第18SS義勇装甲擲弾兵師団『ホルスト・ヴェッセル』(だい18SSぎゆうそうこうてきだんへいしだん ホルスト・ヴェッセル、独: 18. SS-Freiwilligen-Panzergrenadier-Division „Horst Wessel“)は、武装親衛隊の38個ある師団のうちのひとつであり、徴募されたドイツ系ハンガリー人を主力としていた。フランス人志願兵なども将兵に含まれていた。師団名は突撃隊員でナチ党の党歌『旗を高く掲げよ』(ホルスト・ヴェッセル・リート)の作詞者でもあるホルスト・ヴェッセルに由来する。
- 1941年
- 4月:師団の前身となる第1SS歩兵旅団が編成。専らパルチザン掃討戦に従事
- 1944年
- 1月25日:クロアチアで旅団を装甲擲弾兵師団への改編命令。1万の補充はドイツ系ハンガリー人を強制徴用
- 1月30日:『第18SS義勇装甲擲弾兵師団 ホルスト・ヴェッセル』とアドルフ・ヒトラー本人により命名
- 6月22日:中央軍集団の前線崩壊により師団は約3000名のシェーファー戦闘団をドニエストル川陣地へ急派
- 9月2日:スロバキアの武装蜂起鎮圧のためシェーファー戦闘団に緊急出動命令。ローゼンベルク付近でパルチザンと交戦
- 11月2日:ハンガリーへ急派、ツァギファ河畔陣地へ投入されるも、三度にわたり陣地を放棄、武器を捨てて敗走したため戦線から引き揚げ
- 1945年
- 1月5日:再編成に入るが、ラティボア方面のオーデル橋頭堡から出撃する赤軍に防衛戦を展開師団は空軍、海軍、国民突撃隊から兵員を補充したため士気は向上。2月13日の赤軍による攻勢を撃退
- 4月初め:第17軍予備となり、チェコのオーバージーベンアイヒェン付近に投入
- 5月7日:ライヒェンベルクまで後退。少人数グループに分かれてエルベを目指すが多くがチェコ・パルチザンに捕らえられ、処刑される
- 第39SS装甲擲弾兵連隊(SS-Panzergrenadier-Regiment 39)
- 第40SS装甲擲弾兵連隊(SS-Panzergrenadier-Regiment 40)
- 第18SS砲兵連隊(SS-Artillerie-Regiment 18)
- 第18SS装甲大隊(SS-Panzer-Abteilung 18)
- 第18SS整備大隊(SS-Instandsetzungs-Abteilung 18)
- 第18SS高射砲大隊(SS-Flak-Abteilung 18)
- 第18SS通信大隊(SS-Nachrichten-Abteilung 18)
- 第18SS装甲偵察大隊(SS-Panzer-Aufklärungs-Abteilung 18)
- 第18SS対戦車猟兵大隊(SS-Panzerjäger-Abteilung 18)
- 第18SS工兵大隊(SS-Pionier-Bataillon 18)
- 第18SS補給小隊(SS-Nachschubtruppen 18)
- 第18SS医療大隊(SS-Sanitäts-Abteilung 18)
- 第18SS設営大隊(SS-Wirtschafts-Bataillon 18)
- 第18SS野戦補充大隊(SS-Feldersatz-Bataillon 18)
- 第18SS装甲擲弾兵訓練大隊(SS-Panzergrenadier-Ausbildungs-Bataillon 18)