算額

金王八幡宮東京都渋谷区)の算額。渋谷区指定有形民俗文化財。嘉永3年(1850年)奉納。
算額の問題例

算額(さんがく)とは、江戸時代日本で、額や絵馬和算の問題や解法を記して、神社仏閣に奉納したものである。

平面幾何に関する算額(特にの中に多数の円や別図形の中に多数のを入れるなど接点を持つもの[1])が多い。和算家のみならず、一般の愛好家も数多く奉納している。

概要

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円満寺(奈良県)の算額。天保15年(1844年)奉納。
寒川神社(神奈川県)の算額(復元)。文政5年(1822年)奉納。「ソディの6球連鎖」に相当する問題であり、内田五観門下の入澤新太郎博篤によって100年以上前に既に解かれたことで世界的に知られる。

算額は、和算において、問題が解けたことを神仏に感謝し、ますます勉学に励むことを祈念して奉納されたと言われる。やがて、人びとの集まる神社仏閣を問題の発表の場として、難問や、問題だけを書いて解答を付けずに奉納するものも現れ、それを見て解答や想定される問題を再び算額にして奉納することも行われた。

このような算額奉納の習慣は世界中をみても他に類例がなく、日本独特の文化といわれる。その一部は重要文化財民俗文化財に指定されている。明治時代になると、日本には西洋から数学が導入されることとなったが、算額奉納の風習は、この導入を容易にしたとも評価されている[誰によって?]

1997年に行われた調査結果によると、日本全国には975面の算額が現存している[2]。これら現存する算額で最古の記年銘をもつものは栃木県佐野市星宮神社に奉納された天和3年(1683年)のものであった[3]延宝8年(1681年)の村瀬義益『算学淵底記』によれば、17世紀中頃には江戸の各地に算額があったことが記されており、ここでは目黒不動の算額の問題が紹介されている。大坂にはさらに古くから算額があったと推定される。17世紀後半には算額に書かれた問題を集めて書物にするものも現れ、出版物としての算額集の最初は寛政元年(1789年)藤田貞資『神壁算法』とされる。

算額奉納の習慣は、江戸中期に入ると全国的に盛行し、特に寛政享和文化文政のころは最も隆盛し、1年に奉納数が100面を越えたこともあったといわれている。明治に入ってからも昭和初年頃まで和算の伝統として継承された。近年、算額の価値を見直す動きが各地で見られ、21世紀に至ってもなお算額の奉納を受け入れる神社もあり[4]、また算額を神社仏閣に奉納する人びとも増えている。これは直接和算の伝統を受け継いだものではないことが多いが、いずれにしても日本人の算術好きをあらわす文化事象とする主張もある。

2018年にはロザリー・ホスキングがカンタベリー大学の有志とともに京都北野天満宮に外国人としては初の算額を奉納した[5]。北野天満宮にも算額が現存するが、日本語と英語が書かれたものは初だという[6]

算額が多く分布する地域や寺社

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現存する算額は関東地方東北地方が多く、最も多いのが福島県の103面、次いで岩手県93面、埼玉県91面、群馬県などとなっている。長野県木島平村の算額8面は、山間部の小村としてはきわめて濃密に分布している例である。また、愛媛県松山市伊佐爾波神社には22面の算額が奉納されており、これは1箇所で確認されているものとしては最多である[7]。伊佐爾波神社の算額については、『道後八幡伊佐爾波神社の算額』として図録にまとめられ、同神社より発行されている。

司馬遼太郎の祖父と算額

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司馬遼太郎の祖父も和算の嗜みがあり算額を奉納している[8]。司馬の祖父は姫路郊外の生まれ。和算の先生が三条大橋の湾曲度を調べて円の大きさを算出せよ、と問題を出し試合を行った。答えが合うと姫路南方の広という村のお宮に額が上がるのだという。その村には司馬の先祖が代々400年住んでいた。司馬は祖父の生まれた村を知らなかったが、あるときその村に行き天満宮を訪れた。着いたときは夜になっていた。玉ぐしが千ほどあって、暗いので祖父の玉ぐしなどすぐには見つからないだろうと思ったが、懐中電灯をパッと照らすと何とそこに祖父の名前があったという。

司馬遼太郎の祖父の名前は福田惣八(そうはち)[9]。惣八は黒船来航のショックで西洋嫌いになった。断髪令で人々がちょんまげをやめてもひとり結い続けた。一人息子の是定(しじょう)を小学校に入学させなかったのも小学校は西洋の教育を行うところだと思っていたからで、息子には寺屋(寺子屋)に通わせ和算と漢文を学ばせた。惣八が広畑(現在の姫路市広畑区)の天満宮に奉納した算額は、戦後ほどなく、天満宮を改装中に大工が処分してしまった。

