文化功労者顕彰に際して公表された肖像写真 | |
誕生 |
1929年12月8日あるいは1930年1月2日 日本統治下朝鮮・京城府(現・ソウル)[1] |
職業 | 小説家 |
言語 | 日本語 |
国籍 | 日本 |
最終学歴 | 東京女子大学中退[1] |
活動期間 | 1972年 - |
ジャンル | 幻想小説、推理小説 |
代表作 |
『壁・旅芝居殺人事件』(1984年) 『恋紅』(1986年) 『薔薇忌』(1990年) 『死の泉』(1997年) 『開かせていただき光栄です』(2011年) |
主な受賞歴 |
学研児童文学賞(1970年) 小説現代新人賞(1973年) 日本推理作家協会賞(1985年) 直木三十五賞(1986年) 柴田錬三郎賞(1990年) 吉川英治文学賞(1998年) 本格ミステリ大賞(2012年) 日本ミステリー文学大賞(2013年) 毎日芸術賞(2022年) |
デビュー作 | 『海と十字架』(1972年) |
親族 |
塩谷信男(父) 塩谷信幸(弟) 塩谷隆志(弟) 木崎さと子(従妹) 福田陽一郎(再従弟) |
ウィキポータル 文学 |
1929年12月8日[2]あるいは1930年1月2日[3] -)は、日本の小説家。様々なジャンルにわたる創作活動を行うが、中井英夫や赤江瀑などの作家への敬愛から生まれた幻想文学、または幻想的なミステリにおいて知られる。
(みながわ ひろこ、父は正心調息法の創始者の医師で、心霊研究者でもあった塩谷信男。父の影響で幼少期に霊媒をさせられたこともあるという。弟に北里大学医学部名誉教授の塩谷信幸、伝奇・SF作家の塩谷隆志、 再従弟に脚本家・演出家の福田陽一郎がいる。木崎さと子は従妹(母の兄の次女)で、少女時代に文学教育をほどこした。
『海と十字架』で児童文学作家としてデビューした後、推理小説・サスペンスに転向。当初は男女の奇縁を現代的な道具立てを用いてサスペンスフルに描く作風だったが、『光の廃墟』で浪漫的な異国譚、『花の旅 夜の旅』でトリッキーな本格ミステリに挑むなど、後年の作品に続く志向もみせている。
80年代は幻想文学にも創作をひろげているが、編集者にノベルスブームへの迎合を依頼されて、一般的な「ミステリー」の創作をおこなうこともあった。
新本格ミステリのムーヴメント以降再評価が始まり、千街晶之・東雅夫・日下三蔵の三名によってアンソロジーが編まれたり、文庫での再版も行われている。同時に新作の執筆も活発化し、80代とは思えぬペースでの発表が続いている。
太字が受賞したもの
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
「」内が皆川博子の作品
角川書店
文藝春秋
中央公論新社
集英社
講談社
光文社
新潮社
祥伝社
東京創元社
白泉社文庫
ハヤカワ文庫―クリスティー文庫
本の雑誌社
徳間書店
龜鳴屋
河出書房新社
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