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この項目では、富山県の自治体について説明しています。碧南市の地名については「立山町 (碧南市)」をご覧ください。 |
立山とミクリガ池
黒部湖(展望台から)
手前の建物が重要文化財の室堂
奥の大きな建物は現在の室堂小屋
立山町(たてやままち)は、富山県中新川郡に属する町である。
日本有数の豪雪地帯で、特別豪雪地帯に指定されている。町域に立山連峰や立山黒部アルペンルートを有し、富山県の山岳観光の最大の拠点となっている他、平野部では常願寺川などの雪解け水を生かした稲作が盛んである。
町域の過半は常願寺川右岸にあり、川を挟んで富山市と向かい合っている。平野部は主に常願寺川扇状地とその隆起台地から成る。山間部は特に立山連峰の山岳信仰と関係が深く、芦峅寺など山岳信仰のガイドが著名な集落も多い。立山カルデラは河川による侵食カルデラで、鳶山崩れの土砂による堰き止め湖が見られる。弥陀ヶ原や室堂は立山火山の活動で形成された溶岩台地で、比較的大規模な高層湿原が広がっており、ミクリガ池などの火口湖が見られる。溶岩台地の末端は切り立った崖となり、日本一の落差を持つ称名滝などを形成した[1]。
隣接している自治体[編集]
- 富山県
- 長野県
- 1819年(文政2年) - 十村(とむら)役 朽木兵左衛門が藩の許可を得て高原野荒れ地の開墾に着手、松本開(まつもとびらき)と称される。五百石の地名は出来した石高に由来すると伝えられている。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、上新川郡松本開、前沢新村、野口新村、本郷島村、西芦原新村、大窪新村、手屋村、宮成新村及び貫田村の区域をもって、上新川郡五百石町が発足する。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 上新川郡の一部の区域をもって、中新川郡が発足する。これに伴い、五百石町の所属は中新川郡に変更される。
- 1942年(昭和17年)6月8日 - 中新川郡大森村、五百石町、下段村及び高野村が合併して、中新川郡雄山町が発足する。
- 1954年(昭和29年)
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 大字赤木、大塚、神田、中村、野徳、野福及び横越の区域を中新川郡上市町に編入する。
- 1963年(昭和38年)11月1日 - 中新川郡立山町の区域の一部を中新川郡上市町に編入する。中新川郡上市町の区域の一部を中新川郡立山町に編入する。
- 1960年 黒四ダム建設もあり31,285人をピークに減少[4]、2022年4月25,021人となっている。[5]
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立山町と全国の年齢別人口分布(2005年)
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立山町の年齢・男女別人口分布(2005年)
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■紫色 ― 立山町 ■緑色 ― 日本全国
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■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性
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立山町(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年)
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27,473人
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1975年(昭和50年)
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27,226人
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1980年(昭和55年)
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27,870人
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1985年(昭和60年)
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27,974人
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1990年(平成2年)
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27,237人
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1995年(平成7年)
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27,444人
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2000年(平成12年)
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27,994人
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2005年(平成17年)
