神産み(かみうみ)とは、『日本神話』にて伊邪那岐命・伊邪那美命が国産みの後、神々を生み出したことを指す。
伊邪那岐命・伊邪那美命はさまざまな神々を生み出したが、火の神火之迦具土神を出産した際に伊邪那美命は火傷で死ぬ。そのため伊邪那岐命は怒って火之迦具土神を十拳剣で切り殺した(この剣からしたたった血からまた神々が生まれる)。伊邪那岐命は伊邪那美命に再び会うため黄泉の国へ赴くが、伊邪那美命は変わり果てた姿になっていたため、おののいた伊邪那岐命は逃げた。伊邪那岐命は黄泉のケガレを清めるために禊ぎをしたが、このときもさまざまな神々が生まれた。最後に生まれた天照大御神(日の神、高天原を支配)・月読命(月の神、夜を支配)・須佐之男命(海を支配)は三貴神と呼ばれ、伊邪那岐命に世界の支配を命じられた[1]。
大八洲国やその他の小さな島々を産んだ伊邪那岐命・伊邪那美命は次に神々を産んだ。ここで産まれた神は家宅を表す神および風の神・木の神・野の神といった自然にまつわる神々である[2]。
伊邪那岐命は伊邪那美命の死に涕泣したが、この涙から神がまた生まれた[3]。
伊邪那岐命は伊邪那美命を出雲国と伯伎国(伯耆国)の境にある比婆(ひば)の山(現在の島根県安来市域内)に葬った。妻を失った怒りから伊邪那岐命は火之迦具土神を十拳剣で切り殺した。この剣に付着した血からまた神々が生まれる。なお、この十拳剣の名前を「天之尾羽張(あめのをはばり)」、別名を「伊都之尾羽張(いつのをはばり)」という[4]。
また、殺された迦具土神の体からも神々が生まれた[5]。
黄泉に着いた伊邪那岐命は、戸越しに伊邪那美命に「あなたと一緒に創った国土はまだ完成していません。帰りましょう」と言ったが、伊邪那美命は「黄泉の国の食べ物を食べてしまったので、生き返ることはできません」と答えた(注:黄泉の国のものを食べると、黄泉の住人になるとされていた。これを「黄泉竈食ひ(よもつへぐい)」という)。さらに、伊邪那美命は「黄泉神と相談しましょう。お願いですから、私の姿は見ないで下さいね。」といい、家の奥に入った[7]。
伊邪那岐命は、伊邪那美命がなかなか戻ってこないため、自分の左の角髪(みずら)につけていた湯津津間櫛(ゆつつなくし)という櫛の端の歯を折って、火をともして中をのぞき込んだ。すると伊邪那美命は、体は腐って蛆がたかり、声はむせびふさがっており、蛇の姿をした8柱の雷神(八雷神)がまとわりついていた。雷神の名は以下の通り[8]。
おののいた伊邪那岐命は逃げようとしたが、伊邪那美命は自分の醜い姿を見られたことを恥じて、黄泉醜女(よもつしこめ)に伊邪那岐命を追わせた[8]。
伊邪那岐命は蔓草(つるくさ)を輪にして頭に載せていたものを投げ捨てた。すると葡萄の実がなり、黄泉醜女がそれを食べている間、逃げた。しかしまだ追ってくるので、右の角髪(みずら)につけていた湯津津間櫛(ゆつつなくし)という竹の櫛を投げた。するとタケノコが生え、黄泉醜女がそれを食べている間、逃げた[9]。
伊邪那美命はさらに、8柱の雷神と黄泉軍に伊邪那岐命を追わせた。伊邪那岐命は十拳剣で振り払いながら逃げ、ようやく黄泉の国と地上の境である黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本に着いたとき、坂本にあった桃の実を3つ投げたところ、追ってきた黄泉の国の悪霊たちは逃げ帰っていった[9]。
ここで伊邪那岐命は、桃に「人々が困っているときに助けてくれ」と言って、意富加牟豆美命(おほかむずみのみこと)と名づけた[10]。
