茂木清夫 | |
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生誕 |
1929年12月28日 山形県谷地町南町(現河北町谷地) |
死没 |
2021年6月6日(91歳没) 千葉県習志野市 |
国籍 | 日本 |
研究分野 | 地震学 地震テクトニクス |
研究機関 |
東京大学地震研究所(所長) 日本大学(教授) |
出身校 | 東京大学理学部 |
主な業績 |
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プロジェクト:人物伝 |
茂木 清夫(もぎ きよお、1929年(昭和4年)12月28日[1][2] - 2021年(令和3年)6月6日)は、日本の地震学者・火山学者。専門分野は、固体地球物理・地震学・岩石力学。地震の発生機構および地震予知に関心を持ち[3][4]、地震学および地震予知の権威である。地震学・火山学の研究における数々の業績を残した[1]。東京大学名誉教授。元日本大学教授、元地震予知連絡会会長[3]。山形県出身[3][4]。
1929年(昭和4年)、山形県谷地町南町(現河北町谷地)に生まれる[1]。旧制寒河江中学・山形高等学校を経て、1953年(昭和28年)に東京大学理学部(地球物理学科)を卒業。同年に三菱鉱業に入社し、1954年(昭和29年)に東京大学助手となる[3]。東京大学地震研究所で地震や火山の研究を行い、1962年理学博士を取得[5]。1969年(昭和44年)に東京大学教授となる[6]。1980年(昭和55年)に伊豆沖で地震の震源の高周波音を捉えたため、世間から大きく注目を浴びる[3]。その後東京大学地震研究所の教授および所長を歴任[3]。1990年(平成2年)に退官し、日本大学生産工学部の教授となる。1991年(平成3年)に地震予知連絡会会長に就任し、2001年(平成13年)まで務めた[7]。2000年(平成12年)には河北町名誉町民の称号が贈られている[1]。
2021年(令和3年)6月6日、誤嚥性肺炎により千葉県習志野市内の病院において死去した。91歳没[7][8]。
1969年、茂木は地震予測の仮説を提唱し、この仮説は「茂木ドーナツ仮説」として知られる。彼は、周辺で地震が頻繁に起きているにもかかわらず、その場所だけ地震が長期間発生していない「地震空白域」では大きな地震が発生しやすいとした。
火山活動に伴う地殻変動のデータから地下の力学状況(圧力源の位置・深度や膨張量)を推定する手法の一つで、地殻を弾性体、マグマだまりなどの圧力源を球状、圧力方向性を等方的、と仮定するモデルのことである[9]。1957年の論文「桜島の噴火と周辺の地殼変動との関係」にて提唱し[10]、別の手法であるダイクモデルとともに火山の活動評価・説明に広く使われている[9][11]。
1969年(昭和44年)に茂木は、近い将来、駿河湾・遠州灘付近でマグニチュード8クラスの東海地震が発生する可能性を示唆した。しかし皮肉にも、その翌年、中部電力は静岡県に浜岡原発の設置を申請してしまう[12]。さらには、1970年5月の設置申請後わずか7ヶ月後に国からの設置許可が下りてしまい、2号機も1972年9月に申請、8ヶ月後には許可されるという速さで、地震対策を十分考慮されたと思えないほどのペースで原発の建設が進められてしまう[13]。茂木は「浜岡原発は即刻停止せよ」と主張し、浜岡原発を「立地そのものがおかしい」「愚挙」「世界一危険」などと呼んだ[12][14]。「地震大国で地盤が不安定であるにもかかわらず、ここまで原発が密集している国は、世界中で日本だけだ。」とのこと。実際、浜岡原発は耐震性・安全性など、設計は十分ではないとの指摘もあり、問題視されている[12]。なお、石橋克彦が東海地震説を発表した1976年に、早くも浜岡原発の1号機は運転を始めており、地元住民が運転停止を求め提訴したこともある(浜岡原発訴訟)。