綴喜郡

京都府綴喜郡の位置(1.井手町 2.宇治田原町 薄黄:後に他郡に編入された区域 薄緑・水色:後に他郡から編入した区域)

綴喜郡(つづきぐん)は、京都府山城国)の

人口15,518人、面積76.2km²、人口密度204人/km²。(2024年10月1日、推計人口

現在は以下の2町を含む。

郡域

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1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、以下の区域にあたる。

  • 京都市
    • 伏見区の一部(淀美豆町・淀際目町・淀生津町)
  • 城陽市の一部(水主・奈島・市辺)
  • 八幡市の大部分(上津屋を除く)
  • 京田辺市の全域
  • 井手町の大部分(田村新田を除く)
  • 宇治田原町の大部分(高尾を除く)

歴史

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古代

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式内社

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延喜式神名帳に記される郡内の式内社

神名帳 比定社 集成
社名 読み 付記 社名 所在地 備考
綴喜郡 14座(大3座・小11座)
樺井月神社 カハヰノ- 月次新嘗 樺井月神社 京都府城陽市水主宮馬場 水主神社境内社 [1]
朱智神社 スチノ 朱智神社 京都府京田辺市天王
月読神社 ツキヨミノ 月次新嘗 月讀神社 京都府京田辺市大住 [2]
咋岡神社 クヒヲカノ 鍬靫 (論)咋岡神社 京都府京田辺市飯岡
(論)咋岡神社 京田辺市草内宮ノ後
高神社 タカノ 鍬靫 高神社 京都府綴喜郡井手町多賀
内神社 二座 ウチノ 内神社 京都府八幡市内里
粟神社 アハノ 粟神社 京都府城陽市市辺
棚倉孫神社 タナクラヒコ 月次新嘗 棚倉孫神社 京都府京田辺市田辺 [3]
佐牙乃神社 サガノ 鍬靫 佐牙神社 京都府京田辺市大字宮津
酒屋神社 サカヤノ 酒屋神社 京都府京田辺市大字興戸
甘南備神社 カンナヒノ
カム-
神南備神社 京都府京田辺市大字薪
天神社 アマツカンノヤシロ
アマツヤシロ
(論)天神社 京都府京田辺市松井
(論)朱智神社 京都府京田辺市天王
(論)棚倉孫神社 京都府京田辺市棚倉
地祇神社 クニツヤシロカンノヤシロ
クニツヤシロ
地祇神社 京都府京田辺市普賢寺
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近世以降の沿革

