第4回衆議院議員総選挙 | |||
---|---|---|---|
内閣 | 第2次伊藤内閣 | ||
解散日 | 1894年(明治27年)6月2日 | ||
公示日 | 1894年(明治27年)7月31日 | ||
投票日 | 1894年(明治27年)9月1日 | ||
選挙制度 | 小選挙区制 | ||
改選数 | 300() | ||
議席内訳 | |||
有権者 | 直接国税15円以上納税の満25歳以上の男性日本国民 | ||
有権者数 | 46万483人 | ||
投票率 | 84.84%(3.92%) | ||
各党別勢力 | |||
党順 | 第1党 | 第2党 | 第3党 |
画像 | |||
党色 | |||
党名 | 自由党 | 立憲改進党 | 立憲革新党 |
党首 | 板垣退助 | 大隈重信 | 不明 |
前回選挙 | 120 | 60 | 新党 |
選挙前議席 | 119 | 51 | 40 |
獲得議席 | 107 | 49 | 39 |
増減 | 12 | 2 | 1 |
党順 | 第4党 | 第5党 | 第6党 |
画像 | |||
党色 | |||
党名 | 国民協会 | 帝国財政革新会 | 中国進歩党 |
党首 | 西郷従道 | 不明 | 不明 |
前回選挙 | 35 | 新党 | 新党 |
選挙前議席 | 26 | ||
獲得議席 | 32 | 5 | 4 |
増減 | 6 | ||
< 1894年3月1898年3月 > | |||
第4回衆議院議員総選挙(だい4かいしゅうぎいんぎいんそうせんきょ)は、1894年(明治27年)9月1日に日本で行われた帝国議会(衆議院)議員の総選挙である。
第3回衆議院議員総選挙の結果、自由党も硬六派(立憲改進党・国民協会など)もともに過半数を占める事に失敗した。第2次伊藤内閣は自由党・硬六派両方を敵に回しての政権運営は困難と考え、自由党との連携を望んだ。
だが、自由党内部では行政整理の更なる推進を求めて更なる強硬論を採ろうとする星亨の意見が優位であった(星は伊藤内閣が最大の懸案としている日英通商航海条約を硬六派が絶対拒否の態度を示している以上、自由党に対して更なる譲歩に踏み切らざるを得ないと見ており、再度解散に踏み切っても政府に対する世論の批判に乗じて有利に戦えると踏んでいた)。一方、貴族院においても二条基弘・近衛篤麿・谷干城らが先の解散を政府の不当な議会への圧迫として批判を強めていたが内閣に黙殺されていた。
1894年5月12日に選挙後最初の議会(第6議会)が召集され、3日後に開会した。開会直後に衆議院では伊藤内閣糾弾を目的として、硬六派が内閣不信任と条約励行(完全平等条約以外の条約改正反対)の上奏を、自由党は行政整理と条約改正断行の上奏を求める議案を提出したが、自由党と硬六派は互いの提案を否決しあったため、伊藤内閣糾弾の決議が全く成立しないという奇妙な議会運営が続いた。
唯一残されたのは19日に自由党が提出したものの、硬六派の要求で特別委員会に送付された和協詔勅で約束された行政整理の完遂を求め、遠回しに自由党との連携を要求する上奏案であった。ところが、特別委員会で硬六派側の多数派工作によって文言を修正して、自由党との連携を要求する文言を内閣不信任の文言に差し替えられた上、条約励行の一文が追加された修正上奏案が委員会を通過し、31日には本会議でも成立してしまったのである。これに対して6月2日、伊藤内閣はわずか18日目にして衆議院を再度解散したのである。
だが、投票日までの3ヶ月余りの間に事態が急変する。日英通商航海条約交渉が27日に合意に達して、7月16日に調印した。続いて25日に朝鮮半島問題を巡って清に宣戦布告して日清戦争が勃発した。
この結果、自由党も硬六派各党も相次いで政府支持の態度を表明したため、争点が曖昧となり、結果的に無所属議員が増加した分、自由党・改進党がやや数を減らしたものの、前回選挙と大きな差は見られなかった。日英通商航海条約締結によって硬六派に逆風が吹くとの危惧が為されたものの、実際に締結された条約において関税自主権回復に至らなかったこと、かねてから清に対して強硬論を唱えていた事が、追い風となったことにより硬六派は安定した選挙戦を行う事になった。なお、10月15日に大本営が設置された広島の西練兵場内の仮議事堂(現在の中区基町)で臨時議会(第7回帝国議会)が開催、20日に無所属25名が大手倶楽部を結成して硬六派側に参加したために、硬六派が過半数を掌握したが、戦時中自由党・硬六派は共に政府と協力する立場に変わったため、戦争関連法案が全会一致で成立している。
(うち、後に大手倶楽部参加者:25)
立憲自由党 立憲改進党 立憲革新党 国民協会 帝国財政革新会 中国進歩党 無所属
※神奈川3区は東京府にまたがる選挙区に再編され、東京13区として扱われたため、存在しない。