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28,011人
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2010年(平成22年)
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27,466人
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2015年(平成27年)
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26,317人
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2020年(令和2年)
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24,792人
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総務省統計局 国勢調査より
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歴代立山町長[6]
代 |
年 |
氏名 |
備考
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1 |
1954年(昭和29年)2月 |
小泉美世一 |
2期
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2 |
1962年(昭和37年)2月 |
中田 冶重 |
2期
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3 |
1970年(昭和45年)1月 |
堀田三五郎 |
3期
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4 |
1982年(昭和57年)1月 |
冨樫 清二 |
4期
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5 |
2002年(平成14年)1月 |
大辻 進 |
1期
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6 |
2006年(平成18年)2月~ |
舟橋 貴之 |
5期目
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- 子育て支援
- スクールバック2023年度~2025年度新入学の小学生児童にスクールバック無償提供[7]
- 子育て支援に関する各種制度[8]
- 主な企業
- 中越合金鋳工(銅合金製品製造)
- 佐藤鉄工(橋梁・水門建設)
- 立山製紙(古紙100%使用の板紙製造)
- 産業
姉妹都市・提携都市[編集]
立山と名古屋を結ぶ名古屋鉄道「北アルプス号」が岐阜県鵜沼駅での折返し運転から新規に設置された短絡線使用により1972年9月犬山駅が停車駅となったことがきっかけ[10]。(現在短絡線は撤去され道路となっている) 映画「劔岳 点の記」では柴崎家のシーンでは犬山市博物館明治村にある森鴎外・夏目漱石住宅が使用されている。
訪れたくなる町を目指す自治体同士、美しい自然と観光地を抱えていることと環境と歴史・文化など心通じるものがあり提携[11]
江北区は北漢山国立公園(北漢山)を有しており山岳協会員の交流および2004年4月立山町長、町議会議長等の視察から提携に至る[12]
- 2020年9月 国の「GIGAスクール構想」により全児童にWindows note端末 1910台配布
小学校[編集]
中学校[編集]
高等学校[編集]
- 過去に存在した学校
立山駅
町の中心部に一番近いのは富山地方鉄道立山線の五百石駅。
1969年(昭和44年)3月以前富山駅に行く場合、寺田駅での乗換えが必要であったが4月以降は乗換え無しで行くことが可能となった。(立山黒部アルペンルートの開通は1971年(昭和46年))
- 富山地方鉄道
- 立山黒部貫光
立山黒部貫光の各路線は「立山黒部アルペンルート」に含まれる。
バス路線[編集]
- 富山地方鉄道
- 石金経由五百石線(五百石駅前-石金-西町-富山駅前)
- 大泉経由五百石線(五百石駅前-大泉駅前-西町-富山駅前)
- 立山町営バス・ワゴン
- 立山黒部アルペンルート
高速道路[編集]
有料道路[編集]
都道府県道[編集]
- 映画館
1960年(昭和35年)の立山町には銀映劇場と立山劇場の2館の映画館が存在した[13]。1964年の「モスラ対ゴジラ」を多くの地元小学生等が五百石駅前映画館に見に行ったがテレビの普及により廃業となる。
- 雄山中央劇場 - 映画館( - 1950年代)
- 銀映劇場 - 映画館( - 1960年代)
- 松山座(後に、立山劇場) - 映画館(1904年に芝居、演芸、映画などの劇場として創業 - 1960年代にスーパーに転換)[14]
- スキー
- 室堂での立山山岳スキー
- スノーボード・フリースタイルスキーのジャンプやジブを夏冬問わず一年中楽しむために生まれた施設「立山KINGS」[15]
- 芦峅寺スキー場(廃止)
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]
- 観光
- 博物館
- 神社
- 温泉
- 登山
- まつり
- 五百石天満宮・市姫神社春季祭礼(6月11日~13日)
- 立山まつり(7月下旬)
- たてやま特産まつり(11月第2土・日曜)
- その他
ゆるキャラ[編集]