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幕末の知行
知行 村数 村名
天領 皇室領 19村 宮口村、水取村、郷之口村、老中村、名村、切林村、贄田村、符作村、荒木村、糠塚村、大道寺村、平岡村、岩本村、禅定寺村、長山村、湯屋谷村、奥山田村[1]、多賀村、奥山新田
門跡 1村 水無村
公家 1村 ●八幡[2]
京都守護職役知 1村 美濃山新開
旗本領 1村 南山村
皇室領・門跡領・京都守護職役知 1村 井手村
皇室領・幕府領(小堀) 1村 水主村
皇室領・幕府領(多羅尾)・旗本領 1村 奈島村
皇室領・旗本領 1村 ●高木村
公家領・京都守護職役知 1村 ●内里村
公家領・京都守護職役知・医師吉田氏 1村 市辺村
幕府領(小堀)・京都守護職役知 1村 ●薪村
京都守護職役知・医師吉田氏領 1村 上奈良村
藩領 山城淀藩 9村 野尻村、●戸津村、草内村、田辺新田村、打田村、高船村、飯岡村、東村、多々羅村[3]
天領・藩領 皇室領・淀藩 1村 南興戸村
皇室領・京都守護職役知・淀藩 2村 江津村、上村
皇室領・京都守護職役知・旗本領・淀藩 1村 天王村
皇室領・旗本領・淀藩 1村 出垣内村
門跡領・旗本領・淀藩 1村 ●大住村
門跡領・大学頭領・淀藩 1村 山本村
女官領・京都守護職役知・淀藩 1村 岩田村
公家領・淀藩 2村 河原村、田辺村
幕府領(小堀)・淀藩 1村 松井村
旗本領・淀藩 1村 北興戸村
その他 寺社領 5村 下奈良村、生津村、美豆村、際目村、川口村
  • 慶応4年
  • 明治初年
    • 領知替えにより美濃山新開・水主村・上奈良村・南興戸村・江津村・出垣内村・岩田村・松井村・北興戸村の全域および大住村の一部(旗本領)が淀藩領となる。
    • 奥山新田が多賀村に合併。(56村)
  • 明治3年(1870年) - 八幡のうち石清水八幡宮の門前町が八幡町、残部が八幡荘となる。(1町56村)
  • 明治4年
  • 明治5年(1872年) - 水無村が井手村に合併。(1町55村)
  • 明治7年(1874年)(1町49村)
    • 贄田村・糠塚村・大道寺村・平岡村が合併して立川村となる。
    • 岩本村・長山村が合併して岩山村となる。
    • 南興戸村・北興戸村が合併して興戸村となる。
    • 田辺新田村が田辺村に合併。
  • 明治8年(1875年) - 老中村・名村・切林村・符作村が合併して南村となる。(1町46村)
  • 明治9年(1876年)(1町42村)
    • 宮口村・江津村が合併して宮津村となる。
    • 南山村・高木村・出垣内村・山本村が合併して三山木村となる。
  • 明治12年(1879年4月10日 - 郡区町村編制法の京都府での施行により、行政区画としての綴喜郡が発足。郡役所が田辺村字棚倉に設置。

町村制以降の沿革

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1.八幡町 2.美豆村 3.都々城村 4.有智郷村 5.大住村 6.田辺村 7.草内村 8.三山木村 9.普賢寺村 10.井手村 11.多賀村 12.青谷村 13.田原村 14.宇治田原村(紫:京都市 赤:城陽市 桃:八幡市 橙:京田辺市 黄:井手町 緑:宇治田原町)
  • 明治22年(1889年4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。(1町13村)
    • 八幡町 ← 八幡町、八幡荘[大部分]、川口村(現・八幡市)
    • 美豆村 ← 美豆村、際目村、生津村(現・京都市伏見区)
    • 都々城村 ← 岩田村、野尻村、上奈良村、下奈良村、八幡荘[一部]、久世郡上津屋村[浜上津屋・里上津屋](現・八幡市)
    • 有智郷村 ← 内里村、戸津村、美濃山新開(現・八幡市)
    • 大住村 ← 大住村、松井村(現・京田辺市)
    • 田辺村 ← 田辺村、薪村、興戸村、河原村(現・京田辺市)
    • 草内村 ← 草内村、東村、飯岡村(現・京田辺市)
    • 三山木村 ← 三山木村、宮津村(現・京田辺市)
    • 普賢寺村 ← 水取村、多々羅村、上村、天王村、高船村、打田村(現・京田辺市)
    • 井手村 ← 井手村、相楽郡田村新田(現・井手町)
    • 多賀村(単独村制。現・井手町)
    • 青谷村 ← 奈島村、市辺村、久世郡中村(現・城陽市)
    • 田原村 ← 郷之口村、南村、荒木村、立川村[贄田]、久世郡高尾村(現・宇治田原町)
    • 宇治田原村 ← 岩山村、立川村[贄田を除く]、禅定寺村、湯屋谷村、奥山田村(現・宇治田原町)
    • 水主村が久世郡寺田村の一部となる。
  • 明治32年(1899年7月1日 - 郡制を施行。
  • 明治39年(1906年10月12日 - 田辺村が町制施行して田辺町となる。(2町12村)
  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和2年(1927年1月1日 - 井手村が町制施行して井手町となる。(3町11村)
  • 昭和10年(1935年)4月1日 - 美豆村が久世郡淀町に編入。(3町10村)
  • 昭和17年(1942年)7月1日 - 「綴喜地方事務所」が田辺町に設置され、本郡を管轄。
  • 昭和26年(1951年)4月1日(3町5村)
    • 普賢寺村・三山木村・草内村・大住村が田辺町に編入。
    • 青谷村が久世郡久津川村・富野荘村・寺田村と合併して久世郡城陽町が発足。
  • 昭和29年(1954年10月1日 - 都々城村・有智郷村が八幡町に編入。(3町3村)
  • 昭和31年(1956年9月30日 - 宇治田原村・田原村が合併して宇治田原町が発足。(4町1村)
  • 昭和33年(1958年)4月1日 - 井手町・多賀村が合併し、改めて井手町が発足。(4町)
  • 昭和52年(1977年11月1日 - 八幡町が市制施行して八幡市となり、郡より離脱。(3町)
  • 平成9年(1997年)4月1日 - 田辺町が市制施行・改称して京田辺市となり、郡より離脱。(2町)

