この項目では、生命保険会社について説明しています。第一生命保険の建造物については「第一生命ビルディング 」をご覧ください。
第一生命保険 のデータ種類
株式会社 保険料等収入
(連結)5 兆5,860 億円 保有契約高
(個人保険)114 兆8,160 億円 (個人年金)9 兆9,056 億円 (団体保険)48 兆202 億円 (団体年金)6 兆642 億円 SM比率
(連結)763.8 % 格付け
A+ (R&I )安全性指標の項目 を参照 特記事項: 2016年3月期。有価証券報告書及び『2015年度決算』について (PDF ) による。 テンプレートを表示
第一相互館 東京・京橋交差点(清水建設 、辰野金吾 、葛西萬司 。1921年)。
第一生命館 (旧日比谷 本社社屋。1938年)。
大阪の第一生命ビルディング(竹中工務店 、1953年)。
神奈川県 の旧大井事業所 (清水建設 ・竹中工務店 。1967年)
東京都京橋 の第一生命相互館 (1971年)。
東京都新宿区 の小田急第一生命ビルディング (1980年)。
仙台第一生命タワービルディング (1985年)
大阪第一生命ビル (竹中工務店、1990年)。
第一生命日比谷ファースト (清水建設 、1993年)
ザルツブルク のマカルト広場の住家
梅田第一生命ビル (竹中工務店、1995年)。
大阪の梅新第一生命ビルディング (竹中工務店、2007年)。
東京・京橋の相互館110タワー (竹中工務店、2012年)。
池袋 の池袋第一生命ビルディング(竹中工務店 、2014年)
第一生命保険株式会社 (だいいちせいめいほけん、英称 :The Dai-ichi Life Insurance Company, Limited )は、東京都 千代田区 有楽町 に本社を置く、日本 の生命保険会社 。持株会社 の第一生命ホールディングス の子会社である。
現在の第一生命保険株式会社は、持株会社 体制移行のために2016年 4月に設立された2代目である[1] 。
2016年 10月1日、第一生命保険グループは持株会社体制に移行し、第一生命保険株式会社(初代)から国内保険事業を継承した。
現在の経営理念は、『お客さま第一主義 「一生涯のパートナー」』[2] 。
安全性指標 [ 編集 ]
資産規模 [ 編集 ]
保有契約高[4]
114兆8,160億円(個人保険)
9兆9,056億円(個人年金)
48兆202億円(団体保険)
6兆642億円(団体年金)
総資産
49兆9,249億22百万円(資産運用 収益1兆3,448億円)(連結)
35兆8,949億56百万円(資産運用収益1兆600億円)(単体)
総資産で、かんぽ生命保険 、日本生命保険 に次ぐ第3位である。
1902年 (明治35年)9月15日 、農商務省 で保険業法 起草に携わった、当時日本生命 の社医の矢野恒太 が、日本初の相互会社 として創立する。初代社長は、柳沢保恵 。役員に博文館 社長で衆議院議員 の大橋新太郎 、軍人 の浜口茂之助 [注 1] 。日本橋区新右衛門町にて営業を開始。幹部の医長に石岡繁太郎 が就任[5] [6] [注 2]
1904年(明治37年)、支部長が矢野恒太、副支部長が石岡繁太郎、秦佐八郎 となる[5] 。
1906年(明治39年)、日本橋区通三丁目の新社屋に本社を移転。契約者配当金の支払い開始。
1907年(明治40年)、責任準備金の積立方式を純保険料式に改定。
1921年(大正10年)、京橋「第一相互館」に本社を移転。5大生命保険の一つとなる。
1923年(大正12年)、関東大震災 (震災による死亡に対し、保険金完全支払いと手続き簡易化を決定)
1932年(昭和7年)、保有契約高で業界第2位の実績。
1935年(昭和10年)、財団法人 保生会を設立。
1937年(昭和12年)、日中戦争 が始まり、12月27日、商工省 ・拓務省 が満洲国保険業法 を公布し即日施行[7] 。
1938年(昭和13年)、第一生命館 (旧日比谷 本社社屋)が完成し本社を移転。逓信省 出身の石坂泰三 が取締役社長に就任[8] 。溝口光忠 を満州国 での代表者として生命保険 事業許可申請[9] 。
1945年(昭和20年)、第一生命館が連合国軍総司令部 (GHQ)庁舎として接収される。