最後に伊邪那美命本人が追いかけてきたので、伊邪那岐命は千人がかりでなければと動かないような大岩で黄泉比良坂をふさぎ、悪霊が出ないようにした。その岩をはさんで対面してこの夫婦は別れることとなる[11]。
このとき伊邪那美命は、「私はこれから毎日、一日に千人ずつ殺そう」と言い、これに対し伊邪那岐命は、「それなら私は人間が決して滅びないよう、一日に千五百人生ませよう」と言った。これは人間の生死の由来を表している[12]。
このときから、伊邪那美命を黄泉津大神(よもつおほかみ)、また坂道を追いついたから道敷大神(ちしきのおほかみ)とも呼び、黄泉比良坂をふさいだ大岩を道返之大神(ちかへしのおほかみ)・黄泉戸大神(よみとのおほかみ)ともいう。なお、古事記では、黄泉比良坂は出雲国の伊賦夜坂(いふやのさか;現在の島根県松江市の旧東出雲町地区)としている[12]。
伊邪那岐命は黄泉の穢れから身を清めるために、竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘の小門(をど)の阿波岐原(あはきはら;現在の宮崎県宮崎市阿波岐原町)で禊を行った。衣を脱ぐと十二神が生まれた[13]。
「上流は流れが速い。下流は流れが弱い」といって、最初に中流に潜って身を清めたとき、二神が生まれた。この二神は黄泉の穢れから生まれた神である[14]。
次に、その禍(まが)を直そうとすると三神が生まれた[14]。
水の底で身を清めると二神が生まれた[14]。
水の中程で身を清めると二神が生まれた[14]。
水の表面で身を清めると二神が生まれた[14]。
底津綿津見神・中津綿津見神・上津綿津見神は、これら三神の子の宇都志日金析命(うつしひかなさくのみこと)の子孫である阿曇連らに信仰されている。底筒之男神・中筒之男神・上筒之男神は墨江(住吉大社)の三柱の大神(住吉三神)である[14]。
左の目を洗うと天照大御神(あまてらすおほみかみ)が生まれた。右の目を洗うと月読命(つくよみのみこと)が生まれた。鼻を洗うと建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)が生まれた。伊邪那岐命は最後に三柱の貴い子を得たと喜び、天照大御神に首飾りの玉の緒を渡して高天原を委任した。その首飾りの玉を御倉板挙之神(みくらたなのかみ)という。月読命には夜の食国(をすくに)を、建速須佐之男命には海原を委任した[15]。
第五段の本文では、伊弉諾尊・伊弉冉尊は大八洲国を産み終えたあと、海(うなはら)、川、山を産み、次に木祖(きのおや)である句句廼馳(くくのち)、草祖(かやのおや)である草野姫(かやのひめ)を生んだ。またの名は古事記と同様に野槌(のづち)とある。
そして、両神ともに日神(ひのかみ)を生みその神が大日孁貴(おほひるめのむち)である。次に月神(つきのかみ)を生み、次に蛭児(ひるこ)を生んだ。三歳になっても脚が立たなかったので天磐櫲樟船(あめのいはくすふね)に載せて風のままに放ち棄てたとある。最後に素戔嗚尊(すさのを)を生んでいる。
第五段の一書(一)では、伊弉諾尊が、左手で白銅鏡(ますみのかがみ)を持ったときに大日孁貴が成り出で、右手で白銅鏡を持ったときに月弓尊が成り出で、また首を回して振り返ったときに素戔嗚尊が成り出でたとある。
そして大日孁貴と月弓尊は、ともに性質が明るく麗しかった。そこで天下(あめのした)を照らすようにさせた。素戔嗚尊は残虐な性質だったので降(くだ)して根国を治めさせたともある。
