者 | 備考 |
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第1話 | 1968年 10月3日 |
山田洋次 稲垣浩一(稲垣俊) |
小林俊一 | 坪内散歩:東野英治郎 坪内冬子:佐藤オリエ |
寅とさくら18年ぶりの再会 |
第2話 | 10月10日 | 山田洋次 | 諏訪博士:井川比佐志 川又登:津坂匡章 澤田雅美 |
寅、仮病で入院 舎弟・川又登が住み込むようになる | |
第3話 | 10月17日 | 稲垣俊 | 大宮部長:浜田寅彦 鎌倉正夫:松本克平 鎌倉道夫:横内正 道夫の母:中村美代子 高野ひろみ |
寅の失言でさくらの縁談がストップ | |
第4話 | 10月24日 | 稲垣俊 | 諏訪博士:井川比佐志 鎌倉道夫:横内正 道夫の母:中村美代子 |
傷心のさくらのためにハワイ旅行に行こうとするが… | |
第5話 | 10月31日 | 山田洋次 | 山本久太郎:佐山俊二 田武謙三 平岡奈津美 |
旅行会社の倒産でハワイ旅行は中止に 寅が店の留守番をしていると、 久太郎という泥棒が入り意気投合 | |
第6話 | 11月7日 | 山田洋次 東盛作(森崎東) |
マクナマラ:マーティ・キナート 坪内散歩:東野英治郎 |
寅の口上に惚れたマクナマラ青年と、寅・さくらの交流 | |
第7話 | 11月14日 | 山根優一郎 | 鎌倉道夫:横内正 道夫の母:中村美代子 |
寅がアメリカ航路で密航中、さくらは道夫との仲に苦しむ。 寅が帰国しさくらは過去を清算しようとする | |
第8話 | 11月21日 | 山田洋次 稲垣俊 |
坪内散歩:東野英治郎 坪内冬子:佐藤オリエ (特別出演)小川宏 露木茂 田代美代子 |
町内に下着泥が現れ、舎弟の登が疑われる。 釣り竿作戦で真犯人を捕らえた寅は評判となって 「小川宏ショー」に出演することになるが… | |
第9話 | 11月28日 | 光畑碵郎 | 坪内冬子:佐藤オリエ | 男に絡まれそうになっていた冬子を寅は助けるが… | |
第10話 | 12月5日 | 山田洋次 森崎東 |
東雲の銀蔵親分:杉狂児 石山律雄 石田茂樹 |
寅はかつての恩人銀蔵親分のために熊本へ向かう | |
第11話 | 12月12日 | 山田洋次 | 坪内散歩:東野英治郎 坪内冬子:佐藤オリエ 寅の母親・染子:武智豊子 川島雄二郎:佐藤蛾次郎 賀原夏子 |
散歩先生と冬子は九州から戻ってこなかった寅を京都で発見 寅は30年前に生き別れた実母に会いに京都に来ていた… | |
第12話 | 12月19日 | 山田洋次 東盛作(森崎東) |
坪内散歩:東野英治郎 坪内冬子:佐藤オリエ 川島雄二郎:佐藤蛾次郎 北小路:野々村潔 |
散歩先生は冬子に見合いをさせるために京都に。 寅の心中は… | |
第13話 | 12月26日 | 山田洋次 光畑碵郎 |
諏訪博士:井川比佐志 愛子:寺田路恵 |
年末柴又に戻った寅。寅不在中にさくらと諏訪の仲が進展し… | |
第14話 | 1969年 1月2日 |
山田洋次 | 坪内散歩:東野英治郎 坪内冬子:佐藤オリエ 愛子:寺田路恵 |
散歩先生の家で汁粉を食べながら人生について語る | |
第15話 | 1月9日 | 山田洋次 森崎東 |
諏訪博士:井川比佐志 山本久太郎:佐山俊二 愛子:寺田路恵 |
寅に見合い話が! 登に思い人ができるが、相手は寅に興味津々で… | |
第16話 | 1月16日 | 山根優一郎 | 中村瑞枝:市原悦子 高橋英吉:田中邦衛 |
寅の元に北海道から瑞枝が訪ねてくる。 次の日、「人の女房によくも手を出しやがったな!」と男が乱入し… | |
第17話 | 1月23日 | 光畑碵郎 | 竹千代:松村知毅(子役) 田武謙三 |
