生年月日 | 1978年9月20日(46歳) |
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出身地 | 日本 東京都中央区 |
血液型 | O型 |
言語 | 日本語 |
方言 | 東京方言・江戸弁 |
最終学歴 | 東洋大学文学部第2部国文学科卒業 |
コンビ名 |
オードリー (旧コンビ名:「ナイスミドル」) |
相方 | 春日俊彰 |
芸風 |
漫才(ツッコミ) ※ナイスミドル時代はボケ |
立ち位置 | 左 |
事務所 | ケイダッシュステージ |
活動時期 | 2000年 - |
同期 |
ハマカーン タイムマシーン3号 アンガールズ U字工事 ナイツ 平成ノブシコブシ なかやまきんに君 ピース ダイアン NON STYLE キングコング スーパーマラドーナ 南海キャンディーズなど |
現在の代表番組 |
レギュラー番組 しくじり先生 俺みたいになるな!! 激レアさんを連れてきた。 など 特別番組 IPPONグランプリ など |
過去の代表番組 |
レギュラー番組 世界は言葉でできている SKE48のマジカル・ラジオ1・2・3 日曜×芸人 終電ごはん たりないふたりシリーズ あけるなキケン 住住・住住2020・住住Season3 人生のパイセンTV ご本、出しときますね? 犬も食わない セブンルール 潜在能力テスト 午前0時の森など 特別番組 お笑い芸人歌がへたな王座決定戦スペシャル ヨロシクご検討ください 若林ノブ秋山の 揃いも揃って言ったコト など |
配偶者 | 一般女性(2019年 - ) |
受賞歴 | |
→コンビでの受賞歴については「オードリー (お笑いコンビ)」を参照 2010年 ダイナマイト関西2010 first 優勝2014年 第37回日本アカデミー賞 話題賞 2018年 第3回斎藤茂太賞 受賞 |
若林正恭 | ||||||||
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YouTube | ||||||||
チャンネル | ||||||||
活動期間 | 2023年 - | |||||||
ジャンル |
お笑い エンターテイメント | |||||||
登録者数 | 32.2万人 | |||||||
総再生回数 | 2556万回 | |||||||
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チャンネル登録者数・総再生回数は 2024年8月30日時点。 |
若林 正恭(わかばやし まさやす、1978年〈昭和53年〉9月20日 - )は、日本のお笑いタレント、司会者、俳優、エッセイスト[1]。お笑いコンビ・オードリーのツッコミ(ボケに回ることもある)、ネタ作り担当。相方は春日俊彰。
東京都中央区入船出身[注 1][2][3]。ケイダッシュステージ所属。既婚。
小学校6年生の1年間は越境通学をしていた[注 2]。小学校時代は少年野球で捕手を務め、オール中央区に選抜された経験を持つ。ただ試合前に自転車の車輪を手で回して、そこに足の指を入れたところ、骨折をして出場できなくなったことがある[注 3]。
中学時代のあだ名は「じゃり」。また、父親がNFL好きだった影響で[16]、ラグビーやアメリカンフットボールに興味を持つようになった。中学ではラグビー部に所属(関東大会に出場経験あり)。ポジションはスクラムハーフだったが、バックス(後方に位置する選手)にオール東京のプレイヤーが揃っており「蹴るな、走るな」と言われてひたすらパスを回す選手だった[17]。また、深夜放送のバラエティ番組等でとんねるずやビートたけしが暴れているところを見て、「なんだこの大人たちは…俺もこんな大人になりたい」と思い、芸人を志した[18]。
高校時代は「合法的に人とぶち当たれるから」という理由でアメリカンフットボール部に所属[19]。ポジションはランニングバック[16]。東京都でベスト4になった時のレギュラーメンバー[20]。背番号は44だった[21]。70ヤード (64 m)を独走してタッチダウンしたことがある。ディフェンスが全員でブリッツして入って来たため、ピッチが空いた所を突いて独走したという[22]。
