菅原 拓也 | |
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2023.07.17 撮影 | |
プロフィール | |
リングネーム |
菅原 拓也 ヘンリー・III世・菅原 |
本名 | 菅原 拓也 |
ニックネーム |
悪の貴公子 貴公子 |
身長 | 180cm |
体重 | 90kg |
誕生日 | 1983年11月3日(41歳) |
出身地 | 秋田県北秋田郡比内町(現:大館市比内町) |
所属 | プロレスリングZERO1 |
トレーナー |
ウルティモ・ドラゴン ホルヘ・リベラ |
デビュー | 2001年12月2日 |
菅原 拓也(すがわら たくや、1983年11月3日 - )は、日本の男性プロレスラー。
高校を中退して闘龍門の8期生として入門。T2Pメンバーの中になんとか滑り込む。2001年12月2日にデビューを果たした。一時、ヘンリー・III世・菅原を名乗り、アンソニー・W・森らと王子様キャラのロイヤル・ブラザーズとして活動し、2003年1月に東京ドームで開催されたファンタジーファイトWRESTLE-1に出場して大舞台を経験する。菅原もその後、ヒール志望が強かったこともあり、2004年に近藤修司、"brother"YASSHIら率いるルードユニット「悪冠一色」に加入。シングルのリーグ戦ではCIMAに勝利している。同年12月、リング外の素行不良・職務怠慢を理由に団体から解雇された。
近藤・ブラザーが移籍した全日本プロレスなど、国内で活動し始めた他の旧メンバーと違い、菅原のみ国外に活路を求め猪木LA道場で修行していた。2005年にDragondoor第1回大会で凱旋を果たし、2006年2月26日にはZERO1-MAXで4団体認定インターナショナル・ジュニアヘビー級王座を奪取。
その後、一時期怪我のため戦線を離脱したが復帰後は悪冠一色を離れてバラモン・シュウらと組み、「HELL DEMONS」を結成。2007年8月9日にはUWA世界6人タッグ王座を獲得した。
プロレスリングElDorado外ではベビーフェイスとして活動しているため、2007年12月、バラモン・ケイのお告ゲルによりチームから追放される。後にトリオベルトも返上された。
2008年、大鷲透、荒谷望誉と組みバラモン・豪組と決定戦を行い再びUWA世界6人タッグ王座を獲得。
2008年12月、ElDoradoが活動休止。
2009年11月6日、古巣・DRAGON GATEの後楽園ホール大会で望月成晃に呼び込まれる形で旧世代軍の一員として登場する。
2009年12月27日、福岡国際センター大会でベテラン軍を裏切りREAL HAZARDに加入。その後はディープ・ドランカーズ、土井軍(仮)、Blood WARRIORSとヒールユニットに所属し続けたが、怪我で長期欠場中に契約が切れ、以後はDRAGON GATEには参戦していない。
2012年に藤田峰雄、曙とZERO64を結成するも2014年に自然解散。藤田峰雄を裏切りデーモン植田と結託し副社長に就任したばかりのKAMIKAZEとも共闘、さらにはVOODOO-MURDERSとの合体も果たした。
2015年、体重を量ることを拒否し続けた結果強制的にヘビー級に転向させられる。
2016年、体重の基準をクリアしたため天下一Jr.に出場し優勝。次年度は全国を回るリーグ戦として開催することを願い事として明かした。また鈴木鼓太郎とのタッグで活動した。
2021年、第21回真夏の祭典火祭り2021に出場。Bブロック1位で通過し、8月1日の決勝戦では大谷晋二郎に勝利。5回目の出場で火祭り初優勝を飾った。
2024年、第24回火祭り2024と同時開催のジュニアタッグトーナメントにて、菅原との紫タッグを希望するジュニアヘビー級の馬場拓海からの強い要望で[1]、105kgの体重[1]を試合日までに99kgに落として参戦[2]、6月8日のミナテラスとちぎ大会にて秦野友貴&ハジメ組に勝利し初戦突破した[3]。前哨戦となる6月2日の新木場大会にて馬場から蹴りを2回誤爆され[4]、ミナテラスとちぎ大会でも蹴りを1回誤爆された[3]。