自動車排出ガス規制(じどうしゃはいしゅつガスきせい、英: Vehicle emissions control)とは、自動車の内燃機関から排出されるガス(排出ガス、排気ガス、排気)に含まれる有害物質の量の規制の総称である。自動車排ガス規制、自動車排気ガス規制とも呼ばれる。
国や自治体、中央政府や各州(各自治体)の政府ごとに規制値が定められており、例えば一酸化炭素(CO)・窒素酸化物(NOx)・炭化水素類(HC)・黒煙など、大気汚染や健康被害をもたらす物質の排出上限を定めている。
アメリカ合衆国において1963年に「大気浄化法」、1970年に「マスキー法」が成立したことで、世界各国でも本格的な排出ガス規制が行われるようになっていった。
ガソリンを燃焼させる内燃機関を備えた自動車は、20世紀初頭に米国や欧州で急速に普及が進んだが、自動車の排気ガスによって大気の汚染が生じた。
米国の例では、自動車販売台数は1951年時点で627万台、1955年には800万台を越えた[1]。走行する自動車が増えた分、都市部を中心に大気汚染が進み、健康被害が出始めた。さらに1950年代から排気量を増やしトルクを高めた車(いわゆる「マッスルカー」)が登場し、有毒排気ガスにより大気汚染がさらに進んだ。
米国では1950年代から各州や連邦政府により排ガスによる大気汚染の研究が徐々に進んだ。当時の排ガス規制は地方の街でわずかに実施されていただけであったが、調査によって大気汚染は一つの街や特定の州の中だけで収まらず、境界線(街境や州境)を越える点が指摘された。それにもかかわらず、自動車メーカー各社は排気ガスの浄化対策は遅れ、逆に1960年代では売上台数を伸ばそうとマッスルカーのような高排気量の新車ラインアップを広げることに注力した。消費者側も自動車の排ガスの影響は周知されず排気量の多い車を購入し続け、大気汚染や健康被害はさらに深刻化した。
1963年に連邦法(米国全体の法)として大気浄化法が成立した。さらに米国上院議員のエドマンド・マスキーが環境保護のために、さらに厳格な排ガス規制のため大気浄化法の改正案(大気汚染防止法、通称「マスキー法」)を提出し、1970年に成立した。これにより、自動車メーカー会社は排ガス規制の対策に前向きに取り組むようになり、代わりにマッスルカーのような排気量が過度に多い車種は衰退していった[注釈 1]。
米国の自動車メーカー各社は排ガス対策のノウハウが不足しており、すぐには規制値をクリアできなかった。一方、日本の自動車メーカーでは米国の新しい規制値をも満たすエンジンおよびコンパクトカーの開発に成功し、米国への輸出が拡大する一因になり、日本車が世界で高い認知を得ることに繋がった。大規模な排気ガス規制により、自動車の普及と人々の健康や環境保護が両立する可能性が見えてきて、米国を倣う形で各国で排気ガス規制法の制定が進んだ。
アメリカ合衆国内においては1963年に成立した大気浄化法(Clean Air Act of 1963)を根拠として、連邦政府が定める規制と各州政府(state government)が独自に定める規制が存在する。
特にカリフォルニア州は周年の排ガス検査の義務付け(カリフォルニア州スモッグチェック制度)を含めた厳しい規制を実施している。その他の49州は特に規制値の制定が無い限りは、1968年に成立し原則として1994年以降に義務付けられたアメリカ合衆国環境保護庁(EPA)の定める米連邦排出ガス規制に依る。米国では1996年以降ECUの通信規格のOBD2規格への完全移行を達成し、この世代を境に規制基準値の強化が行われた。カリフォルニア州の規制は、カリフォルニア州大気資源局(CARB)により定められており、州知事命令(Executive Order、EO)により、具体的な適用車種やモデルイヤーの範囲、規制値などが決定された。
カリフォルニア州、とりわけロサンゼルスは盆地が多く大気の滞留が起こりやすい地形であったが、郊外住宅地を重視した高速道路網や、地下鉄や鉄道等の公共交通機関の整備が遅れ、都市部のモータリゼーションが急速な発展した[3]。その結果、全米50州でも特に大気汚染が深刻となり、第二次世界大戦中の1943年には早くも光化学スモッグの発生が記録された[4]。
このスモッグは1952年に自動車から排出されるHC及びNOxが原因である事が特定され、1962年には米国初の排ガス規制である「クランクケース・エミッション規制」が州法で規定され、同州内で販売される車両へのPCVバルブ装着が義務付けられた。1965年からは独自に排気ガスへの規制も始まり[5]、1967年にCARBが創立されて以降は、世界的にも先進的な規制政策が実施された。そのため自動車メーカーはカリフォルニア州で販売される車種には新型の排ガス対策機器の搭載や触媒の連装化、エンジン自体の特殊な改修を盛り込んだ「カリフォルニア州仕様」を別途設定するようになった。