見知らぬ子供に父ちゃんになってやると言った寅が… | |
第18話 | 1月30日 | 山田洋次 | アケミ:宮本信子 田武謙三 |
おいちゃんの浮気相手・アケミがとら屋に乗り込んできて… | |
第19話 | 2月6日 | 山田洋次 | 諏訪博士:井川比佐志 田武謙三 |
諏訪がさくらに求婚するが… | |
第20話 | 2月13日 | 山田洋次 森崎東 |
諏訪博士:井川比佐志 陶隆司 |
諏訪とさくらが婚約し、親戚への挨拶に張り切る寅だが… | |
第21話 | 2月20日 | 山根優一郎 | 諏訪博士:井川比佐志 山本久太郎:佐山俊二 |
結婚式。寅は両家を代表して挨拶をするが… | |
第22話 | 2月27日 | 山根優一郎 | 川島雄二郎:佐藤蛾次郎 山本久太郎:佐山俊二 坪内冬子:佐藤オリエ |
結婚式を終え虚脱状態の一家。 久太郎が寅の気持ちを冬子に伝えるのだが… | |
第23話 | 3月6日 | 光畑碵郎 | 岡村亀雄:塚本信夫 佐藤正範:森幹太 坪内散歩:東野英治郎 坪内冬子:佐藤オリエ |
寅が同窓会の幹事になり… | |
第24話 | 3月13日 | 山根優一郎 | 畠山三太郎:谷幹一 三太郎の妻・ツル子:春川ますみ 諏訪博士:井川比佐志 |
三太郎から、ある「ボロい金儲け」の話を聞かされる寅 | |
第25話 | 3月20日 | 山田洋次 | 坪内散歩:東野英治郎 坪内冬子:佐藤オリエ 藤村薫:加藤剛 |
寝たきりになった散歩先生が寅を呼ぶ。 天然鰻の蒲焼きが食べたいという。 何とか釣り上げ蒲焼きにするが、散歩先生は息を引き取る。 傷心の冬子に恋人の藤村が寄り添うのを見て失恋を実感した寅。 それでも散歩先生の葬儀を立派につとめた。 もうこの柴又に帰るところはないことを悟った寅は… | |
第26話 | 3月27日 | 山田洋次 森崎東 |
諏訪博士:井川比佐志 坪内冬子:佐藤オリエ 川島雄二郎:佐藤蛾次郎 |
散歩先生に立派な墓を建ててやりたいと 一山当てるために、寅と雄二郎は奄美大島に向かうのだが… |
フジテレビ系列 木曜22時枠 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
男はつらいよ
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ブラックチェンバー
※22:00 - 22:56 |
男はつらいよ | |
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監督 |
山田洋次(第1作、第2作、第5作以降) 森崎東(第3作) 小林俊一(第4作) |
脚本 | 山田洋次ほか |
出演者 |
渥美清 倍賞千恵子 前田吟 太宰久雄 三崎千恵子 |
配給 | 松竹 |
公開 | 1969年 - 1995年(特別編 1997年)、2019年 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
1969年から1995年にかけてと1997年、2019年にシリーズ全50作が公開された。
主人公、「フーテンの寅」こと車寅次郎は、父親、車平造が芸者、菊との間に作った子[注 5]。実母の出奔後父親のもとに引き取られたが、14歳の時[注 6]に父親と大ゲンカをして家を飛び出したという設定。第1作は、テキ屋稼業で日本全国を渡り歩く渡世人となった寅次郎が家出から20年後に突然、倍賞千恵子演じる異母妹さくらと叔父夫婦が住む、生まれ故郷の東京都葛飾区柴又・柴又帝釈天の門前にある御食事処・草団子屋「本家とらや老舗[37](後に、本家くるま菓子舗に店名変更)」に戻ってくるところから始まる。