大学は夜間大学に入学したので学校内に同年代の人も少なく、頻繁に春日と遊んでいた。高校時代に仲の良かった11人グループから面白い順に声をかけていき、8番目の断らなかった春日を相方に選んだ[18]。
2000年、21歳の時に日本大学第二中学校・高等学校の同級生で中学2年次から旧知の間柄であった春日と「ナイスミドル」名義でコンビ結成。
2005年、コンビ名を現在の「オードリー」に改名。
2007年にラ・ママ新人コント大会のオーディションに参加。そこで主催の渡辺正行から「これはM-1の決勝に行ける漫才だよ」と称賛された。さらに、当時から若手トップクラスの評価をされていたスピードワゴンの小沢一敬からまったくの無名時代である自分達のネタを大絶賛されている[23]。
2009年、お笑いライブ『潜在異色』内で、山里亮太(南海キャンディーズ)との漫才コンビ『たりないふたり』を結成[24]。その後、同名を冠した番組が何度か放送され毎度漫才を披露してきたが、2021年5月31日に開催された無観客ライブ『明日のたりないふたり』にて12年の歴史に終止符を打った[24][25]。同年12月12日には『明日のたりないふたり 特別版』として、全国の映画館で1日限定上映された[26][27]。
飯塚悟志(東京03)とはお互いに芸人として尊敬し合っている。また、飯塚は『爆笑問題の検索ちゃん』(テレビ朝日)内でオードリーが披露し賛否両論を読んだネタ「CR春日」を絶賛している[28]。
漫才師としてナイツは理想のコンビであるという。「塙君のボケにはいつもグッとくる」と話している[29]。
岡本太郎に深く傾倒しており、オードリーの今のスタイルである春日の胸を張ったポーズは、大阪万博の太陽の塔がモデルである[30]。
15歳のときからのヒップホップのリスナーであり、Creepy Nutsについては古くからのファンであると同時にメンバーとの深い交友もある[31]。2014年の「ニッポン放送 開局60周年記念 オードリーのオールナイトニッポン5周年記念 史上最大のショーパブ祭り」では、MC.waka の名前で、Miwaとのコラボレーションソング『サヨナラ feat. MC.waka』にて日本語ラップを披露している(miwaのライブツアー『Miwa ARENA tour 2017 “SPLASH☆WORLD”』の横浜アリーナ公演にもサプライズゲストとして出演)[32]。
星野源のファンであり、星野源もまたオードリーや若林のファンである[33]。
伊集院光を尊敬しており、伊集院がパーソナリティーを務めているラジオを昔からよく聞いている[34]。
好きな芸能人は裕木奈江。芸能界に入ってから「いつか会いたい」と思っている[35]。また、『あちこちオードリー』で本人を目の前に元AKB48の横山由依に好意的であると話し、横山由依の卒業コンサートに行くか迷っていたとも発言し、相方の春日から「ファンじゃん」とツッコまれていた。
学生時代に爆笑問題やとんねるず、くりぃむしちゅーから影響を受ける形で芸人を目指すようになったと話している[18][36]。また、高校時代には自身が『GAHAHAキング 爆笑王決定戦』を観ていた影響から爆笑問題、くりぃむしちゅーについては世代的にファンで、番組のアンケート等で高校時代に憧れていた芸人として名前を挙げることがある。特に爆笑問題は春日とアメフトの部活終わりに漫才を観に行ったり、事務所があった阿佐ヶ谷に自転車で漕いでバッタリ会えないか散策したりしたほどファンである。人生で初めて生で漫才を観た際、太田光が噛み倒して本来のネタと違う笑いになっていたため「そういう漫才が観たいんじゃない」とひどくガッカリしたことがあると本人の前で笑い話として語っている[36]。
現在の愛車はボルボ・XC60。過去には三菱・パジェロ[注 4]、トヨタ・ランドクルーザー、トヨタ・C-HRに乗っていた。
