菊タロー | |
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プロフィール | |
リングネーム |
菊タロー えべっさん(初代) KIKUZAWA |
本名 | 非公開 |
ニックネーム |
アキバ系レスラー 中小企業の守り神 |
身長 | 168cm |
体重 | 105kgから111.1kg |
誕生日 | 1976年11月17日(47歳) |
出身地 | 大阪府大阪市生野区 |
所属 |
飯伏プロレス研究所 RME(声優として所属) |
スポーツ歴 | スクーバダイビング |
デビュー | 1994年7月24日 |
菊タロー(きくタロー、1976年11月17日 - )は、日本の覆面レスラー。
正体は1994年にFULLでデビューした菊澤 光信(きくざわ みつのぶ)とする説がある[要出典]。
栗栖正伸トレーニングジムでトレーニングを積む。1992年5月7日、W★INGプロモーション後楽園ホール大会の試合開始前に行われた新人入門テストに合格してW★INGに入門[1]。7月、デビュー前にW★INGを退団。同年、ユニバーサル・プロレスリングに入門。
1994年、ユニバーサルが団体名を改称したFULLでデビュー。デビューしてしばらくの間、FULL所属選手としてインディー団体に参戦していた。
FULLが活動停止後、フリーとして様々な団体に参戦して大仁田厚とタッグを組んでデスマッチを行っていたこともあった。一時期、DDTプロレスリングに所属していたこともある。また、東京愚連隊を結成してアメリカとメキシコの団体に参戦していた。この頃、素顔だけでなく様々な覆面レスラーに変装してインディー団体に参戦していた。
1999年、大阪プロレス専属フリー契約選手として、みちのくプロレスに参戦。7月24日、大阪プロレスamHALL大会でザ・モンキーマジックを相手に「えべっさん」としてのデビューを果たした。
2004年、大阪プロレスと所属契約を交わした。くいしんぼう仮面との「大阪名物世界一選手権試合」を中心とした爆笑を呼ぶ抗争、入場時のお賽銭パフォーマンス、武藤敬司のコピーである「えべ藤さん」、アブドーラ・ザ・ブッチャーのコピーの「えべドーラ・ブーチャン」など、有名レスラーの完璧なコピーで人気を博した。大阪プロレスの他、新日本プロレスや全日本プロレスにも参戦した。
2005年4月24日の大阪プロレスデルフィンアリーナ大会での試合を最後に大阪プロレスとの契約が切れて退団、フリーとして活動することとなった。「えべっさん」のキャラクターが大阪プロレスの登録商標となっていることと、4月29日から2代目えべっさんが大阪プロレスに登場したためフリー転向。5月7日、ディファ有明での「ディファカップ」以降は、えべ太郎のリングネームを使用し、マスク・コスチュームも若干変更したものの、えべ太郎のリングネームも大阪プロレス側からクレームが入ったため、5月14日にアメリカのペンシルベニア州フィラデルフィアのECWアリーナで開催されたベストオブベスト5を最後に使用を止め、暫定的なリングネーム太郎として活動していた。
2005年5月20日、の全日本プロレスの大会からは菊タローのリングネームを名乗るようになった。以降は日本、海外を問わず、様々な団体で明るく楽しいプロレスを披露し、活躍している。
2007年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に参戦。
フリーに転向直後は、大阪プロレスに参戦することはなかったが、2008年以降には新旧のえべっさん同士のタッグを組むなどの参戦機会が増えている。2009年(平成22年)には「盟友であるくいしんぼう仮面のたっての願いで」という理由で久々にえべっさんとしての試合を行った。その後も、事実上解散状態にある大阪プロレスに初代えべっさんとして参戦している。
2009年、大阪プロレスの大阪プロレスお笑い王座、DRAGON GATEのオープン・ザ・お笑いゲートタッグ王座(パートナーはドン・フジイ)、さらにDRAGON GATEのオープン・ザ・お笑いゲート王座を奪取して前代未聞のお笑い三冠を達成。名実ともに「日本一面白いレスラー」の称号を手にした。
2014年、プロレスリング・ノアの第8回日テレG+杯争奪ジュニアヘビー級タッグ・リーグ戦に出場。NO MERCYに所属していると発言しているからかNO MERCYの新リーダー平柳玄藩とタッグを組み出場した。
2014年10月23日、新木場1stRINGにて、東京愚連隊の興行として「菊祭り~菊タローデビュー20周年記念興行~」を開催した。
2015年4月11日、みちのくプロレスで活躍中のムーの太陽に入信。
