芹澤 廣明 | |
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生誕 | 1948年1月3日(76歳) |
出身地 | 日本 神奈川県横浜市港北区 |
ジャンル |
J-POP アニメソング |
職業 |
作曲家 歌手 ギタリスト 音楽プロデューサー |
芹澤 廣明(せりざわ ひろあき、1948年1月3日[1][注釈 1] - )は、神奈川県横浜市港北区出身の作曲家・歌手・ギタリスト・音楽プロデューサー。
芹澤ヒロ、芹澤廣名義でシングルをリリースしたこともある。作曲家としての活動を開始する前には河内広明の名で、NHK総合テレビジョンの音楽番組『ステージ101』のレギュラー出演グループ「ヤング101」で活動した。
小学校の高学年辺りからギターを弾き始め[2]、高校時代にバンド活動を始める[3]。
1967年、幼馴染で「麻生京子とブルー・ファイア」のギタリストだった清須邦義、若子内悦郎らと共にグループ・サウンズのバンド「ザ・バロン」を結成し、ギターを担当する[3]。ザ・バロンは結成当初は主に尾藤イサオのバックバンドとして活動したが[4]、1969年2月に独立してライブ活動を行う[3]。
同年6月にNHK総合テレビジョンの音楽番組『ステージ101』のオーディションに合格し、メンバー全員が「ヤング101」に所属して[5]、1970年1月10日の第一回放送から出演した[3]。1972年4月に清須が渡米の為にヤング101を卒業してザ・バロンが終わると、若子内と「ワカとヒロ」(のちに「ワカ&ヒロ」)を結成。ステージ101の音楽監督で恩師の作曲家・東海林修の下でエキスプレスからシングル、アルバムを数点発表した[注釈 2]。ステージ101には1974年3月31日の番組最終回まで出演を続け、若子内と共に、番組開始から終了までヤング101として出演した数少ないメンバーの一人になった。
ワカ&ヒロが1975年に解散した後、ヤング101の同期生だった惣領泰則らのユニット「ジム・ロック・シンガーズ」に参加。
その後、本名の芹澤廣明名義で作曲家として活躍[6]。中森明菜「少女A」で売野雅勇(当時同じ事務所「マッドキャップ」[7]に在籍していた3歳下の作詞家)と初めて組む[8]。さらにチェッカーズの作曲家兼プロデューサーとしてヒットを連発する[9][10][11]。
テレビアニメ『タッチ』の同名の主題歌も話題を呼んだ[12]。1998年には沢井なつ美 & Quick-Timesをプロデュースした[1]。元々歌手活動を行っていたことから、作曲家としての活動が主体となった後も、提供曲のセルフカバーが多い(#芹澤本人名義の曲を参考)。
その後もコンスタントにアレンジャー、作曲家、音楽プロデューサーとして活躍している。50歳以降から本格的に英語を学び、2018年に『Light It Up!』で全米歌手デビューを果たした[13][14][15]。国内では作曲家生活35周年記念のコンピレーション・アルバム「芹澤廣明 ANIME GOLDEN HITSTORY」をリリース。
作曲も芹澤本人。チェッカーズについては基本割愛。