窪川 一雄(くぼかわ かずお、1903年 - 1943年1月3日[1])は、昭和戦前期に活動した日本の天文学者。
東京帝国大学で天文学を専修。東京天文台に技師として勤務した[2]。1929年には及川奥郎とともに小惑星 (1139) 熱海を発見している。
1938年に台湾総督府気象台附属天文台[3]が発足すると、技師[2]・気象台副台長[4](天文台長[1])として台湾に赴任した。この1938年には東亜天文学会台湾支部[5]の第2代支部長に就任した[1]。また、測候技術官養成所の天文学講師を務めるとともに[2]、1939年には民間団体である台湾天体観測同好会の会長にも就任している[2][4]。台湾天体観測同好会では月刊会誌として『南の星』が刊行されており、会長の窪川はほぼ毎号にわたり文章を寄せている。
1942年、新高山で新高山天文台の建設に着手したが、1943年1月に腸チフスによって病没した[1][2]。基礎までつくられた天文台の建設は中断し、そのまま中止された。
なお、彼の功績を称え、窪川の名前のついた小惑星 (6140) 窪川がある[6]。