『秋』(あき、フランス語: L'Automne)は、エドゥアール・マネが1882年に制作した絵画[1]。
この作品は、アントナン・プルーストがエドゥアール・マネに委嘱した四季を主題とする4点の連作のひとつとして制作されたが、マネは本作と『春』の2点を制作しただけで死去した[2]。
本作は、1883年にマネが死去するまで、彼の手元に置かれていた。最初に公開されたのは、1884年1月にエコール・デ・ボザールでマネの回顧展に展示された折であった。本作は、マネの遺産管理者によって、同年2月2日から3日にかけてオテル・ドロー(フランス語版)でオークションにかけられた[3]。番号21が付けられ本作には、1,550フランで落札された。落札者はジャコブ (Jaob) という画商であった[4]。
この画商が誰の意向を受けて落札したのかは、はっきりしていない[5]。もしかすると、レオン・レーンホフ(ドイツ語版)が主張するように、画商は、オペラ歌手ジャン=バプティスト・フォーレ(フランス語版)の代理で本作を買ったのかもしれない[6]。フォーレはその後、本作を、この作品のモデルを務めたメリー・ローラン(フランス語版)に贈ったか、売り渡したのであろう。しかし、メリー・ローラン自身が、ジャコブに購入を依頼した可能性もある[7]。
メリー・ローランは、死ぬまでこの絵画を所有し、故郷ナンシーのナンシー美術館にこの絵を遺贈した[2]。本作は、マネの絵画作品が地方の博物館の所蔵となる最初の事例となった[2][7]。この遺贈を受けて、東部芸術協会 (Société Artistiques de l'Est) は本作を、「印象派の巨匠による主要な作品のひとつ (une des œuvres capitales du maître impressioniste)」、「19世紀の美術史における逸品 (marqué une date dans l'histore de l'art au XIXème siècle)」と表現した[8]。
マネは、ウォルトのペリース(フランス語版)を身にまとったメリー・ローランをモデルとし、ポーズを取らせた横顔を、イタリアのルネサンス期の肖像画のように描いた[2]。彼女は日本製の布地の前に置かれており、背景の青い色調と服装の栗色が、彼女のバラ色の顔色を引き立てている[2]。
- ^ Musée des Beaux-arts de Nancy. “Un peintre et son modèle” (フランス語). Musée des Beaux-arts de Nancy. 2019年3月25日閲覧。
- ^ a b c d e “Le musée des beaux-arts de Nancy : nouveau parcours des collections”. Dossier de l'art (202). (2012).
- ^ Réunion des Musées Nationaux Paris und Metropolitan Museum of Art New York: Manet, S. 537.
- ^ Julius Meier-Graefe: Edouard Manet, S. 320.
- ^ Mikael Wivel: Manet, S. 150.
- ^ Mikael Wivel: Manet, S. 151.
- ^ a b Réunion des Musées Nationaux Paris und Metropolitan Museum of Art New York: Manet, S. 491.
- ^ Verlautbarung vom Januar 1903: „M. le Maire de nancy vient d'être avisé que le musée de peinture allait entrer en possession régulière de tableau de Manet, l'Automne, qui lui a été légué par Mme Méry Laureent. (...) C'est une bonne fortune pour le Musée des beaux-arts de Nancy, une des œuvres capitales du maître impressioniste. Elle sera pour les élèves de notre école des beaux-arts un intéreeant sujet d'étude, car l'apparition de l'ecole nouvelle a marqué une date dans l'histore de l'art au XIXème siècle.“ zitiert nach Nara Prefectural Museum of Art: Edouard Manet, S. 216.