誕生 |
1955年10月23日(69歳) 日本・東京都 |
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職業 | 小説家 |
言語 | 日本語 |
国籍 | 日本 |
教育 | 学士 |
最終学歴 | 東京学芸大学教育学部 |
活動期間 | 1990年 - |
ジャンル |
ホラー小説 SF 推理小説 |
代表作 | 『女たちのジハード』(1997年) |
主な受賞歴 |
小説すばる新人賞(1990年) 山本周五郎賞(1997年) 直木三十五賞(1997年) 柴田錬三郎賞(2009年) 中央公論文芸賞(2015年) 吉川英治文学賞(2019年) |
デビュー作 | 『絹の変容』(1991年) |
配偶者 | あり |
子供 | なし |
ウィキポータル 文学 |
東京都生まれ。八王子の典型的な商業地区で育つ[1]。実家は戦前、大きな機屋を営んでいた[2]。一人っ子で[2]、小学生時代に冒険小説やSF、コナン・ドイルの『失われた世界』に夢中になり、中学生時代には、『コンチキ号漂流記』や『沈黙の世界』など自然科学系のノンフィクションを中心に、中尾明『黒の放射線』などに読み耽ったという。
東京都立富士森高等学校、東京学芸大学教育学部卒業後、八王子市役所に勤務する[1][3]。(教育実習に2回行って小学校教諭に向いていないと感じ、裁判所調査官試験を受けるも失敗し、市役所職員となった[2]。)
26歳のときに仕事関係の勉強会で知り合った4歳上の夫(都庁職員)と結婚[2]し、妊娠するも流産し[4]、子供はいない[5]。市役所の勤務年数は10年以上にもおよび、福祉、教育、保健(健康管理)など様々な部署に異動、配属された[3]。市立図書館の立ち上げにも携わり、図書館には5年10か月勤務したが、キャリアアップや転職志向が強く、心ここにあらず状態で「困った職員だった」と本人はインタビューで振り返っている[3]。
30歳の時、朝日カルチャーセンターの小説執筆講座に通い[1][3]、直木賞作家多岐川恭の指導を受ける[1]。多岐川の退職に伴い一時通うのをやめるが、32歳の時に再び講談社フェーマススクール・エンタテイメント小説教室に通い始め、山村正夫から小説の手ほどきを受ける[1]。同じ講座の受講生に、鈴木輝一郎、宮部みゆきがいる[6]。
1990年、35歳の時にパニックSFタッチの中篇ホラー小説「絹の変容」で小説すばる新人賞を獲得[3]。受賞後、作家活動に専念するため退職する[3]。その後、異形ホラー小説『アクアリウム』、伝奇サスペンス小説『聖域』、直木賞候補となった医学パニック小説『夏の災厄』、音楽ホラー小説『カノン』、近未来スラップスティック反ユートピア(ディストピア)小説『斎藤家の核弾頭』などを発表した。
デビューして4年ほど経った頃、日本推理作家協会などの集まりで知り合った文筆仲間と共同の仕事場を持ったことがある[1]。
官僚制、民主主義、サラリーマン社会、管理社会、家父長制、宗教などさまざまな主題をとりあげており、広義のミステリ、ホラーといったジャンルに分類されるが、篠田自身にはジャンル意識があまりみられない点が特徴である。
編集者からエロティックな作品を、との求めに応じた短編小説(冒頭作)を連作としてふくらませた『女たちのジハード』では、男性優位社会の中で生き方を模索する若いキャリアウーマン群像を描き、女性のライフスタイルや結婚、妊娠、海外での就職などをコミカルに描写した。この作品で直木賞を受賞するが、過去の作風と比すると異色作に属するものであり、瓢箪から駒が出たような成り行きに、本人は「意外かつ不本意だ」と困惑を披瀝したエピソードがある。
趣味はチェロの演奏。2004年2月に発売された歌手山下久美子のアルバム『壁のない世界』では山下久美子とのコラボレーションを試みた。音楽家を主人公とした作品もいくつかある。
書籍名横の「」内が収録されている篠田節子の作品