1949年(昭和24年)、保険料月掛取扱制度を実施。
1950年(昭和25年)、保健文化賞を創設。
1952年(昭和27年)、「第一生命館」の接収が解除。
1953年(昭和28年)、大阪駅 前に潜函工法 を使用した第一生命ビル が竣工。地上9階(高さ49メートル)・地下3階で当時は日本一の超高層ビル となった(設計施工は第一生命ビルディング設計監理部竹中宏平 こと竹中工務店 )[10] [11] 。
1963年(昭和38年)、「企業年金保険」「終身年金保険」を販売開始。
1966年(昭和41年)、「厚生年金基金保険」を販売開始。
1968年 (昭和43年)、大井第一生命館 が落成、大井本社(のちの大井事業所)として使用開始。
1970年(昭和54年)、矢野恒太 が国際保険名誉賞受賞。
1971年(昭和46年)、「特別終生安泰保険」を販売開始。戦後のチルメル式積立 の時期を経て、責任準備金の純保険料式積立を達成
1974年(昭和49年)、新制度を実施(営業組織、販売制度を大幅に改編)。クーリング・オフ 制度を実施。
1976年(昭和51年)、下取り制度(転換制度)を実施。社員総代会傍聴制度、評議員会制度実施。
1977年、「悠悠保険」販売開始。
1984年(昭和59年)、第一リースを設立。
1985年(昭和60年)、第一生命投資顧問(現:アセットマネジメントOne)を設立。
1986年(昭和61年)、ディズニー キャラクターを広告宣伝に起用。第一生命カードサービスを設立。
1987年(昭和62年)、ファイナンシャル・プランニング(FP)担当制度を新設。東京ディズニーランド のアトラクション「ビッグサンダー・マウンテン」の提供開始。サラリーマン川柳コンクールを開始。
1989年(平成元年)、第一生命キャピタル(現:ネオステラ・キャピタル)を設立。
1990年(平成2年)、第一生命テレホンサービス開始。
1992年(平成4年)、生保業界初の「マッチングギフト制度」創設。府中情報センターが竣工。
1993年(平成5年)、DNタワー21(第一・農中ビル)(現:第一生命日比谷ファースト )が竣工。
1996年(平成8年)、第一ライフ損害保険を設立(2002年に安田火災海上保険 、次いで2004年に損害保険ジャパン と合併)。
1997年(平成9年)、第一生命経済研究所 を設立。
1998年(平成10年)、第一生命ウェルライフサポート(現:第一生命経済研究所)を設立。日本興業銀行 (現: みずほフィナンシャルグループ )と全面業務提携。第一ライフ投信投資顧問が投資信託業務を開始。
1999年(平成11年)、興銀フィナンシャルテクノロジー(現:みずほ第一フィナンシャルテクノロジー)に出資。興銀第一ライフ・アセットマネジメント(現:アセットマネジメントOne)を設立。
2000年(平成12年)、安田火災海上保険(現:損害保険ジャパン)と包括業務提携。アメリカンファミリー生命保険 会社と業務提携。ジャパンリアルエステイトアセットマネジメントを設立。
2001年(平成13年)、資産管理サービス信託銀行を設立。企業年金ビジネスサービスを設立。東京ディズニーシーのアトラクション「センター・オブ・ジ・アース」の提供開始。
2002年(平成14年)、第一ライフ損害保険が安田火災海上保険 に合併。次いで安田火災海上保険が2004年に損害保険ジャパン と合併。
2006年(平成18年)、第一フロンティア生命 保険を設立。
2007年 (平成19年)12月6日 、会社の形態を相互会社から株式会社 に転換することを発表。第一生命ベトナムを設立。りそなホールディングス と業務提携。
2010年 (平成22年)4月1日、株式会社へ移行と同時に東証一部に上場。
2011年 (平成23年)、豊洲本社(豊洲キュービックガーデン )竣工。TAL Limited(TAL社)を設立。
2013年(平成25年)、イギリス の資産管理会社 Janus Capital Group Inc.(現: Janus Henderson Group plc 、ジャナス・ヘンダーソン)を関連会社化。インドネシア のPT Panin Dai-ichi Life(パニン・第一ライフ)を関連会社化。
2012年 (平成24年)、大井事業所を置いていた大井第一生命館を、ブルックスホールディングス に売却。相互館110タワー 竣工。
