草壁皇子 | |
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皇太子 | |
在位 | 天武天皇10年2月25日(681年3月19日)- 持統天皇3年4月13日(689年5月7日) |
時代 | 飛鳥時代 |
生誕 | 天智天皇元年(662年) |
薨御 | 持統天皇3年4月13日(689年5月7日) |
別名 | 日並皇子 |
尊号 | 岡宮御宇天皇、岡宮天皇、長岡天皇 |
墓所 | 眞弓丘陵 |
父母 | 父:天武天皇、母:持統天皇 |
兄弟 | 高市皇子、草壁皇子、大津皇子、忍壁皇子、穂積皇子、長皇子、弓削皇子、磯城皇子、舎人親王、新田部親王、他 |
妻 | 阿閇皇女(元明天皇) |
子 | 元正天皇、文武天皇、吉備内親王 |
草壁皇子(くさかべのみこ、くさかべのおうじ)は、天武天皇と皇后の鸕野讚良皇女(後の持統天皇)の皇子。妃は天智天皇の皇女で持統天皇の異母妹である阿閇皇女(後の元明天皇)。元正天皇・吉備内親王・文武天皇の父。諡号は岡宮御宇天皇(おかのみやにあめのしたしろしめししすめらみこと、おかのみやぎょうてんのう)。岡宮天皇、長岡天皇とも称される。『万葉集』では日並皇子(ひなみしのみこ)とも。
天智天皇元年(662年)、大海人皇子の第二皇子として誕生。天智天皇10年(671年)、天智天皇が崩御すると、後継を辞退した大海人皇子に従い吉野へ下る。その後、壬申の乱で勝利した大海人皇子は天武天皇2年(673年)、飛鳥浄御原宮で即位(天武天皇)。生母の鸕野讚良皇女が皇后に立てられる。
皇后の実子であることから後継者と目され、天武天皇8年(679年)、同世代の男性皇族が呼び集められた吉野の盟約にて、事実上の後継者となる。天武天皇10年(681年)2月、立太子。
朱鳥元年(686年)7月、重態に陥った天武天皇から母と共に大権を委任される。9月、天武天皇が崩御。事実上皇位を継承した草壁皇子だが、直ちに即位はしなかった。これは、皇子が若かったのと、天皇崩御の直後の10月、草壁皇子に次ぐ皇位継承権者とみなされていた大津皇子が謀反の罪で処刑されており、これに対する宮廷内の反感が皇子の即位の障害となったものと思われる。
しかし、草壁皇子は皇位に就くことなく、持統天皇3年(689年)4月13日に27歳で早世。時代が下って天平宝字2年(758年)、時の淳仁天皇から岡宮御宇天皇の称号が贈られた。
皇統を継ぐべき子の珂瑠皇子(文武天皇)は幼少であったことから、祖母である皇后が持統天皇として即位することになる。その後も、草壁皇子に始まる皇統を継ぐべき男性皇族(文武天皇、基王、安積親王)の早世、女性皇族の即位など、皇統をめぐる政治的混乱が以降一世紀にわたり続くことになる。
少数説であるが、草壁皇子の立太子そのものを軽皇子(文武天皇、草壁皇子の皇子)の即位を正当化するために後世作為されたもので、鸕野讚良皇后が草壁皇子に天武天皇の殯宮の喪主を務めさせることで、初めてその後継者であることを内外に明らかにしたとする説もある[2](なお、天武天皇の殯の終了は持統天皇2年(688年)11月のことである)。
また、文武天皇の即位後に持統上皇と共に後見となった文武の生母である阿閇皇女(草壁皇子妃、後の元明天皇)に待遇と称号を与えるために、夫の草壁皇子を皇太子として作為したとする説もある[3](その結果、阿閇皇女には「皇太妃」という称号が与えられた)。
天武天皇の第2皇子。実母は天智天皇の皇女、鸕野讚良皇后(持統天皇)。
34 舒明天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
古人大兄皇子 | 38 天智天皇 (中大兄皇子) | 間人皇女(孝徳天皇后) | 40 天武天皇 (大海人皇子) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
倭姫王 (天智天皇后) | 41 持統天皇 (天武天皇后) | 43 元明天皇 (草壁皇子妃) | 39 弘文天皇 (大友皇子) | 志貴皇子 | 高市皇子 | 草壁皇子 | 大津皇子 | 忍壁皇子 | 長皇子 | 舎人親王 | 新田部親王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
葛野王 | 49 光仁天皇 | 長屋王 | 44 元正天皇 | 42 文武天皇 | 吉備内親王 (長屋王妃) | 文室浄三 (智努王) | 三原王 | 47 淳仁天皇 | 貞代王 | 塩焼王 | 道祖王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
池辺王 | 50 桓武天皇 | 早良親王 (崇道天皇) | 桑田王 | 45 聖武天皇 | 三諸大原 | 小倉王 | 清原有雄 〔清原氏〕 | 氷上川継 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
淡海三船 〔淡海氏〕 | 礒部王 | 46 孝謙天皇 48 称徳天皇 | 井上内親王 (光仁天皇后) | 文室綿麻呂 〔文室氏〕 | 清原夏野 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
石見王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
高階峯緒 〔高階氏〕 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
蘇我堅塩媛 | 29欽明天皇 | 石姫皇女 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
33推古天皇 | 30敏達天皇 | 広姫 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大俣女王 | 押坂彦人 大兄皇子 | 糠手姫皇女 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
吉備姫王 | 茅渟王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
35皇極天皇 37斉明天皇 | 34舒明天皇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
蘇我遠智娘 | 38天智天皇 | 蘇我姪娘 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
40天武天皇 | 41持統天皇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
49代以降 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
草壁皇子 | 43元明天皇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
44元正天皇 | 藤原宮子 | 42文武天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
光明皇后 | 45聖武天皇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
46孝謙天皇 48称徳天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
また皇居では、皇霊殿(宮中三殿の1つ)において他の歴代天皇・皇族とともに霊が祀られている。