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![]() 2009年世界卓球選手権のセンターコート | ||||
大会概要 | ||||
英語 | 2009 World Table Tennis Championships | |||
別名 | 2009年世界卓球選手権 | |||
開始年 | 1926 | |||
開催期間 | 2009年4月28日 - 5月5日 | |||
主催 | ITTF(国際卓球連盟) | |||
開催国 |
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開催都市 | 横浜 | |||
会場 | 横浜アリーナ | |||
優勝 | ||||
男子シングルス |
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女子シングルス |
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男子ダブルス |
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女子ダブルス |
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混合ダブルス |
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世界卓球選手権 | ||||
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第50回世界卓球選手権個人戦(だい50かいせかいたっきゅうせんしゅけんこじんせん)は2009年4月28日から5月5日まで日本の横浜市にある横浜アリーナで開催された世界卓球選手権。
前年の北京オリンピックで全種目を制覇した中国は、国際卓球連盟との話し合いで、他国にもチャンスがあるよう、オリンピックチャンピオンをダブルスに起用せず、混合ダブルスでは2軍選手を起用したが、3大会連続で全種目を制し、混合ダブルスでは4強を独占した[1]。
2006年4月27日に行われたITTF理事会で横浜開港150周年にあわせて立候補した横浜市がオーストリアのリンツを112-38で破り開催することとなった[2]。横浜市は、2008年五輪、世界水泳招致失敗を受けて立候補していたがいずれも招致に失敗していた。
大会では2009年4月時点の世界ランキングが選手のつけるゼッケンの番号となった。
日程 | 男子シングルス | 女子シングルス | 男子ダブルス | 女子ダブルス | 混合ダブルス |
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4月28日 | 予選ラウンド | 予選ラウンド | 予選ラウンド | 予選ラウンド | |
4月29日 | 予選ラウンド | 予選ラウンド | 予選ラウンド | 予選ラウンド | 1回戦 |
4月30日 | 1回戦 2回戦 |
1回戦 2回戦 |
1回戦 | 1回戦 | |
5月1日 | 3回戦 | 3回戦 | 2回戦 | 2回戦 | 2回戦 3回戦 4回戦 |
5月2日 | 4回戦 | 4回戦 | 3回戦 | 3回戦 | 準々決勝 準決勝 |
5月3日 | 準々決勝 | 準々決勝 | 準々決勝 | 準々決勝 | 決勝 |
5月4日 | 準決勝 | 準決勝 | 準決勝 決勝 |
準決勝 決勝 |
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5月5日 | 決勝 | 決勝 |
4月28日にの開会式では、横浜市立大豆戸小学校の5、6年生約80人が、出場する146の国・地域のプラカードを持って行進した[3]。
大会期間中の5月1日に開かれた国際卓球連盟総会で、アダム・シャララ会長や木村興治副会長らの再任と、2012年の第51回世界卓球選手権団体戦がドイツのドルトムントで開催されることが決定した[4]。また同日、大会組織委員会は、新型インフルエンザ対策を強化すると発表、選手・役員入口には体温を関知するサーモグラフィも設置された[5]。
男子の世界ランク4位のティモ・ボルが腰痛のため欠場し、男女ともに第4シードまでが中国選手となった[6]。世界ランク1位の王皓が、大会3連覇を狙った世界ランク5位の王励勤を破り初優勝した。女子シングルスでは世界ランク1位の張怡寧が前回優勝の世界ランク2位の郭躍を破り優勝した[7]。
男子ダブルスは、第1シードの王皓、陳玘が第3シードの許昕、郝帥を破り優勝した。女子ダブルスは、郭躍・李暁霞組が優勝し、中国勢が11連覇を果たした[8]。
中国は3大会連続で5種目を制した。またベストプレーヤー賞を王皓が、フェアプレー賞を水谷隼が受賞した[7]。
種目 | 優勝 | 2位 | 3位 | 3位 |
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男子シングルス | 王皓 | 王励勤 | 馬龍 | 馬琳 |
女子シングルス | 張怡寧 | 郭躍 | 劉詩雯 | 李暁霞 |
男子ダブルス | 王皓 陳玘 |
馬龍 許昕 |
郝帥 張継科 |
水谷隼 岸川聖也 |
女子ダブルス | 郭躍 李暁霞 |
丁寧 郭焱 |
帖雅娜 姜華珺 |
キム・キョンア 朴美英 |
混合ダブルス | 李平 曹臻 |
張継科 木子 |
郝帥 常晨晨 |
張超 姚彦 |
日本からは男子シングルスに韓陽、水谷隼、吉田海偉、大矢英俊、松平賢二、松平健太、丹羽孝希の7名、女子シングルスに福原愛、藤沼亜衣、田勢美貴江、平野早矢香、福岡春菜、石川佳純、石垣優香の7名、男子ダブルスに水谷隼、岸川聖也組、松平健太、丹羽孝希組、松平賢二、上田仁組、女子ダブルスに福原愛、平野早矢香組、藤井寛子、石川佳純組、樋浦令子、藤沼亜衣組、混合ダブルスに田勢邦史、田勢美貴江組、水谷隼、平野早矢香組、岸川聖也、石川佳純組、松平健太、福原愛組、松平賢二、若宮三紗子組、上田仁、福岡春菜組、丹羽孝希、森薗美咲組が選ばれた[9]。混合ダブルスの田勢、田勢組は世界選手権日本代表としては初の夫婦によるダブルスであった。
丹羽孝希、松平健太、石川佳純ら10台の若手の活躍は、国際卓球連盟のホームページで、中国に迫る天才と紹介された。また男女シングルスで全員が1回戦を突破したのは、40年ぶりであった[10]。
大会終了後の5月5日、発表された世界ランクでは、水谷隼が22位から20位に、吉田海偉は37位から32位に、松平健太が101位から62位に、丹羽孝希が426位から318位に、石川佳純は99位から62位に順位をあげた。一方、平野早矢香は19位から25位に順位を下げ、福原愛は31位のままであった[7]。
()内は2009年4月時点の世界ランキング
()内は2009年4月時点の世界ランキング
()内は2009年4月時点の世界ランキング
10 帖雅娜
()内は2009年4月時点の世界ランキング
()内は2009年4月時点の世界ランキング
世界卓球をPRするためにテレビ東京の女性アナウンサー大橋未歩、松丸友紀、大竹佐知、須黒清華、前田海嘉、相内優香、秋元玲奈の7人によって結成された。
ゴールデンウィークに横浜市で行われる第50回世界卓球選手権個人戦を放送するテレビ東京が大会をワールド・ベースボール・クラシックのように盛り上げようとアナウンサーで結成したユニット、ピンポン7に続き若者をターゲットにしようと考えAKB卓球部が創設された[20]。秋葉原のAKB48劇場にも卓球台が設置されメンバーの練習が行われた[21][22]。「世界卓球デイリーハイライト」などに出演、日本代表選手へのインタビューなどを行った。またこの大会を前にメンバーのうち、運動神経の良い秋元、宮沢、宮崎、小野の4人、その後峯岸、小島、高橋、板野の合計8人が福原愛の母親から卓球指導を受けて10本以上のラリーができるようになった[20][23][24]。
その後、2010年の世界卓球選手権モスクワ大会[26][27][28]、2011年の世界卓球選手権[29]でもメンバーを入れ替えてAKB卓球部が結成されている。