2014年(平成26年)、損保ジャパン・ディー・アイ・ワイ生命保険(現:ネオファースト生命保険)を完全子会社化。米国Protective Life Corporation(プロテクティブ)の買収公表。池袋第一生命ビルディング が竣工。
2015年(平成27年)、プロテクティブを完全子会社化。北米地域統括会社DLI NORTH AMERICA INC.およびアジアパシフィック地域統括会社DLI ASIA PACIFIC PTE.LTD.の運営を開始。
2016年 (平成28年)4月1日、国内生命保険事業を会社分割 し持株会社化(第一生命分割準備株式会社)。10月1日、第一生命保険(初代)より国内生命保険事業を承継し、第一生命保険株式会社 に商号変更[1] 。かんぽ生命保険と業務提携。持株会社 体制の発足。第一生命ベトナムがCSR財団 For A Better Life Fund を設立。第一生命ホールディングス 株式会社に商号変更[1] 。
2021年(令和3年)、ジャナス・ヘンダーソン社との出資提携契約を解消。カンボジア における駐在員事務所の設立。在米子会社プロテクティブ がUSWC社を買収。
本社ビルの歴史 [ 編集 ]
1921年(大正10年)に、辰野葛西事務所 の設計で建てられた東京・京橋の「第一相互館 」は、地上10階(中2階を含む)建ての東京市内有数の高層建築であった。
1938年よりの本社屋である東京・日比谷の「第一生命館 」は、複数の公開コンペ当選案を参考に1938年 に「第一相互館 の担当設計者であった辰野葛西事務所出身で、矢野から懇願され第一生命に転職した松本与作 が設計し渡辺仁 が補佐するという形での共同設計で建設された(「谷間の花が見えなかった時」伊藤ていじ 著)。
1945年 に連合国軍総司令部 (GHQ)庁舎として接収される(1952年 に接収解除)。マッカーサー は東京に進駐した9月8日 当日に、およそ40分かけて都内を車で視察し、複数あった候補の中からこのビルを選んだ。皇居 を見渡すことができ、華美ではない機能的な建物がマッカーサーの目に留まったと言われている。
第一生命館では、現在でもマッカーサー総司令官室が保存されているが、現在は一般には公開されていない。後に1970年代後半、警視庁 本庁舎新築に伴い仮庁舎として使用されたこともある。
1953年(昭和28年)、大阪駅 前に潜函工法 を使用した第一生命ビル が竣工。地上9階(高さ49メートル)・地下3階で当時は日本一の超高層ビル となった。
1995年 に「第一生命館」は、隣接する「農林中央金庫有楽町ビル 」と一体化させるよう中間に高層階部分を増築し、「DNタワー21 (第一・農中ビル)」として改装されている。その為フロアの高さが異なり、低層部分=本館の8階部分のS階が新館の6階と繋がっている。DNタワー21は戦前最後の部分保存された大規模建築として、東京都選定歴史的建造物 に選定されている。
子会社 [ 編集 ]
社会との関わり [ 編集 ]
過去の保有株 [ 編集 ]
現在の保有株 [ 編集 ]
都市開発 [ 編集 ]
東京都の虎ノ門 ・赤坂エリアで都市再生機構 が施行し、2020年9月に起工した「虎ノ門二丁目地区第一種市街地再開発事業 」に、保留床取得者として参画している。竣工は2023年11月から 2025年2月の見込み(実施設計・施工:大成建設 )[13] 。
東京ディズニーリゾートとの関係 [ 編集 ]
第一生命は、東京ディズニーランド ・東京ディズニーシー の参加企業(オフィシャルスポンサー )としても有名である。また、「ディズニー・オン・アイス 」の協力企業としても名を連ねている。
1986年 から起用している広告 のほかにも、顧客に無料で配布される販促品には、ディズニーキャラクターがふんだんに使用されている。「企業イメージCM」でも、家族と東京ディズニーリゾート がテーマになったものが放送されている。また、CMの中にディズニーのぬいぐるみ が、さりげなく映りこむこともある。
東京ディズニーリゾートの参加企業として提供しているのは、「ビッグサンダー・マウンテン 」(ランド)・「センター・オブ・ジ・アース 」(シー)の2つのアトラクション と、両パーク内のベビーカー ・車椅子 の貸出サービスである。