現在でも[いつ?]米国内の排ガス対策機器の補修部品(特に触媒)においては、カリフォルニア州向けの専用品がラインナップされている。前述の1994年全米規制値のモデルともなった1993年時点のCARB規制値では、日本の昭和53年規制に匹敵する基準が課され、1990年以降段階的に制定されている各種の低公害車(LEV)仕様では、日欧の規制値を上回る厳しい値が制定される事もある。
カリフォルニア州以外では、テキサス州のテキサス鉄道委員会(RRC)がLPGエンジンのみを対象に独自の規制値を定めている。これは同州のガス田やパイプライン輸送開発などのエネルギー産業に対する規制と密接に関連する。
米連邦内では石油危機を契機に、1978年から企業別燃費基準(CAFE)が世界に先駆けて制定された。1975年前後の各社の排出ガス対策は、キャブレターの予熱等の霧化効率向上(CO、HC抑制)、希薄燃焼やバルブオーバーラップの増大等で燃焼室温度を下げるエンジンの改良(NOx抑制)、排気再循環(EGR)や二次空気導入装置(サーマルリアクター)などの後処理装置の追加などが主流であった。当時は還元・酸化などの二元触媒や三元触媒はまだ高価な上に信頼性が不十分であり、十分に普及しなかった。
1970年代当時は、触媒は耐久性の課題から定期交換を前提とした法整備がされており、交換コストを下げるために粒状の触媒を排気管に詰め込み、触媒のみの定期交換を容易としたペレット式を採用することが多かった。しかし、ペレット式は浄化効率や排圧の面で難があり、なんらかの要因で容器内のペレットの保持構造が破損した場合、排気口から車外にペレットが飛散する恐れがあった。
しかし従来型の排ガス対策では排ガス性能向上と燃費がトレードオフの関係になりやすかったため、CAFEの制定以降は浄化性能と燃費基準の両立が次第に難しくなり、各メーカーは構造面や方向性における転換を迫られた。
その後、三元触媒の製造技術の向上により排気効率や耐久性が確保され、ペレット式ではなく排気管形状に合わせて成型固化するモノリス式[注釈 2]が採用され、定期交換は必須ではなくなった。1980年代初頭より三元触媒にO2センサーを組み合わせ、空燃比測定による燃調のフィードバック制御を電気的に行う事で、浄化性能と出力性能、省燃費の全ての要素を満足する三元触媒方式が今日まで続く世界的なデファクトスタンダードとなった[6]。
2012年、バラク・オバマ政権下のアメリカ合衆国環境保護庁は、2022年から2025年型(モデルイヤー)車までの基準について技術的な評価を行い、2025年の規制値を1ガロン当たり54.5マイル(1リットル当たり23.2キロメートル)の燃費にするなどの基準を設定。カリフォルニア州など独自に厳しい規制(ZEV規制)を設定していた州も新たな連邦政府の基準に交流することとなった。
2016年アメリカ合衆国大統領選挙で地球温暖化を否定するドナルド・トランプ政権が発足すると、2018年8月には燃費基準の大幅な緩和方針を発表。緩和に反対するカリフォルニア州などと対立した。2019年9月、連邦政府はカリフォルニア州などに認めてきた独自環境規制の特例撤廃を発表。同州を含む23州は決定無効を求めて提訴した[7][8]。
旧西ドイツ時代の1985年から独自の規制値(西独排出ガス規制)を定めていたドイツのような事例もあるが、今日のヨーロッパ諸国は欧州連合(EU)が定めるEU圏内統一排出ガス規制に則り、それぞれの国内法にて規制値を制定している。
EUの規制値はその世代により「ユーロx(数字)」の表記で区分が行われ、日本では2ストローク機関搭載のオートバイも規制対象となったユーロ3でにわかに注目が集まった。EU圏内では1992年7月のユーロ1に始まり、2023年現在はユーロ6、2025年7月(少量生産車は2030年7月)からはユーロ7が適用される予定であり、中国を始めとする新興国や発展途上国の多くも、ユーロ2やユーロ3等の世代の古い規格を準用している場合が多い。
EUの2021年の燃費規制は、欧州で販売するメーカー平均で走行1キロメートルあたりの二酸化炭素(CO2)排出量を95グラム以下に抑える必要がある。三井物産戦略研究所によると、ガソリン車の燃費に直すと1リットルあたり24.4キロメートルとなる。1グラム超過するごとに販売1台あたり95ユーロの罰金を払わなければならない[9]。2030年までに2021年目標比で、CO2排出量を新車の乗用車は37.5 %、新車の小型商用車では31 %削減することも決定している[10]。
2010年代の首都ニューデリーの空気質指数(AQI)は、大気汚染で深刻なレベルとされてきた北京市より悪化した。このことからインド政府は、2017年にBS4(BSはバーラトステージの略。規制内容はユーロ3と同レベル)規制を導入したほか、2020年からはBS6(ユーロ5と同レベル)規制を導入する[11]。2018年にはBS6適合車両向けの低硫黄燃料の供給も始まった[12]。
この節は特に記述がない限り、日本国内の法令について解説しています。また最新の法令改正を反映していない場合があります。 |