前述のアメリカンフットボール部の経験もあるように、芸能界きってのNFLファンである。現在、オードリーで出演しているオードリーのNFL倶楽部では、「若林の熱視線」というプレー解説コーナーを持っており、また2010年(2009年シーズン)以降日本テレビ系列のスーパーボウル中継においてゲスト解説も務めている。応援チームは長らくヒューストン・テキサンズで、2018年シーズンにプライベートでNRGスタジアムへ観戦に訪れたほどだったが[37]、2020年シーズン途中からディアンドレ・ホプキンスの移籍もあり、アリゾナ・カージナルスへ変更した[38]。
かつては喫煙者であったが、吸う場所が限られたことや、「喫煙室で嫌な先輩と2人になるのが嫌だったから」という理由から、アレン・カーの『禁煙セラピー』を読んで禁煙に成功している[39][40]。
先輩に打ちっぱなしに誘われたことを機にゴルフに始めた。1回のスイングで色々な要素を気にすることが漫才に似ていると思い、試すことの楽しさに気付いたという。自身の著書『ナナメの夕暮れ』では「今後僕がゴルフを続けるかは分からないが、飲み会よりは全然マシでした」と書き記している。
『オードリーのオールナイトニッポン』がテアトルアカデミーが実施した20代から40代の男女500人を対象にした調査では好きなラジオ番組の1位に選ばれたり、2021年6月に発表された「リスナーが本気で選んだラジオ番組最強番付2021」芸人部門で1位を獲得したりするなど、ラジオパーソナリティとして目覚ましい活動を見せる傍ら、リスナーとしてもラジオを拝聴しており、『ファーストサマーウイカのオールナイトニッポン0(ZERO)』『山崎怜奈の誰かに話したかったこと。』『爆笑問題カーボーイ』『玉城ティナとある世界』『河北麻友子のマユコレ!』などを聴いている[41][42][注 5][注 6]。
2004年に失恋した直後、そのショックで過呼吸に陥る。呼吸も上手くできない状態で携帯電話を使って春日に助けを求めた。「それは多分過呼吸だ」と春日はすぐ判断し、続けて「ビニール袋に口を当てて息をしろ!」と対処法を教えた。即座に若林は近くのコンビニへ駆け込み、レジ近くにあった缶コーヒー1本を手に取ると店員から「袋はいりますか?」と聞かれ若林は「当たり前でしょ! そっちが大事なんだから!」と言ってから店を出て、春日に言われた通り実行すると症状は治まった。春日がこの対処法を知っていた理由は医療を題材にした漫画『スーパードクターK』を読んで覚えていたからであった[43]。
テレビに出られないことへの不満が溜まりすぎて、久我山の商店街で「車に轢かれて、死んでテレビに出てやる!」と叫んで道路に寝っ転がっていたこともあった。しかし待てども車は全く来ず、丁字路の奥の方と安全なポジションにいたので轢かれることはなかった[44]。『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』ではコンビ結成から9年間全くテレビに出られなかった当時の状況を回顧し「1回でもテレビに出られたら芸人を辞めようと思っていた」と述べていた[注 7]。
父親(2016年に肺癌で他界)は阪神タイガースファンで少年野球のコーチをしており、自身も少年野球をやっていた。小学校6年生の時、阪神が低迷し、巨人ファンが大多数の少年野球チーム内でバカにされることが嫌になったことから、近鉄バファローズを応援しようと決意し、1人で近鉄百貨店に行き、メガホンとキャップを購入。更には東京ドームでの日本ハムファイターズ対近鉄戦のチケットも購入した。父は「お前とんでもないことをしているんだぞ」と諭すも、若林の言葉に折れ親子で観戦に訪れる。しかし、その初観戦の試合で日本ハムの投手がノーヒットノーランを達成し、帰るまで悔しくて泣きじゃくり、家に帰ってから父に「こんな負けばかりの人生は嫌だ」と言うと、父から「勝つことの難しさを学ぼう」と諭され、近鉄のグッズを捨て阪神ファンに戻った[45]。
