空へ エヴェレストの悲劇はなぜ起きたか Into Thin Air: A Personal Account of the Mt. Everest Disaster | ||
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著者 | ジョン・クラカワー | |
訳者 | 海津正彦 | |
装幀 | ランディ・ラックリフ | |
発行日 |
1997年 1997年10月1日 | |
発行元 |
ヴィラード・ブックス 文藝春秋 (1997年) | |
ジャンル | ノンフィクション | |
国 | アメリカ合衆国 | |
言語 | 英語 | |
ページ数 | 416 (ハードカバー版) | |
前作 | 荒野へ | |
次作 | 信仰が人を殺すとき | |
コード | ISBN 978-0385494786 | |
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『空へ エヴェレストの悲劇はなぜ起きたか』(そらへ エヴェレストのひげきはなぜおきたか、Into Thin Air: A Personal Account of the Mt. Everest Disaster)は、ジョン・クラカワーによる1997年のノンフィクション書籍である[1]。本書では、登山者8人が死亡した1996年のエベレスト大量遭難でのクラカワーの体験が詳述されている。クラカワーの遠征隊はガイドのロブ・ホールが率いていた。登山当日には他のグループも登頂を目指しており、その中にはホールの会社であるアドベンチャー・コンサルタンツの競合相手であるマウンテン・マッドネスのスコット・フィッシャーの遠征隊も含まれた[2][3]。
クラカワーは何年も登山から離れていたにもかかわらず、最終的に1996年5月のエベレスト遠征に参加する決断を下すに至った経緯を語っている。クラカワーは冒険雑誌『アウトサイド』のジャーナリストであり、当初は純粋に仕事のため、ベースキャンプまで登って商業登山の実態をレポートするだけのつもりであった。しかしながらエベレスト行きというアイデアにより、クラカワーの少年時代の登山の夢が再び呼び起こされ、彼は登頂に向けたトレーニングをするために記事の出版を1年先延ばしにするように編集者に頼み込んだ。
本書は、エベレストでの出来事と、超常への挑戦中に発生した惨事が交互に記されている(1996年の登頂でクラカワーのガイドのロブ・ホールを含む8人の死者を出している。これは1日の山での死者数としては記録上3番目に多い。最多記録は2015年4月のネパール地震の際の21人である)。クラカワーは、エベレストで経験を積んだガイドたちが長年に渡って培ってきた安全対策が、それぞれの顧客を山頂まで導くというライバル企業同士の競争によって損なわれることがあったと結論づけている。
エベレスト登頂についての一部のクラカワーの記述は、参加者の一部やガレル・ローウェルといった登山家からの批判を受けた。批判の多くは、熟練のカザフスタンの高所登山家でフィッシャー隊のガイドを務めたアナトリ・ブクレーエフの登山中の行動についてのクラカワーの説明に対してである。ブクレーエフは救助活動の可能性に備え、顧客の安全を気遣って彼らよりも先に山頂を降りていた。クラカワーは、下山後のブクレーエフの活動は英雄的であった(彼は単独で救助活動を繰り返し、少なくとも登山者2名の命を救った)ことを認めたが、登山中の彼の判断、顧客たちより先に下山するという選択、無酸素登頂するという選択、山での装備の選択、顧客たちとのやりとりに疑問を呈している。ブクレーエフは1997年の自著『デス・ゾーン8848M エヴェレスト大量遭難の真実』でクラカワーの主張に反論している。
登山家のガレン・ローウェルは、クラカワーの説明には多くの矛盾点があると批判し、またブクレーエフが他の登山者の救助を行っていたあいだ、クラカワーはテントで寝ていたと指摘した。ローウェルは、「(ブクレーエフは)キャンプ付近での顧客との問題を予見し、(エベレストの)山頂に他の5人のガイドがいることに気付き、緊急事態に対応できるだけの十分な休息と水分補給の態勢をとった。彼の英雄的行為は偶然ではなかったのだ」と論じた[4]。
クラカワーの記述は、チームのメンバーが毎日正確な天気予報を受け、迫り来る嵐を事前に認知していたことに言及していないことでも批判されている[5][要ページ番号]。
クラカワーは1999年に出版された本書のペーパーバック版の追記で批判の一部に反論している[6]。
本書の映画化権は出版直後にソニーにより購入された[7]。本書は1997年に『エベレスト 死の彷徨』としてテレビ映画化され、ピーター・ホートンがスコット・フィッシャー、クリストファー・マクドナルドがクラカワーを演じた。
バルタザール・コルマウクル監督による2015年の映画『エベレスト 3D』[8]は本書と同じ遭難事件を題材としており、マイケル・ケリーがクラカワーを演じた[7]。コルマウクルによると、この映画はクラカワーの本書には基づいていない[9]。
2000年の文春文庫版以降には、『デス・ゾーン8848M』への反論となる「後記」が追加翻訳されている。