はざま みちお 羽佐間 道夫 | |
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1962年 | |
プロフィール | |
本名 | 羽佐間 道夫[1][2] |
愛称 | ミッキー[3] |
性別 | 男性 |
出生地 | 日本・熊本県荒尾市[4] |
出身地 | 日本・東京府(現:東京都)[5] |
生年月日 | 1933年10月7日(91歳) |
血液型 | A型[6][7] |
職業 | 声優、俳優、ナレーター[8] |
事務所 | ムーブマン[8] |
配偶者 | 有 |
公式サイト | 羽佐間 道夫|MOUVEMENT |
公称サイズ(時期不明)[9] | |
身長 / 体重 | 170[5] cm / 65 kg |
声優活動 | |
活動期間 | 1950年代 - |
ジャンル | 吹き替え、アニメ、ナレーション |
俳優活動 | |
ジャンル | テレビドラマ、映画、舞台 |
羽佐間 道夫(はざま みちお、1933年10月7日[2][10] - )は、日本の声優、俳優、ナレーター[8]。熊本県荒尾市出生[4]、東京府(現:東京都)出身[8]。ムーブマン所属[8](代表取締役)。既婚。
父親が三井三池炭鉱に勤務しており、社宅のあった熊本県荒尾市で生まれる[4][11]。1939年に父が転勤したことで東京都高輪に移住し育った[4]。幼少期から人前に立つのが好きで、学芸会などでは必ず舞台に立ち、東京都白金国民学校(現:港区立白金小学校)時代は創作童話の朗読を全校生徒の前でしていたという[4][11][12]。小学2年生の時に勃発した太平洋戦争から一時は長野に疎開。3年後に高輪へ戻り、終戦後は新橋駅近くで物を売って生計を立てた[13]。
東海大学の付属中学校在学中に演劇部へ入部し、当時は宇野重吉や滝沢修らを目標としていた[11][12]。その後、ほかにやることもなかったため、役者を志して舞台芸術学院[14]に5期生として入学[7][11]。卒業後は新協劇団(現・東京芸術座)に入団した。在団時は薄田研二に育ててもらったという。その頃、寄席の切符売りのアルバイトをしていたが、当時の売り場は顔が見えず壁に空いた手を出す穴だけで応対をしており、当時の客層から「女性の切符売りの方が評判がいい」と考え、女性のような高い声で応対をした。後に「それが最初の声優の仕事かもしれない」と回想している[12]。また、名人の落語を毎日聞く内に、「客の人数によって話の間を変える」「話の間の開け方で異なる人格を演じ分ける」などの技法に面白さを感じ、外国映画を吹き替える際の「向こうの役者の話す間をアドリブなどで臨機応変に喋ることで埋める」という作業に応用できた述懐している[15]。
1957年に日本テレビから「ヒッチコック(ニッカ ヒッチコック劇場の第1期)をやるんだけどやってみないか」と声を掛けられ[16]、その後、文化放送に勤めていた幼なじみの岡田太郎[注 1]から誘われ、短時間でそこそこ稼げる割のいいアルバイトとしてラジオドラマに出演するようになる。その後、出演したラジオドラマを聞いた関係者からの誘いで『ホパロング・キャシディ』の吹き替えをすることになった。当時はコンテンツ不足から海外ドラマの放送が増える一方、吹き替えをやる役者が300人ほどしかいなかったため[16]、羽佐間に吹き替えの仕事がたくさん回ってくるようになったという[12]。以降は声優の草分けの一人として活躍するが、20代の頃は舞台稽古を中断して収録に向かうことが多く、他の劇団員から裏切者扱いされて、白い目で見られることもあったという。しかしながら、演劇の稽古は金にならないが声優の仕事は金になるという現状と、結婚をして家族を養う必要から、次々と来る声優の仕事を懸命にこなす日々を送る[17]。
劇団中芸[18]、風船ぐるーぷ[18]、太平洋テレビジョン芸能部[19]、東京俳優生活協同組合創立メンバー[20]を経てムーブマン代表取締役。
2001年、ナレーションの功績により部門がないにもかかわらず第18回ATP賞個人部門で賞を受賞。2008年、第2回声優アワード功労賞を受賞[21]。2021年、第17回東京アニメアワード功労賞を受賞[22]。
兄は元NHKアナウンサーの羽佐間正雄[6]。従兄にフジサンケイグループ代表などを歴任した羽佐間重彰がおり、三浦環の親戚でもある。
様々な役をこなす芸域の広さから、かつては「困ったときの羽佐間」と呼ばれていた。のちにその役割は後輩の山寺宏一に移行している[24]。
主に吹き替えで活躍。持ち役にはロイ・シャイダー、ディーン・マーティン、シルヴェスター・スタローン、ダニー・ケイ、ピーター・セラーズ、ポール・ニューマン、マイケル・ケイン、ジェームズ・カーン、マルチェロ・マストロヤンニ、アル・パチーノ、ロバート・デ・ニーロ、ジョージ・ペパード、スティーブ・マーティン、チャールズ・グローディン、ジェームズ・ガーナーなどがあり、本人によると「280人くらいのハリウッドスターを演じている」とのこと[25]。
声優の仕事は、「形あるものに色を塗っていく仕事」であることから「塗り絵師」と例えている。また、塗り絵師として「パレットに色がたくさん入っていないといい芝居はできない」と語り、音楽や小説、古典芸能など見聞を広めるという[26][27]。
吹き替えでは、リップシンク(口の動き)より役者と呼吸を合わせることを重視している[26]。