まだ売れていなかった時代、定職にも就かずに芸人を続けている息子に業を煮やした父が、芸人を辞めて定職に就くか家を出て芸人を続けるかを迫った。父は司法書士に念書の作成まで依頼するほど本気だった(若林は、これが実質「絶縁状」のようなものだったと回顧している)。結局、芸人を続けることを選んで家を出た。そして2008年末、この年準決勝まで進出した『M-1グランプリ』でのエントリーナンバーが「4431」だったことを知った父は「俺のためにその番号を選んだのか」と考えた。阪神タイガースファンである父は、4431という番号はランディ・バースの背番号44と掛布雅之の背番号31を合わせたものと思い込んで感動したという。これがきっかけで若林と父との間に雪解けが生じ、2009年の正月は久々に実家へ帰って父と長い話をしたと伝わっている[46]。
2009年7月16日放送の『関口宏の東京フレンドパークII』にコンビで出演。5つのアトラクションのうち4つをクリアし、金貨4枚を獲得。ダーツで豪華賞品を獲得できるビックチャレンジでは、2本目に放った矢が「パジェロ」に当たり、パジェロを獲得した。しかし、視聴者プレゼントで投げた矢は「たわし」に当ててしまった。
2018年1月、一部スポーツ紙で女優の南沢奈央との交際が報じられた。これに関して若林は後日、レギュラーラジオ番組である『オードリーのオールナイトニッポン』2018年1月7日放送分にて春日から問い詰められた末に「ゴリゴリ付き合っています」と答え、交際を認めた。なお、このニュースについて春日は塾に向かう途中でネットニュースを見るまで知らなかった[47]。
同年11月3日、南沢と9月に破局していたことが報じられ[48]、同日深夜(4日未明)の『オードリーのオールナイトニッポン』において自らこれを認めた[49]。
ストレス解消法は「ジェンガを部屋でやり始めて、いきなり蹴っ飛ばす」「音楽をかけてクイックルワイパーを2本持って全裸で踊りながら掃除する」「帰りの車の中で大声を出す」「家に着くなり靴下を脱いで壁に投げつける」「一日にあった嫌なことを紙に箇条書きで書いてシュレッダー機にかける」[注 8]。
一番つらかった仕事に『いきなり!黄金伝説。』の「○○のメニューを全て食べきる男」シリーズにコンビで挑戦したサイゼリヤ編を挙げた。スパゲッティメニューのミートソースやペペロンチーノを食べた後に、同じ味の卵のせが別メニューとして出てくるため、トイレに向かう途中の厨房で発見した卵を親指で割ったところ、スタッフに羽交い締めにされた。また、伝説挑戦は全メニューを食べきるまでサイゼリヤに寝泊まりして過ごすが、最終日にバスでサイゼリヤから逃走を図った。しかし、夜中の時間帯で最終便を過ぎていたため結局戻ってきた[注 9]。
前述の『たりないふたり』の配信ライブ後、救急車で病院搬送されたことを2021年6月5日放送の『オードリーのオールナイトニッポン』で明かした[53][注 10]。診断の結果は「過換気症候群」[53]。なお、6月2日放送の『ヒルナンデス!』には春日と共に何事もなく生出演したが、6月13日未明放送(6月1日収録)の『日向坂で会いましょう』は前述の理由により欠席し、日向坂46メンバーの加藤史帆が春日と共に代理のMCを担当した。同様の理由で、6月20日・27日・7月4日の3週分も欠席し、こちらは春日が単独でMCを担当した。
長女からパンチをされて右目を内出血したため、2022年7月26日放送の『午前0時の森』にはメガネを掛けて出演する。
「ナイスミドル」時代から『M-1グランプリ』に2001年の第1回大会に出場を続け、2006年までに出場した大会で全て3回戦敗退に終わっていたものの、2007年に準決勝進出。2008年には、その年に和歌山県で営業に行った際、オードリーのネタを観たサンドウィッチマンが「オードリーはM-1決勝行く」と太鼓判を押し1度準決勝で敗れたものの、敗者復活で勝ち上がり、初の決勝進出を果たす。決勝ファーストラウンドを1位で通過するも、最終決戦でNON STYLEに敗れて準優勝に終わった。