大気汚染防止法や自動車NOx・PM法、都道府県によるディーゼル車規制条例などが含まれる。近年は特に、ディーゼルエンジンから排出される窒素酸化物(NOx)・粒子状物質(PM)、硫黄酸化物(SOx)の排出規制が厳しくなっている。
この節では日本の法律用語における記載にならって「自動車排出ガス規制」とする。
2018年現在、日本国内で行われている自動車排出ガス規制の手法は、単体規制、車種規制、運行規制と呼ばれる3種に大別される。
一定の走行条件下で測定された排出ガス濃度が基準を満たしていない車両の新車登録をさせないことにより、基準を満たす排出ガス性能を持つ車両のみを製造・輸入・販売させる規制手法である。新車登録時のみに適用され、中古車および使用過程車には適用されない。狭義の自動車排出ガス規制はこの手法による規制を指す。
道路運送車両法[注釈 3]、自動車排出ガスの量の許容限度[注釈 4]に基づく道路運送車両の保安基準[注釈 5]による規制がこれにあたる。米国のマスキー法もこの手法をとる。
単体規制における排出ガス濃度基準の詳細は、以下の外部リンクを参照。
一定の走行条件下で測定された排出ガス濃度が基準を満たしていない車両の新規登録、移転登録及び継続登録をさせないことにより、基準を満たさない車両を排除する規制手法である。中古車及び使用過程車も対象となるため、単体規制よりも新車代替が促進される。自動車NOx・PM法による規制がこれにあたる。
車種、用途、燃料種、排出ガス性能その他について要件を定めて車両の運行を制限し、排出ガス性能の劣る車両の流入阻止や渋滞緩和を図り、沿道の大気汚染を防止する規制手法である。首都圏(埼玉県・千葉県・東京都・神奈川県)、大阪府・兵庫県・愛知県で実施中のディーゼル車規制条例による規制や、尾瀬・乗鞍スカイライン・上高地で自然保護のために行われるマイカー規制がこれにあたる。
各規制ごとに識別記号があり、車両型式(かたしき)の前にハイフン (-)を伴って付与される。 排出ガス規制を受けない電気自動車や水素を燃料とする燃料電池自動車にも、それぞれ専用の記号が新設された。
詳細は以下の外部リンクを参照。
以下のように段階的に実施されてきた。
年次ごとの排出ガス規制の詳細については以下で説明する。
日本における排出ガス規制は、1963年(昭和38年)に運輸省船舶技術研究所内に日本初の排気ガス測定装置を設置し、省内にて自動車排出ガス規制のための研究が開始されたこと[13]に端を発する。具体的な規制は1966年(昭和41年)、ガソリンを燃料とする普通自動車及び小型自動車の一酸化炭素濃度規制により開始された。これはアイドリング、加速、定速、減速の4つの走行状態(4モード)で台上測定を行い、CO濃度が3%以下[14]となることを普通自動車及び小型自動車の新車に対して義務付けたものである。
当初は運輸省の行政指導という体裁[13]であったが、1968年(昭和43年)には大気汚染防止法が成立したことで法的な根拠も確立され、同年の保安基準にて正式なものとなった。1969年(昭和44年)からは保安基準改正により段階的にCO濃度2.5%以下に規制が強化された[13]。
同時に使用過程車に対しては、1967年(昭和42年)より整備事業者に対して排気ガス対策点検整備要領が交付され、エアクリーナーの状態、キャブレターからの燃料漏れなど16項目[14]の点検整備を励行することが行政指導された。1970年(昭和45年)からは使用過程車に対するCO濃度試験も開始され、アイドリング検査でCO濃度が5.5%以下(1972年(昭和47年)からは4.5%以下)になることが求められるようになった[15]。当時、このような排出ガス規制を本格的に行っていた国家は、大気浄化法のアメリカ合衆国と日本のみである。
1970年(昭和45年)、運輸技術審議会自動車部会において「自動車排出ガス対策基本計画」が策定され、昭和48年・50年の二段階での排出ガスの低減目標を設定。この時点では東京都内の排出ガス総量を、昭和50年において昭和38年相当量へ、昭和55年において昭和36年相当量への抑制を目標とすることを主旨としていた[16]。
同時に、同年5月に東京都新宿区牛込柳町にて発覚した、大気汚染による牛込柳町鉛中毒事件への対策のため、段階的に有鉛ガソリンを無鉛化する方針も決定された。結果的に、昭和53年規制以降の三元触媒の普及にあたり、触媒の寿命を縮める要因の一つである、ガソリン中の鉛が除去される道筋が付けられた。
そして1973年(昭和48年)、新車及び使用過程車に対する排ガス試験項目が、炭化水素及び窒素酸化物にも拡大される形で、昭和48年排出ガス規制が成立[17]。同時に、1970年大気浄化法改正法(マスキー法)を元として、同法が目標としていた1975年式以降のCO / HC及び1976年式以降のNOxは、それぞれ1970年式以前のCO / HC及び1971年式のNOxの少なくとも1/10以下に低減するという環境基準を、日本の排出ガス規制(昭和50年及び51年規制)においても、正式に適用することが決定された[17]。