変遷表

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自治体の変遷
明治22年4月1日 明治22年 - 大正15年 昭和1年 - 昭和19年 昭和20年 - 昭和29年 昭和30年 - 昭和64年 平成1年 - 現在 現在
田辺村 明治39年10月12日
町制
田辺町 田辺町 田辺町 平成9年4月1日
市制改称 京田辺市
京田辺市
普賢寺村 普賢寺村 普賢寺村 昭和26年4月1日
田辺町に編入
三山木村 三山木村 三山木村
草内村 草内村 草内村
大住村 大住村 大住村
八幡町 八幡町 八幡町 八幡町 昭和52年11月1日
市制
八幡市 八幡市
都々城村 都々城村 都々城村 昭和29年10月1日
八幡町に編入
有智郷村 有智郷村 有智郷村
井手村 井手村 昭和2年1月1日
町制
井手町 昭和33年4月1日
井手町
井手町 井手町
多賀村 多賀村 多賀村 多賀村
宇治田原村 宇治田原村 宇治田原村 宇治田原村 昭和31年9月30日
宇治田原町
宇治田原町 宇治田原町
田原村 田原村 田原村 田原村
美豆村 美豆村 昭和10年4月1日
久世郡淀町に編入
久世郡
淀町
昭和32年4月1日
京都市に編入
京都市
伏見区
京都市
青谷村 青谷村 青谷村 昭和26年4月1日
久世郡城陽町の一部
昭和47年5月5日
市制
城陽市 城陽市

行政

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歴代郡長
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 宮本三四郎 明治12年(1879年)3月14日 明治15年(1882年)8月
2 西川義延 明治15年(1882年)8月3日 明治19年(1886年)10月8日 相楽郡長兼綴喜郡長へ転任[4]
明治19年(1886年)10月8日[5] 明治22年(1889年)5月27日 これより奏任官となる。

相楽郡長による兼任。

病気のため依願免本官竝兼官[6]

3 喜多川孝経 明治22年(1889年)6月10日[7] 明治26年(1893年)11月8日 相楽郡長による兼任。

明治25年(1892年)4月5日免本官専任綴喜郡長。[8]

非職を命ぜられる[9]

4 伊藤信厚 明治26年(1893年)11月8日[10] 明治27年(1894年)12月1日 非職を命ぜられる[11]
5 梅垣幸之 明治27年(1894年)12月10日[12] 明治28年(1895年)12月26日 竹野郡長へ転任[13]
6 島田祐信 明治28年(1895年)12月26日 明治31年(1898年)8月9日 依願免本官[14]
7 東文輔 明治31年(1898年)8月9日[15] 明治32年(1899年)9月9日 文官分限令第11条第1項第4号により休職を命ぜられる[16]
8 荒川真造 明治32年(1899年)9月13日[17] 明治36年(1903年)10月21日 天田郡長へ転任[18]
9 高木謙二郎 明治36年(1903年)10月21日 明治43年(1910年)1月28日 紀伊郡長へ転任[19]
10 岸田豊久 明治43年(1910年)1月28日 大正元年(1912年)12月16日 与謝郡長へ転任[20]
11 山本三省 大正元年(1912年)12月16日 大正6年(1917年)1月17日 乙訓郡長へ転任[21]
12 藤正路 大正6年(1917年)1月17日 大正12年(1923年)2月24日 依願免本官[22]
13 林田民次郎 大正12年(1923年)2月24日 大正13年(1924年)12月18日 依願免本官[23]
14 松村同 大正13年(1924年)12月18日[24] 大正15年(1926年)6月30日 郡役所廃止により、廃官