ちなみに、2つのアトラクションに設置されている「スポンサーラウンジ」は保険加入者であれば、担当のセールスレディーを通して、無料で利用することができる。
「スポンサーラウンジ」は、スポンサーがついているアトラクションにはほぼ設置されており、待ち時間無しでアトラクションへ向かうことができるが、その多くが参加企業の社員からの非公式な口利きでしか利用できない。
先着順ながら、保険に加入していれば誰でも利用できる第一生命のラウンジは、かなり貴重である。
また、2008年 10月1日 に東京ディズニーリゾート内に開業した「シルク・ドゥ・ソレイユ シアター東京 」で行われているレジデントショー(常設公演)「ZED 」(ゼッド)にも、協賛(オフィシャルスポンサー)していたが、2011年 12月31日 に公演は終了した。
モーツァルト住家復元事業 [ 編集 ]
オーストリア のザルツブルク には、モーツァルト が青年期を過ごし、多彩な音楽活動を展開したタンツマイスターハウスと云う名の住家があった。しかし、第一次世界大戦 で爆撃を受け、その半分以上が破壊され、更に半壊跡地にはオフィスビルが建築されてしまった。1996年 、ザルツブルク国際モーツァルテウム財団 によってオフィスビルは買収され、住家の完全復元工事が完了した。現在、この住家はモーツァルト記念館として、コンサートの開催、モーツァルトゆかりの品々の展示のほか、モーツァルトに関する文献・映像資料などが取り揃えられている。第一生命は、創立90周年の記念事業として、開始当初からこの事業に参画し、支援を行っている。
スポーツ活動 [ 編集 ]
1990年 (平成2年)創設の女子陸上競技 部がある。1994年 に山下佐知子 (1991年 世界陸上東京大会 女子マラソン 2位入賞・銀メダル 獲得・1992年バルセロナオリンピック 女子マラソン4位入賞)が加入。1996年 に山下が監督就任後は長距離走 ・マラソンを中心に実力を蓄え、2002年 と2011年 には全日本実業団対抗女子駅伝競走大会 で二度の総合優勝を果たす。現在では田中智美 (2014年 横浜国際女子マラソン 優勝、2016年リオデジャネイロオリンピック 女子マラソン 代表・19位)など、約10人前後の女子部員が所属している。
元所属部員で活躍した女子選手では、尾崎好美 (2009年 世界陸上ベルリン大会 女子マラソン2位入賞・銀メダル 獲得、2012年ロンドンオリンピック 女子マラソン 代表・19位)、野尻あずさ (2011年 世界陸上大邱大会 女子マラソン代表・19位、2012年大阪国際女子マラソン ・3位)、田中華絵 (2011年夏季ユニバーシアード 中国 深圳 大会10000m2位入賞・銀メダル獲得、2017年大阪国際女子マラソン・3位)、伊藤真喜子(1997年 ロッテルダムマラソン 女子2位、同年東京国際女子マラソン 優勝)などがいる。
このほか、全国小学生テニス選手権大会 ではメインスポンサーを務めるのみならず、試合会場(相娯園総合グラウンドテニスコート)の提供も行っている。本大会からは、杉山愛 、錦織圭 などの国際的なテニスプレーヤーを多数輩出している。
2020年からはB.LEAGUE 2部に所属している西宮ストークス のオフィシャルスポンサーになっている。
2020年11月、発足したばかりのプロダンスリーグ「D.LEAGUE 」の冠スポンサー となった[14] [15] 。
2023年5月、四十住さくら が第一生命初の個人所属となった[16] 。
提供番組 [ 編集 ]
現在
過去(特記無しは全て30秒)
など。
なお、一部のテレビCMの動画は、第一生命のHPで公開されている(外部リンク節参照)。
CM出演者 [ 編集 ]
第一でナイト [ 編集 ]