第五段の一書(二)では、日月がすでに生まれ、次に蛭児を生んだが、三歳になっても脚が立たなかった。次に素戔嗚尊を生んだ。天磐櫲樟船を生んだ。すぐにこの船に蛭児を載せて、流れのままに放ち棄てた。
次に火神の軻遇突智(かぐつち)を生んだが、伊弉冉尊は軻遇突智に焼かれて死ぬ間際、臥しながら土神(つちのかみ)の埴山媛(はにやまひめ)と水神(みづのかみ)の罔象女(みつはのめ)を生んだ。そして軻遇突智が埴山姫を娶(めと)り、稚産霊(わくむすひ)を生んだ。この神の頭の上に蚕と桑が生じ、臍(へそ)の中に五穀が生じたとある。
第五段の一書(三)では、伊弉冉尊が火産霊(ほむすひ)を生んだ時、子のために焼かれて亡くなろうとする時に、水神の罔象女と土神の埴山媛を生み、また天吉葛(あめのよさつら)を生んだとある。
第五段の一書(四)では、伊弉冉尊が火神の軻遇突智を生もうとする時に、熱に苦しんで嘔吐し、これが金山彦(かなやまひこ)となり、小便が罔象女(みつはのめ)となり、大便が埴山媛(はにやまひめ)となったとある。
第五段の一書(五)では、伊弉冉尊が火神を生んだ時に焼かれ神去られた後、熊野に葬られた旨が記載される。
第五段の一書(六)では、伊弉諾尊と伊弉冉尊はともに大八洲國(おほやしまのくに)を生んだ後、以下の神を生んでいる。
そして十握劒(とつかのつるぎ)で軻遇突智を斬り、剣の鍔から滴った血がそそいで神となった。以下がその神である。
あるいは、
その後、伊弉諾尊は黄泉に入り、伊弉冉尊と話し合った。古事記と同様の展開があり、泉津醜女(よもつしこめ)や泉津日狭女(よもつひさめ)に追われて逃げ切り、古事記と同様に伊弉冉尊と絶縁を誓った。その時に伊弉諾尊が投げたものが以下の神となる。
その後、古事記と同様に禊に移り以下の神を生み出す。
そうした後、
第五段の一書(七)では、伊弉諾尊が軻遇突智を斬り、3つに分断した。以下が軻遇突智からなった神である。
また、軻遇突智を斬った時に、その血がそそいで天八十河(あめのやそのかは)の河原の多くの岩々を染めた。磐裂神と根裂神がその血から成り出でた神である。その子が磐筒男と磐筒女であり、その子の經津主神(ふつぬし)である。
第五段の一書(八)では、伊弉諾尊が軻遇突智を斬って5つに分断し、それぞれが5つの山祇(やまつみ)となった。以下が5つの山祇である。
第五段の一書(九)では、古事記と同様に伊弉冉尊の話し合い、伊弉諾尊は暗かった為一片之火(ひとつび)を灯した。すると、伊弉冉尊の身体は膨れあがっていて、その上に八色雷公(やくさのいかづち)がいた。伊弉諾尊は驚いて逃げた。すると、八色雷公が追って来た。その時、伊弉諾尊は道端の大きな桃の木の下に隠れ、桃を八色雷公に投げつけると、皆逃げていった。ただ、この桃に古事記のような名は無い。以下が八色雷公の配置である。
八色雷公を近づけさせないため、伊弉諾尊は杖を投げた。その杖を岐神(ふなと)と言う。本来は来名戸之祖神(くなとのさへのかみ)と言ったとある。
第五段の一書(十)では、黄泉の国での伊弉諾尊と伊弉冉尊のやり取りの後、伊弉諾尊が吐いた唾之神(つばのかみ)が速玉之男(はやたまのを)となり、伊弉諾尊が「縁を切ろう」と誓い掃った神が泉津事解之男(よもつことさかのを)となる。共に熊野三山に関連する神である。
そして、泉平坂にて、伊弉諾尊に黄泉の道の番人が、伊弉冉尊の伝言を伝える。その直後菊理媛神(くくりひめ)がまた申し上げる。伊弉諾尊はこれを聞いて誉め、その場を去って、古事記と同様に禊に移る。以下が伊弉諾尊が吹き出して生んだ神である。
以上が日本書紀の神産みである。次は本文の第六段・誓約に繋がる。