各作品のパターンは、寅次郎が旅先或いは柴又で出会うマドンナに惚れてしまい、何かと世話を焼くうちにマドンナも寅次郎に対して信頼を寄せ親しい仲になる。その後、舞台を柴又に移し「とらや」を舞台に賑やかな人情喜劇が展開されるが、結局本格的な恋愛に発展することなく最後にはマドンナの恋人が現れて寅次郎は失恋をする。或いはとらやに旧知の女性やマドンナとなる女性が現れて恋に落ちるが失恋する。そして傷心の寅次郎は書き入れ時である正月前、もしくは盆前に再びテキ屋稼業の旅に出るといったものである[注 7]。
マドンナが寅次郎をそれとなく誘惑したり、愛の告白(らしきもの)をするなど、互いが相思相愛にあることを示唆する作品も少なくないが[注 8]、この場合は、寅次郎の方が逃げ腰になり、自ら身を引く形となっている。こんな寅次郎について甥の満男は、「手の届かない美しい人には夢中になるけれど、その人が伯父さんに好意を持つと逃げ出してしまう」と端的に語っている[39]。
また、マドンナと「うまくいっている」と誤解している時点で、寅次郎が柴又に帰り、さくら達にマドンナとの楽しい体験を脚色を交えながら話す場面は、渥美清の語りが落語家のような名調子で、スタッフやキャスト達は「寅のアリア」と呼んでいた。
第42作〜48作のうち4作品では、寅次郎の相手となる通常のマドンナに加え、さくらの息子満男(吉岡秀隆)が思いを寄せる泉(後藤久美子)がマドンナとして登場するようになり、寅次郎が満男のコーチ役にまわる場面が多くなり、満男が事実上の主役になっている。渥美が病気になり快活な演技ができなくなったため、満男を主役にしたサブストーリーを作成、満男の恋の相手が必要になったため、当初は予定されていなかった泉が登場することとなる。山田監督の話によれば実現しなかった第49作で二人の結婚を描く予定だったが[40]、その後の第50作ではそれぞれ別の人物と結婚している。
レギュラーとして登場する人物は、寅次郎、さくらのほか、さくらの夫・諏訪博、草団子店を経営する叔父・竜造と叔母・つね、博が勤務する中小企業の印刷会社「株式会社朝日印刷所[注 9]」の社長で寅次郎の幼馴染・タコ社長こと桂梅太郎[注 10]、帝釈天の御前さま、寺男で寅次郎の舎弟・源公などがいた。マドンナとして複数回登場した女優もいるが、リリー、歌子(吉永小百合)、泉以外は、別人の役で出演している。おいちゃんこと叔父・竜造役は初代が森川信、2代目は松村達雄、3代目は下條正巳が演じた。その他、毎回役柄は違うものの、サブキャラクターとしてレギュラー出演する俳優も多く存在した。
青年時代に、実際にテキ屋体験がある渥美ならではの見事な口上も、ファンの楽しみであった。また、このシリーズは原則としてお盆と正月の年2回公開されたが、お盆公開の映画の春から夏への旅は、南から北へ、正月公開の秋から冬への旅は、北から南へ旅することが多かった[41]。画面に映し出される日本各地の懐かしい風景が、シリーズの魅力の一つでもある。
なお、第48作まで一貫してエンドロール表示は設定されず、出演キャストや制作スタッフ等の字幕表示はオープニングでされた。また日本映画の主流がビスタサイズ画面やドルビーステレオ音響に移り変わった後でもシネマスコープ、モノラル音声を使用し続けていた[注 11]。
蓮實重彦は「寅さんが出て来たことによって、いかに松竹の多くの才能・新人監督が消えているかということ。実際に出て来ていながらも社会的に抹殺されていたかということは、おさえておかなければいけないと思う」と評している[42]。
「男はつらいよ」 | ||||||||
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渥美清 の シングル | ||||||||
B面 | チンガラホケキョーの唄 | |||||||
リリース | ||||||||
ジャンル | 歌謡曲 | |||||||