「第一でナイト 」は、第一生命のCM キャラクター 。1999年夏にオンエアされた同社の新商品「堂堂人生」ハイバリュープラン」のTVCMで田中麗奈 扮する初代・第一でナイト が登場。ネーミングは「保険会社を選ぶなら、第一(生命)でナイト!」に由来。「リボンの騎士」のようなスタイルで活躍し、「ひろめナイト!」「伝えナイト!」といったナイト言葉をキメ台詞とする。2004年春までの初代「第一でナイト」ファミリーは、ナイト=田中麗奈 、キング=鹿賀丈史 、クィーン=萬田久子 。04年秋から登場の二代目ファミリーは、ナイト=石原さとみ 、キング=伊武雅刀 、クィーン=真矢みき 。敵役のシッペイ大魔王 (宝田明 )ほか、サブキャラクターも数多かった。生保各社のCMのなかでは唯一の長寿キャラクターである。保険料不払い問題を受けての保険内容総点検の企業CMが中心になっていたため、しばらくナイトの登場は見合わされていたが、2008年企業配布の門松用紙 では健在ぶりを見せ、秋には滝沢秀明 を起用した初の男性タレントによる三代目「第一でナイト」が誕生、ナイトシリーズは10周年に入った。
Dセイバー [ 編集 ]
2013年4月1日からは戦隊ヒーロー風の新キャラクター「Dセイバー」によるCMがスタート。出演は田辺誠一 (セイバーミドル/リーダー役)、武井咲 (セイバーレディ役)、東出昌大 (セイバーヤング役)、伊吹吾郎 (セイバーシニア役)。なお、武井のみ前年から第一生命のCMに出演している[17] 。
不祥事 [ 編集 ]
2005年 10月後半、各生命保険会社から相次いで保険金および給付金の不当不払い が発覚し、同社についても合計25件、2,327万円相当の不払いがあることが発表された[18] 。
2006年 6月24日、およそ1億5千万円、件数にしておよそ4万7千件の配当金不払いがあった事が判明。原因は配当金計算用プログラムの設計にミスがあったもの。これは1984年から2005年までに発生した不払いの合計であり、2004年2月にはこうした不払いがあることを同社は既に把握していたが、公表していなかった[19] 。
2007年 1月2日、大手生保4社(この中に同社も含まれている)が、医療特約関連で保険金の一部に不払いがあったことを発表。その後の同年1月16日、三大疾病に関する特約(特定疾病保険)において、約500件、15億円分の不払いがあったことが判明した(過去5年間における保険金の支払い事由に該当していたと推測される約1800件の契約から抽出した結果)[20] 。
2020年に明らかになったのは、同社の山口県 を拠点にしていた営業職員が少なくとも顧客21人から計19億円を不正に集めていたという。同社は2020年7月3日、調査を経てこの職員を解雇。山口県警察 に詐欺容疑で刑事告発した[21] 。
関連項目 [ 編集 ]
参考文献 [ 編集 ]
外部リンク [ 編集 ]
第一生命ホールディングス株式会社 代表取締役社長 : 稲垣 精二 | 2016年度連結決算 - 経常収益 : 7.3兆円 | 純利益 : 1,785億円 | 総資産 : 49.9兆円 | 従業員数 : 61,446人 上場 : 東証1部 : 8750 | 外部リンク : 第一生命ホールディングス 持株会社 保険関連
生命保険事業
第一生命保険 | 第一フロンティア生命保険 | ネオファースト生命 | Protective Life Corporation | Dai-ichi Life Insurance Company of Vietnam,Limited | TAL Life Limited | PT Panin Dai-ichi Life | Star Union Dai-ichi Life Insurance Company Limited | OCEAN LIFE INSURANCE PUBLIC COMPANY LIMITED
生命保険関連事業
企業年金ビジネスサービス | DLI ASIA PACIFIC PTE. LTD. | DLI NORTH AMERICA INC. | Dai-ichi Life International (Europe)Limited
損害保険事業
資産運用関連
投資運用・投資助言事業 有価証券投資事業 不動産投資関連事業
総務関連
財団法人など 関連項目
※ 太字 は連結子会社・持分法適用会社を表す。本表はディスクロージャー誌第一生命アニュアルレポート2016 (PDF ) の通算122-123頁等に基づき作成した。
1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
理事 準理事 製造 建設 インフラ 情報・通信 運輸 卸売・小売 金融・保険 不動産 複合サービス サービス 教育・学習支援 自治体・ 大学・その他