臣民の道(しんみんのみち)は、1941年(昭和16年)7月の第3次近衛内閣時に文部省教学局より刊行された著作である。欧米の個人主義思想を否定し、ただ国体の尊厳を観念として心得るだけでなく、国家奉仕を第一とする「臣民の道」を日常生活の中で実践する在り方を説いている。
1937年に文部省より刊行された「国体の本義」と並ぶ正統的国体論であり、教育勅語の忠君愛国精神を強くかつ詳細に具現化したものと言える。
第一章の「世界新秩序の建設」では世界市場の秩序転換と大東亜共栄圏構築について述べ、その指導者として世界を道義的に再建する使命、挙国一致体制・高度国防国家の重要性を説いている。その中で個人主義・自由主義・功利主義・唯物主義を否定するに留まらず、「ナチス主義・ファッショ主義の勃興」を「個人主義・自由主義等の幣を打開し匡救せんとしたもの」とし、こうした新しい潮流に関心を抱くことは「西洋文明の將來、ひいては新文化創造の動向を示唆するものとして注目すべきことである」というように、ドイツやイタリアへの協調姿勢から民族主義・全体主義を受け入れる様子が把握できる。総力戦体制の早急な整備が必要であるとしていることから、対英米開戦を前提としていることもうかがえる。
第二章の「國體と臣民の道」では刊行前年の皇紀2600年記念祝典に関連し、古事記など様々な史料を引用して神国たる所以や忠君について述べている。それを踏まえ「臣民の道の實踐に於いて億兆これ一でなければならぬ」として万民の一心同体を強調し、徹底した家族国家観のもと「我等はまた大御心を奉體し、父祖の心を繼ぎ、各々先だつて憂へ後れて樂しむ心掛けを以つて率先躬行し、愈々私を忘れ和衷協同して、不斷に忠孝の道を全うすべきである」と説いている。実践すべきとする具体例は第三章にあるが、「国体の本義」がその基となっている。
國體の本義に徹し、皇國臣民たるの確固たる信念に生き、氣節を尊び、識見を長じ、鞏固なる意志と旺盛なる體力とを練磨して、よく實踐力を養い、以つて皇國の歴史的使命の達成に邁進すること、これ皇國臣民として積むべき修練である。この修練を重ねてこそ、臣民の道が實踐せられ、大東亞共榮圏を指導すべき大國民として風尚が作興せられる。
皇土にあらざるはなく、皇國臣民にあらざるはない。されば、私生活を以つて國家に關係なく、自己の自由に屬する部面であると見做し、私意を恣にするが如きことは許されないのである。一椀の食、一着の衣と雖も單なる自己のみのものではなく、また遊ぶ閑、眠る間と雖も國を離れた私はなく、すべて國との繋がりにある。かくて我等は私生活の間にも天皇に歸一し國家に奉仕するの念を忘れてはならぬ。我が國に於いては、官に仕へるのも、家業に從ふのも、親が子を育てるのも、子が學問をするのも、すべて己の分を竭くすことであり、その身のつとめである。我が國民生活の意義はまさにかくの如きところに存する。
我が國が家族國家であるといふのは、家が集まつて國を形成するといふのではなく、國即家であることを意味し、而して個々の家は國を本として存立するのである。
我等が安らかに日々の生活を營み得るのは種々の物資があればこそであり、そこに自ら報恩感謝の念が滲み出るのである。これ我が國民本來の心情である。然るに西洋近代思想の影響を蒙り、自然はこれを征服し利用すべきものであつて、これに感謝するが如きことは無意味であり、不合理であると觀ずる傾向が生じ、更に産業組織が變化し大量生産が行はれるに至つて、物を尊重愛護する念は一層稀薄となつた。かくて日常家庭に於ける衣食の資に就いても、浪費濫用の弊は蔽ふべくもなかつたのである。然るに支那事變發生以來、國民は齊しく資源を愛護し物資を尊重すべきことを切實に敎へられるに至つた。我等は日常生活の諸資料に就いてはもとよりのこと、生産その他の資料に就いては、古來の美風を再び今日に生かし、一物と雖も粗略にすべきものにあらずといふ眞の感謝愛護の念を以つて取り扱はねばならない。
凡そ皇國臣民の道は、如何なる職にあるを論ぜず、國民各々國家活動の如何なる部面を擔當するかを明確に自覺し、自我功利の念を棄て、國家奉仕をつとめとした祖先の遺風を今の世に再現し、夫々の分を竭くすことを以つてこれが實踐の要諦とする。