石子詰め

石子詰め(いしこづめ)は、日本中世近世刑罰私刑のひとつ。

概略

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興福寺菩提院大御堂に残る三作石子詰の旧跡

地面に穴を掘り、首から上だけ地上に出るように、人を生きたまま入れ、その周囲に多くの小石を入れ、石の重みで徐々に圧死させるというもの(罪人を穴に落としてその上に石を載せ続けて殺すとも)。

刑罰としては古代から江戸時代初期頃まで存在し、越後国上杉家で行なわれた記録が残る。ほか、『俚諺集覧』には「小石にて人を生きながら埋める刑なり、中古辺土にて往々ありしことなり」と記されている。また、寛永5年(1628年)、奈良春日社狛犬を盗んだ山伏飯合川で石子詰めにした記録がある。春日野で神の使いである鹿を殺した犯人は、興福寺で石子詰めにされたといい、同寺の菩提院大御堂には、その刑が行われたとされる旧跡がある[1]奈良の鹿も参照)。その後、江戸時代中期になって公事方御定書が発布され、その中で処刑方法が鋸挽き斬首などに定められて以降は、刑罰としては廃れていった。

また、私刑として行なわれた。

脚注

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注釈

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出典

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