レーベル | 日本クラウン | |||||||
作詞・作曲 |
星野哲郎(詞)[68] 山本直純(曲)[68] | |||||||
渥美清 シングル 年表 | ||||||||
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同名の主題歌レコードは1970年2月に日本クラウンから発売され、シングルで38万枚のセールスを記録した[68]。売り上げこそ1970年代の曲としては平凡だが、映画の主題歌としては息の長い曲となった。曲の前口上は非常に有名である。
元々はテレビ版の主題歌であり、当初の歌い出しは、妹が嫁に行けないことを嘆く内容だった。しかし、妹・さくらが結婚したため、自分がヤクザ者だと自嘲する歌詞に変更された。
1996年12月公開の『虹をつかむ男』ではEDとして途中まで流され、後のアニメ『男はつらいよ〜寅次郎忘れな草〜』でも主題歌として使われた。
渥美逝去後の第49作『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇』では八代亜紀が、第50作『男はつらいよ お帰り 寅さん』では桑田佳祐がそれぞれ主題歌を歌った。
沢知恵がアルバム『いいうたいろいろ2』の中でカバーしている他、玉置浩二や桑田佳祐(『THE ROOTS 〜偉大なる歌謡曲に感謝〜』収録)もカバーしている。
2017年8月26日からは、北総鉄道北総線新柴又駅の発車メロディとして本曲が使用されている[69]。
テレビではこれまでに幾度か48作もしくは特別篇含む49作、2021年以降は全50作が続けて放送されている。2001年 - 2003年に、テレビ東京系列で、2005年 - 2007年には、NHK-BS2で48作が放送された。2011年 - 2012年には、WOWOWで当時の全作品である49作が初めてハイビジョン画質で放送されている。2013年10月から1年間をかけてBSジャパン(現・BSテレ東)にて「土曜は寅さん!」枠で49作品の放送が行われた(2015年、2017年、2018年、2020年、2021年にアンコール放送)他、衛星劇場の「松竹チャンネル」内でも放送されている。 また50作は2021年にBSテレ東で初めて放送された。
『男はつらいよ』シリーズの撮影はほぼ日本全国で行われているが、高知県と富山県と埼玉県では撮影が行われていない。ただし埼玉県は第14作のオープニングで秩父市美の山公園から秩父の山々を撮影しており、高知県では第49作の撮影が決定していた。また、セリフ上では第8作で高知へ行ったということになっている。また、第50作目の舞台は富山県が最有力候補であった[79]。群馬県に縁がなかったかに思えるが、第14作「寅次郎子守唄」及び第25作「寅次郎ハイビスカスの花」ではスポット的に登場している。高知県と富山県では後に、『男はつらいよ』以後松竹の看板映画シリーズになった『釣りバカ日誌』において、連続して撮影が行われた。
海外でのロケは第24作「寅次郎春の夢」(アメリカ合衆国)と第41作「寅次郎の心の旅路」(オーストリア)の二作品である。前者はアメリカに寅さんは登場していないが、予告編撮影と現地挨拶のため渥美は渡米している[118][注 42]。
2001年(平成13年)8月4日、奇しくも渥美清の5回目の命日に、柴又八幡神社古墳において帽子や顔の輪郭などが「寅さん」にそっくりな埴輪の頭部が出土した[119]。その後、複製が寅さん記念館に展示された。この埴輪は下総型人物埴輪と呼ばれる6世紀後半のもので、大きさは約35cmで、この埴輪を見た山田洋次は驚いたという[119]。新聞で紹介されたときは「君は寅さんのご先祖様かい?」という見出しがついた。なお「寅さん埴輪」は、柴又八幡神社古墳から出土した他の埴輪とともに、「柴又八幡神社古墳出土埴輪」として、2011年(平成23年)6月9日に東京都指定有形文化財に指定されている[120]。
