石渡清元 いしわた きよはる | |
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生年月日 | 1940年12月9日 |
出生地 |
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没年月日 | 2014年1月20日(73歳没) |
死没地 |
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出身校 | 慶應義塾大学商学部卒業 |
所属政党 | 自由民主党 |
称号 |
従四位 旭日重光章 |
選挙区 | 神奈川県選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1989年7月23日 - 2001年7月22日 |
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在任期間 | 1985年5月 - 1986年5月 |
選挙区 | 横浜市南区選挙区 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 1971年 - 1989年 |
石渡 清元(いしわた きよはる、1940年12月9日[1] - 2014年1月20日[2])は、日本の政治家。元参議院議員(2期)。位階は従四位。
横浜市南区生まれ[3]。小学校卒業後、栄光学園中学・高校で学ぶ[3]。1963年、慶應義塾大学商学部を卒業し、病院に入職、その後理事長となる[4]。1971年の統一地方選挙で横浜市南区選出県議に当選[注釈 1]。1985年に県議会議長に就任[6]。1987年の県議選5度目の当選を果たす。
1988年11月12日、自民党神奈川県連は、翌年の第15回参議院議員通常選挙神奈川県選挙区(改選数2)の候補者に関し第4回選考委員会を開き、党公認候補に石渡を選んだ。同選挙区は改選期を迎えた杉元恒雄が病気療養のため出馬を辞退。前年11月の補選で当選した佐藤謙一郎も衆院選転身を望み、不出馬を表明していた。候補には8人が名乗りをあげたが、党県連会長の小此木彦三郎の絞り込み調整で一本化が図られた[7][要ページ番号]。
1989年の参院選神奈川県選挙区に自民党公認・中曽根派新人候補として出馬し参院初当選。1991年の自民党総裁選では渡辺美智雄を全面的に支援。1992年夏に労働政務次官就任[8]。1995年の第17回参議院議員通常選挙で再選[9]。
1999年3月、志帥会旗揚げに参加。2001年の第19回参議院議員通常選挙には出馬せず、政界を引退した。
2011年、秋の叙勲で旭日重光章を受章[2]。2014年1月20日13時13分、心不全のため横浜市の病院で死去した[2]。73歳没。歿日付で従四位。
議会 | ||
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先代 松谷蒼一郎 |
![]() 1999年 - 2000年 |
次代 溝手顕正 |