- らいじぃ 北アルプスに生息する「ライチョウ」をモチーフにしたキャラクター 氷河期生まれ。2013年4月16日20,001歳の誕生日[21][22]
- らいらい らいじぃの孫娘
出身著名人[編集]
立山町を舞台・ロケ地とした放送、作品[編集]
- 1966年12月10日 映画「大魔神逆襲」奈良県大台ヶ原以外に雪の立山連峰で撮影が行われている
- 2002年8月10日 映画「釣りバカ日誌13」雪の大谷、スキー(天狗平)
- 2009年6月20日 映画「劒岳 点の記」富山駅として岩峅寺駅で撮影[23]
- 2011年12月3日 映画「RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ」岩峅寺駅 幼馴染(明香)との再会
- 2014年6月14日 映画「春を背負って」菫小屋(立山大汝休憩所)[24]
- 2016年5月26日 NHK 【中井精也の鉄道写真旅】「富山 富山地方鉄道(立山線)」水田に写る立山連峰
- 2021年5月28日 NHK-BS にっぽん縦断「こころ旅・立山町」釜ヶ淵駅
- 2021年9月25日 NHK 【中井精也の絶景てつたび】「夏の富山 海と山と大地と」室堂からの富山地鉄撮影
立山町、立山連峰関連のニュース、切手[編集]
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- ニュース
- 1999年 全国で車の希望ナンバー制度開始。立山の標高3015mにちなんで、立山町公用車にも使用された(立山町広報)。富山3015は富山県民でナンバー登録する人がいるが富士山3776のように抽選対象とはなっていない。(立山3015の要望があるが、立山町車両登録台数は令和2年1万2千台で国のご当地ナンバー基準を満たしていない)[25]
- 2010年 東京都内にある銭湯の背景画(ペンキ絵)に迫力のある立山連峰が登場[26] (注:定期的に塗り替えが必要であるとともに廃業した銭湯もあり、現在は見ることが出来ない)[要出典]
- 2022年 - ふるさと納税制度を利用して立山駅前の無電柱化 看板の統一が行われる[27]
- 2024年1月1日 能登半島地震(津波警報)により「想定外」の避難者続出 富山市沿岸部の住民が海のない立山町に殺到、立山駅に大山町スキー場から外人スキー客。町総合公園駐車場(標高91m)が車で一杯,役場(標高67m)に数名避難[28][29]
- 2024年4月 立山町図書館マイナンバーカード対応全国初 マイナンバーをかざすと予約本ロッカーが開く[30]
- 2024年4月26日 - 小学生から町長への手紙がきっかけで2015年から9年間書店ゼロであったが町役場敷地内に書店併設型コンビニ誕生(行政誘致全国初,県産の立山杉使用。昭和時代には立山町で本屋2店舗が競い合っていた)[31]
- 切手
- 1952年2月12日 立山航空切手 剣岳と飛行機(DC-4)の合成図柄(6種:55 75 80 85 125 160円)
- 1990年4月18日 ふるさと切手 立山・称名滝切手 62円 600万枚
- 2000年4月28日 ふるさと切手 立山連峰とチューリップ畑 50円[32]
- 2000年9月1日 第55回国民体育大会(富山県)北陸-23 バドミントン選手と立山連峰 50円x20
- 2009年2月16日「高岡開町 400 年 記念切手」80円x10 2,000シート[33]「立山連邦」誤字切手[34] ネット上で立山連邦王国が話題となる。
- 2013年4月16日 ふるさと切手 旅の風景シリーズ 第17集 立山黒部周辺 80円x10 120万シート[35]。
- 2018年4月20日 フレーム切手「立山の自然」立山・雪の大谷ウォーク25周年 82円x10。
- 2021年4月26日 フレーム切手「立山黒部アルペンルート全線開業50周年記念」84円x5 1300セット[36]県内の郵便局で販売。
郷土の食べ物[編集]
- コシヒカリ - コシヒカリ以外にも近年酒造米が植えられている。富山県ではとろろ昆布が有名であり、おにぎり、みそ汁に使用される。新品種富富富は町内の生産者登録農家でも生産されている。耕地整理、農業機械化以前、稲の自然乾燥のための稲木、竹を保管するはさ小屋が農家にあった
- 米粉うどん - 米の地産地消と立山の食の魅力を発信するために開発[注釈 1]2022年小麦高騰により米粉パンも学校給食に提供されている[37]。
- ますの寿し - 立山町でも製造販売[38]され、県外の家族、親戚のためにも利用されている。
- ぶりの寿司 - ブリは出世魚として知られており「ますの寿し」同様製造販売されている。
- 昆布締め - 立山町でも製造販売されている。
- 寒餅 - もちを4~5mm程度に薄くスライスし乾燥させたもの。昭和40年代以前には富山の各農家でも作られていた。現在立山町の特産品となっている[39][40]出来立ては柔らかく子供にも食べやすかった。油で揚げて食べる方法もある。
- グミ酒 - 常願寺川で自生するグミを果実酒としたもの[41]
- 柿・四谷柿(よたんがき)[42] - 昭和40年代台の耕地整理、熊出没対策[43]で普通の柿の木も少なくなっている。2023年は常願寺左岸の富山市でも熊が出没した[44]
1976年に宅急便が開始され柿は都会暮らしの大学生へ送る家もあった[45]。サービス開始当初30kg玄米は送ることができなかった。クール宅急便は1988年にサービス開始されており、富山県特産品かまぼこ、昆布締めが送りやすくなった。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
ウィキメディア・コモンズには、
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