役作りについては、事前に作り込みすぎると、相手に芝居で裏切られ面白みに欠けることもあるため、当日に現場で作る部分が大きいという[25]。
近年の個別収録の増加に対しては疑問を呈しており「共演者と言葉や間がかみ合わないため、感情の起伏が表現しにくい」「アンサンブルで後身を育てる場がなく、若手は台本通りを意識しすぎ、セリフに抑揚が少なくなる」と述べている[28]。また、個別収録の場合は収録音声を再現する音響監督の手腕も大切だとしている。
日本語について「母音が強いから、セリフとセリフの空間の美しさみたいなものがあるんですよ」と語っている[25][27]。また、近年の若手声優に対して「子音を優先しているのかどうかわからないけど、だいぶ文化的に差が出来てきたかな。この日本語はこうしたらなっていうのも、現場の中から生まれる雰囲気があったけど、今はだんだん希薄になってきたんじゃないかなあって気がするんですよね」と語っている[25]。
アニメによる声優ブームについては「後世の人が語る事」「悪いことではない」と前置きした上で、「犠牲的な側面があるとすれば、人間の言葉をパターン化してしまった」「数十人、数百人の若手が一時的に大変人気が出て活躍するけど、10年前の人が今残っているかというと、ごく限られた人しかいない。一人の俳優として存在していないんじゃないかという思いはある」と語り、「長く飽きられずに進化していくためには、個性を自分で発見していくと同時に、仕事仲間より家族に言われたことを頭に留めておくのも大事」と助言し、「俳優は自分の身体で演じるから年齢がいくとその年齢の役しかできなくなるが、声優は外国の人だったり、自分にはない体格の人、人ではない者にもなれる。鍛錬さえ勤しんでいれば何歳でも、いろんな人物に化けられるのが声優の魅力。声色を変えなくても、テンポやアクセント、登場人物の心拍数を掴めば、同じ声でもリズムを変えるだけで、流れが変わることを相手に表現できて、伝えられる。声優というのは、化けるというのは、奥が深いんだよね」と語っている[29]。
同世代の仲間からの愛称は「ミッキー」。2019年に小林清志と対談した際「俺のことをミッキーなんて言ってくれるのはもう殆どいない」と述べている[30]。
矢島正明は吹き替えの名人として羽佐間の名前を挙げており「ダニー・ケイ(の吹き替え)なんて他の人にはできないでしょう」と語っている[31]。
日本テレビの『スーパーテレビ情報最前線』の美空ひばり特集は彼自身がナレーションの他、プロデューサー・演出も担当している。日本テレビ系列の皇室関連のスペシャル番組でも知られる。
シルヴェスター・スタローンの吹き替えの際、スタローンをどう演じればいいか分からなかったため、とりあえず声のトーンだけは下げようと考えて、海に向かって大声で浄瑠璃を語り、喉を嗄らしてから収録を行った逸話がある[12]。またのちに、スタローンの吹き替えを正式に務めているささきいさおも羽佐間同様に、日本酒で喉を壊して独特の声を作り上げていることを語っている。スタローンの吹き替えつながりで、ささきのコンサートにゲスト出演もしており[32]、「これからはスタローンの吹き替えはいさおくんに任せる」と発言している。なお、羽佐間自身はスタローンと体型が全く異なることもあり「会ったところで全然違うと思って自信をなくす」という主旨の言葉で敢えて対面しないようにしており、対面する企画があったが固辞したという[33]。なお、後年のインタビューでは「もし自分が『ロッキー』をキャスティングし直せるなら、ゴーリー(郷里大輔)にスタローンをやらせたかった」とも語っている[34]。
『銀河英雄伝説』出演時、普段は吹替やナレーションが中心だったためアニメのアフレコに慣れていなかったが、共演した富山敬に色々教わったといい「僕の方が年上ですが、この作品では彼が僕の師匠でしたね」と述懐している[35]。富山とは共にスティーヴ・マーティンを持ち役にしており、彼の没後は『花嫁のパパ』のジョージ・バンクス役を続編で引き継いだ。
『スペースボール』ではメル・ブルックス扮する大統領・スクルーブと賢者・ヨーグルトの二役を演じ分け、芸の幅を見せた。また、吹き替えの際には日本語の台詞に独特のアレンジを仕組むスタイルを見せており、広川太一郎と並んでファンからは熱い支持を受けている。
「役者の特質を生かしてやったらどうか」と羽佐間が提案したのがきっかけで、声優バンド・スラップスティックが結成され[36]、羽佐間はプロデューサーを務める。
2006年からは、かつての収録現場のように様々な世代の声優が交流し「始めたらノンストップで、誰かがトチっても周りが補いながら最後まで行くような、アンサンブルで俳優を育てる場」を作りたい思いから、若手声優らと往年の無声映画をライブで吹き替えるイベント『声優口演』を始め、企画、脚本、演出を手がけている[28]。
思い出深い出演作品には、『5つの銅貨』の吹き替えを挙げている[27]。この収録時に中学の演劇部で一緒だった相模太郎に再会したこと、放送を見た山田康雄から手紙を貰ったことが印象的だったという[37][38]。なお、この音源は現存しており、ザ・シネマで再放送された。
『世界一貧しい大統領』のホセ・ムヒカのボイスオーバーを担当した際、今まで一度も羽佐間の仕事を褒めた事がない妻から「うん、いいんじゃない」と評価されたという[39]。
太字はメインキャラクター。