当時の参加資格はコンビ結成10年以内で、初決勝及び準優勝のときは9年目だった。1度準決勝で敗れた時と同じ審査員が決勝進出の1組を選ぶため、同じようなスタイルだと落とされることから「9年目の時に行くしかない」と覚悟を決めていた[注 11]。
2008年に準優勝の成績を収め、2000年結成のオードリーにとっては実質あと1回だけ出場が可能であったが、敢えてエントリーしなかった。その理由として「東京の芸人で舞台数が少なくて、漫才のテンポや間で勝負が出来ずに、形を決めたうえでやっていた。その形を2008年で見せて、翌年と審査員が変わらないため、一度形を見せてしまい、全く同じモノをやるよりはスカシとか変えなきゃいけないのに、それはスカシであるから進化でない。在りものを外すだけで(自分たちのネタを)退化させたくない」思いがあったと述懐している[注 12]。
自身を「想像を絶する頑固」と評しており、結果が出ないことへの焦りや自身の漫才スタイルに胸を張れなかったことで評価されることを恐れておりM-1のときですら「何点でもつけてみろって思って出てた」と回想している[54][注 13]。
ケイダッシュステージに所属した最初の月に前田健の楽屋に挨拶に行った際、他の先輩からは淡々と済まされるのに対して、前田だけ胸に手を当てて「前田健です。よろしくお願いします」と綺麗に頭を下げていた。若林は前田の姿勢に「後輩にこんな頭下げる人いるんだな」と思い、以降「挨拶は後輩が相手でも敬語でしよう」と思ったほど前田に強く影響を与えられた。その後「みんな死んじゃえって顔してるね」と言われ、そこで何か胸中を見抜かれたか気がして、この人(前田)には嘘は通用しないと思ったという[55]。これ以降、ショーパブでの仕事終わりは必ず食事に連れて行ってもらったり、所持金が足りなくてライブに参加できないときには、原付バイクを貰ったりしたほどの関係性であったが、若林自身テレビ出演やネタに関して褒められたことはなく、「良かったね」とは言われても「面白い」とは言われたことが無かったという。また、若林のクセで話の初めに「でも」を付けることを前田に何度も注意されていたこともあった。
前田が44歳で急逝した後のラジオ収録では、前日の出来事を振り返り、前田が倒れた日の夕方に搬送された病院の集中治療室に立ち会い、前田の兄の計らいで少しの間だけ面会できるように場を設け、そこが前田との最後のやり取りとなった。治療室での前田は「普通にすぐ起きそうな、なんか寝てるだけみたいな気がして、手も握ったんですけど、全然温かくて、顔色も悪くないしっていう感じで……」と述べていた。また、過去に『しくじり先生』の授業で、松村邦洋が心肺停止の状態から回復した出来事を聞いていたこともあって「(マエケンさんも)絶対意識戻るだろうな」と確信していた感じがあったという[注 14]。
2020年11月17日更新のInstagramで、プライベートでバスケットボールをしていた時に左膝の靭帯を損傷する全治2か月の大怪我を負い、松葉杖を突く姿の写真がアップロードされた[56]。翌日11月18日の『ヒルナンデス!』出演時は松葉杖をしていないが、スタッフの配慮で低いテーブルと椅子が用意された[57]。若林が担任役として出演する『しくじり先生 俺みたいになるな!!』のスタッフには「それこそしくじりです」と言われ、2021年6月7日と14日放送の同番組で自らしくじり先生として教壇に立ち、バスケットボールを始めたきっかけ、大怪我をしてしまった経緯、仕事への影響、澤部佑がこの大怪我に大きく関わっていることなどの詳細を授業形式で説明した[58][59]。また、怪我をした際に病院からは全治2か月と診断されていたが、『しくじり先生』の収録時には既に怪我から6ヶ月近く経過しており「おじさんだから全然治んない」と述べていた。
ユルアニ?×若林正恭
若林単独での主な出演歴。
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特番は不定期出演以外はMCもしくはメインキャスト出演のみ。
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