神田多町

日本 > 東京都 > 千代田区 > 神田多町
神田多町
神田多町の位置(東京23区内)
神田多町
神田多町
神田多町の位置
北緯35度41分39.36秒 東経139度46分8.44秒 / 北緯35.6942667度 東経139.7690111度 / 35.6942667; 139.7690111
日本の旗 日本
都道府県 東京都
特別区 千代田区
地域 神田地域
人口
2017年(平成29年)12月1日現在)[1]
 • 合計 859人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
101-0046[2]
市外局番 03[3]
ナンバープレート 品川

神田多町(かんだたちょう)は、東京都千代田区の地名。現行行政地名としては、神田多町二丁目のみが存在する。住居表示未実施地域。郵便番号は101-0046[2]

地理

[編集]

千代田区の北部に位置し、町域東部は神田須田町神田鍛冶町に、西部は神田司町に、南部は神田警察通りを境に内神田に、北部は神田須田町と接している。かつては一丁目も存在したが、1966年に住居表示が行われ、一丁目は内神田三丁目の一部となった。

町内中央を南北に多町大通りが、また東西に一八通りが通っている。商業地域で、オフィスビルや商店などが多く見られるほか、近年ではマンションも多くなってきている。

歴史

[編集]

1606年慶長11年)に起立した古町である。慶長年間に名主の河津五郎太夫が二丁目に菜市を開き、明暦の大火後規模を拡大し、御用市場となって発展した。近代に入っても神田青物市場として繁栄を続けたが、関東大震災で壊滅し、1928年昭和3年)秋葉原に移転、3世紀余りの歴史を終えた。

1911年明治44年)神田の冠称を外す。1933年(昭和8年)の区画整理により、竪大工町と新石町の一部を併せて新しく多町一丁目とし、元の多町町域を多町二丁目とした。1947年(昭和22年)神田区が千代田区に合併すると同時に冠称を復した。1966年(昭和41年)の住居表示により一丁目は内神田となったが、住民反対運動により二丁目は未実施である。

地名の由来

[編集]

もと田地だったことに由来する。当初田町と書かれ、市の繁栄に伴い字を改めたというが、改名の年代は不明である。メッタ町の俗称もあった。

世帯数と人口

[編集]

2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
神田多町二丁目 607世帯 859人

小・中学校の学区

[編集]

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[4]。なお、千代田区の中学校では学校選択制度を導入しており、区内全域から選択することが可能[5]

丁目 番地 小学校 中学校
神田多町二丁目 全域 千代田区立千代田小学校 千代田区立麹町中学校
千代田区立神田一橋中学校

交通

[編集]

町域内に鉄道駅はないが、北西部方面では地下鉄丸ノ内線淡路町駅や、都営新宿線小川町駅千代田線新御茶ノ水駅が、南東部方面では神田駅がそれぞれ至近であり、また徒歩圏内に秋葉原駅御茶ノ水駅があるなど、交通の便は良い。

施設

[編集]

出身・ゆかりのある人物・小説

[編集]
  • 阿部定(芸者、情痴殺人者、阿部定事件の犯人)
  • 「神田滅多町の女」飯島耕一 1996「『虚栗』の時代」1998所収
  • *好色一代男西鶴 (刊三 木綿布子も仮の世「江戸滅多町にてしのびちぎりをこめし清林がつれし米かみ」)

脚注

[編集]
  1. ^ a b 町丁別世帯数および人口(住民基本台帳)”. 千代田区 (2017年12月6日). 2018年1月2日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2019年8月30日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2018年1月2日閲覧。
  4. ^ 区立小学校の通学区域”. 千代田区 (2017年8月17日). 2018年1月2日閲覧。
  5. ^ 区立中学校の通学区域と学校選択”. 千代田区 (2017年10月26日). 2018年1月2日閲覧。

外部リンク

[編集]