竹取物語 | |
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Princess from the Moon[1][2] | |
監督 | |
脚本 | |
製作 | |
出演者 | |
音楽 | 谷川賢作 |
主題歌 |
ピーター・セテラ 「STAY WITH ME」 |
撮影 | |
編集 | 長田千鶴子 |
製作会社 | |
配給 | 東宝 |
公開 | 1987年9月26日[5][4] |
上映時間 | 121分[2][注釈 1] |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
製作費 | 20億円[6] |
配給収入 | 14億5000万円[7] |
画像外部リンク | |
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オフィシャル・ポスター |
『竹取物語』(たけとりものがたり)は、1987年9月26日に公開された日本の特撮映画[8]。製作は東宝映画とフジテレビ[2]。配給は東宝[2]。カラー、パナビジョン[2]。文部省選定。第2回東京国際映画祭オープニング特別上映作品。
『竹取物語』を原作とする本作品は、かぐや姫の正体が宇宙人であるという設定で、大伴大納言と竜(全長100mの首長竜)の戦いや、蓮の花型の巨大宇宙船で月の迎えが来るラストの特撮シーンなど、現代的なアレンジが見せ場であるのが特徴[9][1][8]。原作での5人の求婚者は、3人に絞られている[10]。
ある日の夜、巨大な火の玉が都の外れの山に落ち、周囲一帯が焼け野原になった。竹取の造は娘・加耶の墓の無事を確認しようと竹林に入り、そこで光る竹から幼児が姿を見せる。幼児を家に連れて帰った竹取の造は、幼児が少女の姿に変貌したことに驚くが、妻の田吉女は少女が加耶の生まれ変わりだと思い込み、一緒に暮らし始める。竹取の造は加耶が入っていた竹状の鉄を売って収入を得ようとするが、その鉄が純金だったことが分かり、竹取の造の家は裕福になった。一方、朝廷の管理から外れた金が都に出回っていることを知った大伴の大納言は、帝に調査を申し出る。
竹取の造は山奥から降りて都の近くに屋敷を作り、加耶を貴族と結婚させようと考える。美女に成長した加耶の噂は都中に広まり、車持の皇子と安倍の右大臣が加耶に結婚を申し込む。しかし、加耶は偶然出会った大伴の大納言に想いを寄せており、加耶は求婚者の想いを確かめようと、友人の明野の知恵を借りて伝説上の宝物を探してくるように依頼する。求婚者たちが宝物を探しに旅立った後、加耶は竹取の造と田吉女に自分の正体が月の住人であり、船の墜落事故で地球に来たことを伝える。一方、大伴の大納言たちが出仕しないことに疑問を抱いた帝は、加耶の話を聞いて彼女に参内するように命令するが、加耶はそれを拒む。ますます加耶に興味を抱いた帝は竹取の造の屋敷を訪れて加耶と面会し、「求婚者たちの想いは純粋なものではない」と告げる。同じころ、車持の皇子と安倍の右大臣が宝物を探し出して帰国するが、いずれも金に物を言わせて偽物を用意したことが発覚し、帝に蟄居を言い渡される。加耶は大伴の大納言の帰国を心待ちにしていたが、「大伴の大納言の船が竜に襲われて沈んだ」と聞かされ、悲嘆に暮れる。
加耶は「月から自分を迎えに船が来る」と告げ、竹取の造と田吉女は月の住人たちの理不尽さに憤る。同じころ、大伴の大納言が生還することを知った車持の皇子と安倍の右大臣は刺客を差し向けるが、理世の妨害により暗殺は失敗に終わる。大伴の大納言は理世から加耶の正体と迎えの船が来ることを聞かされ、加耶の護衛を名乗り出る。一方、帝も藤原の大國の率いる軍勢を差し向け、月の船を待ち構える。藤原の大國の軍勢は月の船を攻撃するが、月の船に攻撃する意志がないことを知った大伴の大納言は攻撃を止めさせる。加耶は「人間の真心を忘れない」と告げ、竹取の造や田吉女と別れて月へ帰る。
天竺の竜 GIANT SEA DRAGON[11][12] | |
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全長 | 15m[11][注釈 2] |
体重 | 3000t[11][注釈 3] |
出身地 | 天竺の海底[11] |
天女 | |
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身長 | 不明[12] |
体重 | 不明[12] |
『竹取物語』は1970年に死去した特撮監督の円谷英二[注釈 9]が生前に映像化を切望していた題材であり[9][1]、円谷とともに映画製作に携わってきた東宝映画社長の田中友幸にとっても念願の企画であった[6][3]。企画立案から完成までには10年の歳月が費やされ、フジテレビとの合作により[16]、総製作費20億円の東宝創立55周年記念超大作として完成した[8]。
SF要素の導入は、本作品の脚本を担当した一人でSF評論家でもあった石上三登志のアイデアによるものであった[6][17][注釈 10]。当初は脚本家の菊島隆三が第1稿を書き上げたが、一読した田中友幸が「このまま撮ると、普通のシャシンになる」と意見し、SFに詳しい石上が脚本に参加する事になった。その後、監督を担当する市川崑が呼ばれ、脚本作りに参加した。市川は当時、『鹿鳴館』や『映画女優』などの映画を並行して監督しており、積極的な打ち合わせに参加できない状態だったが、田中との話し合いで、脚本は、オーソドックスな菊島版と自由奔放な石上版の折衷案で行く事とし、石上はSF監修も兼務することになった。また「『未知との遭遇』風にしたい。そっくりで良い」という田中の要望で、宇宙船のミニチュアには、1万本の光ファイバーが用いられている[6]が、宇宙船パートの撮影は難航し、何度もリテイクが繰り返された[19]。特撮パートは円谷の弟子である 中野昭慶が担当した[3]。中野にとっては特技監督として最後の劇場作品となった。
本作品でデビューした小高恵美は、盲目という設定の役柄であったため、市川から黒目を動かさず瞬きもしないよう指示され、振り向くシーンで目が動いてしまったり、強い照明を当てられた状態で瞬きをせずにいたため涙が出てしまうなど、目の演技で苦労した旨を語っている[20]。また、貧しさの表現として、髪の毛をコテで焼いている[20]。
加耶が天に昇るシーンで使用された籠は、後に映画『ゴジラvsビオランテ』(1989年)での大プールでの操演のセッティング作業に用いられた[21]。
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