矯 順(きょう じゅん、キェウ・トゥアン、ベトナム語:Kiều Thuận / 矯順、生年不詳 - 太平元年(970年))は、ベトナム十二使君の一人。矯令公(ベトナム語:Kiều Lệnh Công / 矯令公)とも称された。
矯公羨の孫。矯公罕の弟にあたる。祖父の死後呉権に仕えた。呉朝の衰退に乗じて回湖(現在のフート省カムケー県)を拠点に自立したが、丁部領に敗れて降伏した。
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