また、奈良時代の721年(養老5年)に作成された『下総国葛飾郡大嶋郷戸籍』(正倉院文書)には、現在の葛飾区に比定される大嶋郷に「刀良」(とら)という男性と「佐久良売」(さくらめ)という名の女性が記されており[121]、これも『男はつらいよ』にちなんで言及されることがある。
「男はつらいよ」シリーズには、繰り返し使用されるセリフが多数ある。以下はその代表例である。
渥美清没後2年の命日を記念して、1998年8月7日19時に、高井研一郎作画のコミック版を元に、映画シリーズ第11作の『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』をベースにした『アニメ 男はつらいよ〜寅次郎忘れな草〜』が、TBS『金曜テレビの星!』で放送された。
視聴率は7.1パーセント(ビデオリサーチ調べ、関東地区)であった。
『けっこう毛だらけ-小説・寅さんの少年時代』(けっこうけだらけ しょうせつ とらさんのしょうねんじだい)は、山田洋次による日本の小説。『男はつらいよ 寅さんDVDマガジン』創刊号の第1号より最終号の第50号まで連載された。
映画シリーズの監督や脚本を務めた山田により、執筆される[124]。映画版のストーリーを単純にそのままノベライズしたものではなく、主人公の車寅次郎の少年時代を描いた完全なオリジナルストーリーとなる。映画でも断片的に語られたことはあったが寅次郎の出生時の逸話が描かれるなど[124]、小説版によって初めて明かされる設定なども少なくない。寅次郎の少年時代を中心にストーリーが展開するため、時代設定は映画版よりかなり前となっている[124]。なお、山田が小説を執筆するのは、本作が初めてとなる[124]。なお、本作は主人公が一人称で語る形式を採るため、山田は他の一人称の作品を参考に研究を重ね、工夫を凝らした[124]。
その後、改稿・加筆を経て『悪童 小説 寅次郎の告白』(ワルガキ しょうせつ とらじろうのこくはく)と改題し、講談社より2018年9月7日に刊行、『少年寅次郎』と題してNHK総合テレビ「土曜ドラマ」で2019年にテレビドラマ化された。
「みんなの寅さん」と題し、山田洋次監督50周年プロジェクトと文化放送開局60周年の企画として、2011年4月4日より2013年3月29日まで文化放送で『吉田照美 ソコダイジナトコ』の箱番組として午前8時13分頃~8時20分頃に放送していた。月曜から水曜は歴代マドンナやファンを招いてのトーク、木曜と金曜は前述の小説『けっこう毛だらけ』を倍賞千恵子による朗読で放送していた[注 43]。また、2011年10月9日より2012年4月1日まで本放送を聴く事が出来ないリスナーのために、本放送を再編集した『みんなの寅さん日曜版』を日曜日9時30分から9時55分の25分番組として放送していた。
2013年4月より週一回化されて『続・みんなの寅さん』とタイトルを改め、同年4月7日より9月29日まで日曜日16時00分~16時30分の30分番組となるが、同年10月6日から2014年3月30日までは放送枠を変更して17時00分〜17時27分の27分番組に。2014年4月6日から9月28日まで『新・みんなの寅さん』へとタイトルを改めたが、同年9月30日からタイトルを『みんなの寅さん』に戻して火曜日19時05分〜19時15分の10分番組として2015年3月24日まで放送し、同年4月4日から土曜日6時40分〜6時50分に放送枠を再度変更と続いてきたが、2016年9月24日放送分をもって終了することになった。
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