脇 雅史 わき まさし | |
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生年月日 | 1945年2月2日(80歳) |
出生地 |
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出身校 | 東京大学工学部土木工学科卒業 |
前職 |
近畿地方建設局局長 参議院議員 |
所属政党 | 自由民主党(額賀派→無派閥) |
称号 | 工学士(東京大学・1967年) |
選挙区 | 比例区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1998年7月26日 - 2016年7月25日 |
脇 雅史(わき まさし、1945年〈昭和20年〉2月2日 - )は、日本の建設官僚、政治家。元参議院議員(3期)。
建設省道路局国道第二課課長、建設省河川局河川計画課課長、近畿地方建設局局長、自由民主党参議院幹事長、自由民主党参議院国会対策委員会委員長、参議院政治倫理審査会会長、参議院選挙制度協議会座長などを歴任した。
1945年2月、東京都杉並区にて生まれた[1]。東京都立西高等学校を経て、東京大学に進学した[1]。東京大学では、工学部の土木工学科に在籍し[2]、土木工学を学んだ。1967年3月、東京大学を卒業した[2]。
東京大学を卒業後、1967年4月に技官として建設省に入省した[2]。建設省の地方支分部局においては、1974年4月より中国地方建設局の太田川工事事務所に赴任した[2]。1979年からは、中国地方建設局の企画部において企画課の課長を務めた[1]。1983年12月からは、中部地方建設局の三重工事事務所にて所長を務めた[2]。1992年1月からは、関東地方建設局にて河川部の部長を務めた[2]。また、建設省の内部部局においては、1981年4月より河川局の開発課にて課長補佐を務めた[2]。1985年12月からは、河川局の海岸課にて海洋開発官を務めた[2]。1990年4月からは、河川局の治水課にて都市河川室の室長を務めた[2]。
1993年6月、建設省の道路局にて、国道第二課の課長に就任した[2]。1994年7月には、建設省の河川局にて、河川計画課の課長に就任した[2]。1995年6月には、近畿地方建設局にて局長に就任した[2]。1997年8月、建設省を退官した[2]。
1998年、第18回参議院議員通常選挙にて自由民主党公認で比例区から日本建設業連合会の支援を受けて立候補し、初当選。以降2010年の第22回参議院議員通常選挙まで連続3選[2]。初当選後、平成研究会へ入会した。2010年8月、鈴木政二の後任として自由民主党参議院国会対策委員長に就任した(2011年10月に再任)。
2013年7月、自由民主党参議院幹事長に就任した。そのほか、参議院においては、政治倫理審査会の会長などを務めた[1][2]。また、自由民主党においては、政務調査会にて国土強靱化総合調査会や道路政策特命委員会にて顧問を務めた[2]。2014年には額賀派を退会して無派閥となった[3]。
参議院における一票の格差是正について、自民党の案について一票の格差是正が不十分だと反発し、2015年7月に参議院会派を離脱した(自民党籍は維持)。その後、参院自民党では青木幹雄・森喜朗・古賀誠の3者の引退した元大物政治家が目を光らせて組織運営に口出しする長老支配が続いていることを暴露している[4]。
2016年7月の第24回参議院議員通常選挙には出馬せず引退。
党職 | ||
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先代 溝手顕正 |
自由民主党参議院幹事長 2013年 - 2014年 |
次代 伊達忠一 |