地方事務官京都府学務部兵事課長へ転任

脚注

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  1. ^ 川上村・宮村・茶屋村・栢村に分かれて記載。
  2. ^ 記載は八幡荘。
  3. ^ 記載なし。
  4. ^ 京都府上京区長杉浦利貞外九名叙任ノ件”. 国立公文書館. 2021年12月10日閲覧。
  5. ^ 職務進退・勅奏任 進退録坤乙”. 国立公文書館. 2021年11月28日閲覧。
  6. ^ 京都府相楽郡長兼綴喜郡長西川義延依願免官ノ件”. 国立公文書館. 2021年11月28日閲覧。
  7. ^ 喜多川孝経京都府相楽郡長兼綴喜郡長ニ被任ノ件”. 国立公文書館. 2021年11月28日閲覧。
  8. ^ 官報 1892年04月06日』日本マイクロ写真、1892年4月6日。doi:10.11501/2945893https://doi.org/10.11501/29458932023年1月17日閲覧 
  9. ^ 京都府綴喜郡長喜多川孝經非職認可ノ件”. 国立公文書館. 2021年11月28日閲覧。
  10. ^ 京都府収税属伊藤信厚外二名郡長ニ任叙ノ件”. 国立公文書館. 2021年11月28日閲覧。
  11. ^ 京都府綴喜郡長伊藤信厚非職認可ノ件”. 国立公文書館. 2021年11月28日閲覧。
  12. ^ 京都府警部梅垣幸之外一名任叙ノ件”. 国立公文書館. 2021年11月28日閲覧。
  13. ^ 官報 1895年12月27日』日本マイクロ写真、1895年12月27日。doi:10.11501/2947027https://doi.org/10.11501/29470272023年1月17日閲覧 
  14. ^ 司税官補中島大以下二名依願免官ノ件”. 国立公文書館. 2021年11月28日閲覧。
  15. ^ 兵庫県美方郡長従七位東文輔任京都府綴喜郡長ノ件”. 国立公文書館. 2021年11月28日閲覧。
  16. ^ 官報 1899年09月11日』日本マイクロ写真、1899年9月11日。doi:10.11501/2948150https://doi.org/10.11501/29481502021年12月8日閲覧 
  17. ^ 官報 1899年09月14日』日本マイクロ写真、1899年9月14日。doi:10.11501/2948153https://doi.org/10.11501/29481532021年12月8日閲覧 
  18. ^ 京都府乙訓郡長高木謙二郎外五名同府郡長ニ転任及内務属岡野乕太郎島根県安濃郡長ニ被任ノ件”. 国立公文書館. 2021年11月28日閲覧。
  19. ^ 京都府紀伊郡桜井丈太郎外七名京都府外一県郡長任免ノ件”. 国立公文書館. 2021年11月28日閲覧。
  20. ^ 官報 1912年12月17日』日本マイクロ写真、1912年12月17日。doi:10.11501/2952213https://doi.org/10.11501/29522132021年12月8日閲覧 
  21. ^ 判事後藤多喜蔵外二十八名任免ノ件”. 国立公文書館. 2021年11月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年11月28日閲覧。
  22. ^ 官報 1923年02月26日』日本マイクロ写真、1923年2月26日。doi:10.11501/2955292https://doi.org/10.11501/29552922021年12月8日閲覧 
  23. ^ 官報 1924年12月19日』日本マイクロ写真、1924年12月19日。doi:10.11501/2955847https://doi.org/10.11501/29558472021年12月8日閲覧 
  24. ^ 京都府与謝郡長山本三省外十名任官ノ件”. 国立公文書館. 2021年11月28日閲覧。

参考文献

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関連項目

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