文化財に指定された算額

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  • 金王八幡宮 東京都渋谷区渋谷 嘉永3年(1850年)水埜與七郎正衜門人 海老澤總右衛門正泰奉納 渋谷区指定有形民俗文化財
  • 金王八幡宮 東京都渋谷区渋谷 安政6年(1859年)御粥安本門人 西條藩 山本庸三郎貴隆奉納 渋谷区指定有形民俗文化財
  • 金王八幡宮 東京都渋谷区渋谷 元治元年(1864年)水野與七郎門人 野口冨太郎 源貞則奉納 渋谷区指定有形民俗文化財 珍しい扇型の算額[11]

算額を扱った作品

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脚注

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  1. ^ 算額の問題に挑戦して見ませんか? - 日経サイエンス、1998年7月号
  2. ^ 深川(1998)
  3. ^ ただし、この算額は1975年の火事で表面が焼けてしまい判読不能になってしまっている。ついで北野天満宮(京都市)の貞享3年(1686年)のものが古いとされる。
  4. ^ 「算額を奉納すると言って高崎の八幡宮に行った」『パズル通信ニコリ』121号、2008年12月、76-77頁。  なお、このときニコリ社では算額ならぬ「数独額」を奉納している。
  5. ^ 小川束『和算 江戸の数学文化』中央公論新社、2021年、238頁。ISBN 978-4-12-110114-3 
  6. ^ 京都・北野天満宮で外国人研究員が算額奉納 英語と日本語で初”. 産経WEST (2018年11月17日). 2024年11月12日閲覧。
  7. ^ 22面のうちの最古のものは享和3年(1801年)丸山良玄門人大西佐兵衛義全奉納のもので、最新のものは昭和12年(1937年)村上先生門人中村正教奉納のものである。
  8. ^ 岡潔司馬遼太郎[他]『岡潔対談集』朝日新聞出版、2021年、41-42頁。ISBN 978-4-02-262050-7 
  9. ^ 鳴海風『美しき魔方陣 久留島義太見参!』小学館〈小学館文庫 な5-1〉、2007年。ISBN 978-4-09-408210-4 磯貝勝太郎による解説参照。
  10. ^ 八坂神社の元禄4年の算額(重要文化財)は、天和3年(1683年)に奉納された御香宮神社(京都市伏見区)算額の解答額となっている。
  11. ^ 渋谷金王神社の算額内容 群馬県和算研究会
  12. ^ 福井県の文化財「鶴亀松竹の算額」”. 福井県. 2018年2月17日閲覧。
  13. ^ 有形民俗文化財 豊中市「服部天神宮算額」”. 豊中市. 2019年2月12日閲覧。
  14. ^ 有形民俗文化財 豊中市「服部天神宮算額」”. 豊中市. 2019年2月12日閲覧。
  15. ^ 石部神社の算額”. 鯖江市. 2021年4月14日閲覧。
  16. ^ 中野神社の算額”. 鯖江市. 2021年4月14日閲覧。
  17. ^ 算額”. 鯖江市. 2021年4月14日閲覧。
  18. ^ 算額”. 鯖江市. 2021年4月14日閲覧。
  19. ^ 算額”. 鯖江市. 2021年4月14日閲覧。

参考文献

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  • 深川英俊『例題で知る日本の数学と算額』森北出版、1998.2、ISBN 4627016417
  • 佐藤健一・牧下英世・伊藤洋美『算額道場』研成社、2002.7、ISBN 487639623X
  • 三上義夫『文化史上より見たる日本の数学』岩波書店〈岩波文庫〉、1999.4、ISBN 400381004X
  • 山村善夫『現存岩手の算額』自家出版、1977.2 ASIN B000J4PT1M
  • 伊達宗行『「数」の日本史』日本経済新聞社、2002.6、ISBN 4-532-16419-2
  • 佐藤健一・小寺裕『和算史年表』東洋書店、2002.5、ISBN 4-885-95378-2
  • 近畿数学史学会 編『近畿の算額―数学の絵馬を求めて』大阪教育図書、1992.5、ISBN 4271300101
  • 伊佐爾波神社 編『道後八幡伊佐爾波神社の算額』伊佐爾波神社、2005.2

関連項目

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外部リンク

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