わかさちょう 若桜町 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 中国地方(山陰地方) | ||||
都道府県 | 鳥取県 | ||||
郡 | 八頭郡 | ||||
市町村コード | 31325-4 | ||||
法人番号 | 3000020313254 | ||||
面積 |
199.18km2 | ||||
総人口 |
2,493人 [編集] (推計人口、2024年10月1日) | ||||
人口密度 | 12.5人/km2 | ||||
隣接自治体 |
鳥取市、八頭郡智頭町、八頭町 兵庫県:養父市、宍粟市、美方郡香美町、新温泉町 岡山県英田郡西粟倉村 | ||||
町の木 | 桜 | ||||
町の花 | - | ||||
他のシンボル | - | ||||
若桜町役場 | |||||
町長 | 上川元張 | ||||
所在地 |
〒680-0792 鳥取県八頭郡若桜町大字若桜801-5 北緯35度20分25秒 東経134度24分03秒 / 北緯35.34014度 東経134.40094度座標: 北緯35度20分25秒 東経134度24分03秒 / 北緯35.34014度 東経134.40094度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
若桜町(わかさちょう)は、鳥取県の東南端に位置する町[1]。八頭郡に属す。氷ノ山一帯は国定公園(氷ノ山後山那岐山国定公園)に指定されている[1]。
鳥取県の南東端に位置し、兵庫県や岡山県と接している。町域には山地が多く、観光業が主産業である。兵庫県との県境にある氷ノ山は夏は登山客、冬はスキー客が集まる。町全体が豪雪地帯となっている。
若桜町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 若桜町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 若桜町
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
若桜町(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
「若桜」という名称はいくつかの諸説があるが、平安時代(承平)に作成された和名類聚抄に「若桜郷」として記載されたのが最初といわれている。「若桜」という名称の由来としては、日本書紀及び古事記の履中天皇の項に「伊波礼若桜宮」(いわれわかさくらのみや)に奉仕した「若桜部」(わかさくらべ)にちなむというのが最も有力な説といわれている。「若桜部」は平安時代の天皇直属の天皇を支える集団で、その「若桜部」がこの地に居住したことから、地名として定着したものと考えられている[2]。
歴代 | 氏名 | 在任期間 | 備考 |
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1 | 君野秀三 | 昭和29年3月23日~昭和41年3月22日 | |
2 | 木島節夫 | 昭和41年3月23日~昭和45年3月22日 | |
3 | 武田吉造 | 昭和45年3月23日~昭和61年3月22日 | |
4 | 竹本憲治 | 昭和61年3月23日~平成2年8月10日、平成2年8月26日~平成6年1月2日 | |
5 | 盛田可男 | 平成6年2月20日~平成10年2月19日 | |
6 | 宮本義雄 | 平成10年2月20日~平成18年2月19日 | |
7 | 小林昌司 | 平成18年2月20日~平成30年2月19日 | |
8 | 矢部康樹 | 平成30年2月20日~令和4年2月19日 | 元町職員 |
9 | 上川元張 | 令和4年2月20日~ 現職 | 元県職員 |
定数:10名[4]
任期:2026年(令和8年)3月8日
歴代 | 氏名 | 在任期間 | 備考 |
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1 | 武田市三郎 | 昭和29年3月31日~昭和31年11月26日 | |
2 | 熊田資治良 | 昭和31年11月26日~昭和33年3月5日 | |
3 | 木島節夫 | 昭和33年3月14日~昭和37年3月8日、昭和37年3月12日~昭和41年2月25日 | |
4 | 竹本憲治 | 昭和41年3月11日~昭和45年3月8日、昭和45年3月11日~昭和47年9月29日 | |
5 | 長尾義男 | 昭和47年9月29日~昭和49年3月8日 | |
6 | 竹本憲治 | 昭和49年3月12日~昭和53年2月19日 | |
7 | 上田郁夫 | 昭和53年3月11日~昭和55年3月14日 | |
8 | 岩本敏光 | 昭和55年3月14日~昭和57年3月8日 | |
9 | 盛田一男 | 昭和57年3月12日~昭和61年3月8日 | |
10 | 宮本義雄 | 昭和61年3月11日~平成2年3月8日、平成2年3月12日~平成4年7月2日 | |
11 | 武田修 | 平成4年7月2日~平成6年3月8日 | |
12 | 中尾久雄 | 平成6年3月11日~平成10年3月8日、平成10年3月11日~平成14年3月8日 | |
13 | 谷川輝久 | 平成14年3月11日~平成18年3月8日、平成18年3月11日~平成22年3月8日 | |
14 | 岡本和廣 | 平成22年3月10日~平成26年3月8日 | |
15 | 川上守 | 平成26年3月10日~平成30年3月8日、平成30年3月9日~令和2年3月9日、令和2年3月9日~令和4年3月8日 | |
16 | 山根政彦 | 令和4年3月9日~ |
歴代 | 氏名 | 在任期間 | 備考 |
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1 | 田中藤録 | 昭和29年3月31日~昭和31年12月5日 | |
2 | 門河近蔵 | 昭和31年12月19日~昭和33年3月5日 | |
3 | 吉田秋市 | 昭和33年3月14日~昭和37年3月8日 | |
4 | 藤原惣次 | 昭和37年3月12日~昭和41年3月8日 | |
5 | 山本茂美 | 昭和41年3月11日~昭和45年3月8日 | |
6 | 田中亀代治 | 昭和45年3月11日~昭和47年9月29日 | |
7 | 永原泰蔵 | 昭和47年9月29日~昭和49年3月8日、昭和49年3月12日~昭和53年3月8日 | |
8 | 西本稔 | 昭和53年3月11日~昭和55年3月14日 | |
9 | 𣇃井明 | 昭和55年3月14日~昭和57年3月8日 | |
10 | 中尾潤一郎 | 昭和57年3月12日~昭和61年3月8日 | |
11 | 上川豊己 | 昭和61年3月11日~平成2年3月8日 | |
12 | 中尾久雄 | 平成2年3月12日~平成4年7月2日 | |
13 | 谷川輝久 | 平成4年7月2日~平成6年3月8日 | |
14 | 山本重幸 | 平成6年3月11日~平成10年1月15日 | |
15 | 津崎信良 | 平成10年3月11日~平成14年3月8日 | |
16 | 川戸稔 | 平成14年3月11日~平成14年6月27日 | |
17 | 湯川宏通 | 平成14年7月22日~平成18年3月8日 | |
18 | 坂本等 | 平成18年3月11日~平成22年3月8日 | |
19 | 藤原源市 | 平成22年3月10日~平成26年3月8日 | |
20 | 小林誠 | 平成26年3月10日~平成30年3月8日 | |
21 | 前住孝行 | 平成30年3月9日~令和2年3月9日 | |
22 | 山本晴隆 | 令和2年3月9日~令和4年3月8日 | |
23 | 小林誠 | 令和4年3月9日~ |
古くから林業が盛んで、昭和初期に敷設された鉄道も旅客のほかスギ丸太の輸送も主眼に置かれていた。戦後、外材の輸入に押されて林業が斜陽化すると、1960年代には1万人近くいた人口は1970年代に7000人へ激減。町は氷ノ山への観光にも乗り出すなど産業の多角化に着手した[7]。
市外局番は、0858(70 - 89)となっている。ただし、天気予報は0857-177である。(市外局番0858の地域が鳥取県東部と中西部に複数存在するため。)
郵便番号は以下の通りとなっている。