2016年10月13日、11月28日開催の東京愚連隊興行を最後に、無期限の海外遠征を行うと発表した。ラスベガスに移住し、ディーロ・ブラウンがエージェントを務めるパラゴンプロレスを拠点とする予定。声がかかればアメリカ各地で試合を行う放浪サーキットも視野に入れているという[2]。
2020年1月、就労ビザの更新を行うために一時帰国。2月にアメリカに戻るものの、2019新型コロナウイルスの感染拡大のために、全米各地のプロレスの試合がすべてキャンセル。アメリカでの活動が苦境に立たされることとなった[3]が、同タイミングでYoutubeの自身のチャンネルが収益化され、ほぼ毎日オンライン飲み会と題して生放送を行っている。
2021年3月3日、スターダムの日本武道館興行「レック Presents スターダム10周年記念~ひな祭り ALLSTAR DREAM CINDERELLA~」の第1試合の時間差バトルロイヤルに出場[4]。
コミカルなムーブ、および軽妙なトークやパフォーマンスを惜しみなく披露し、特に前座から中盤にかけての名脇役として活躍している。その存在感が主役を食ってしまうことも度々あり、正統派レスラーからは強さと違った次元で難敵と見られることがある。お笑い中心ということを抜きにしてもヘビー、ジュニアヘビーを問わず対応できる試合スタイルであるが、全日本の世界ジュニアヘビー級王座のタイトルは105kgという体重制限に引っかかるため、挑戦資格は無い[5]。ただし2011年のジュニア・タッグリーグ戦には、その時の体重が105kg以下だったためエントリーした。
コミックレスラーの面が強いが実はかなり器用で、シャイニングウイザード(菊ザード)、菊落とし、トップコーナーからのミサイルキックやムーンサルトプレス等も使いこなせる。獣神サンダー・ライガーとも名勝負を繰り広げた。
お笑いプロレスというファイトスタイル上、やられっぷりが良く、全日本にチーム3Dが参戦した際は、スポークスマンという体で毎試合のようにテーブルに叩きつけられる役を務めていた。これは受けの強さの証明でもあり、インディー時代にデスマッチも行っていた豊富な経験の賜物といえる。ただし、最近は腰の不調を自らのブログ・ツイッター等で訴えていることが多い。アメリカ遠征の際の合間にWWEを観戦した時は、デスマッチで被った額の傷を見せたらプロレスラーだということを認識してもらえ、バックステージを通してくれたというエピソードがある。
全日本参戦時には渕正信をライバルとして挙げていた。シングルでは勝利を挙げていないものの、コミカルな試合展開はかつての全日本の前半戦の定番「ファミリー軍団対悪役商会」を思わせるものだった。かつて苦楽を共にした仲間でもある荒谷望誉とは「バカ兄弟」を結成し、時には戦い、時にはタッグを組み、独自のゆるい試合を展開して会場を暖めるのに一役買っていた。2009年の荒谷の引退試合でもタッグを組み、渕・TAKAみちのく組と戦った。
分身キャラやコピーキャラの開発も続けており、ZERO1-MAXではP-Force Menの新メンバー「KTP-101.5kg」として、あるいは「菊藤(きくとう)さん」としての活動も見られるようになった。全日本のファン感謝デーで行われたプロレスラーと物まね芸人のタッグ試合「F-1タッグ選手権」では、コミッショナー「菊サン・ハンセン」(スタン・ハンセンのコピー)として登場した。近年ではジャンボ鶴田のコピーレスラー「ジャンボ菊」としてマッスルハウス6や「風になれ」など、DDTプロレスリングが関わった興行に素顔で登場した。覆面レスラーにとって素顔を晒すのは御法度であるのだが、菊タローの場合はネタのためにあっさりとマスクをめくって、素顔を見せるシーンが幾度となく見かけられている。
2006年10月21日に武藤敬司、中嶋勝彦と組み、メインでVOODOO-MURDERSと試合した際、VMにマスクを剥がされ、大流血に追い込まれる。普段のお笑いを織り交ぜた試合ではなく、シリアスな試合となった。試合には負けたものの、試合後リング上で武藤と抱き合う。リベンジマッチとなった武藤・土方隆司・菊vsVMでは本来のマスクの下に怒りのマスクを被り、最後はそれぞれ三人のシャイニング・ウィザードで勝利した。
2007年までは全日本を主戦場としていたが、2008年は全日本に5回しか呼ばれなかった、と翌年の全日本の新春興行でこぼし、ネタにしていた。しかし、インディー時代から現在まで培われた多彩なレスラーの交流[6]があり、声をかけられたり売り込んだりなどで常にどこかの団体に顔を出している存在である。
2008年にはプロレスとアキバ系文化の融合を図った「アキバプロレス」を自らプロデュースして8月に東京秋葉原UDXにて旗揚げ戦を行った。同年12月にディファ有明で開催した第2回興行では「メタルギアソリッド4」「ストリートファイターIV」などのゲームとのコラボを実現させた。アキバプロレスはコミックマーケット開催や大型連休の時期に合わせて開催する構想であったが、2009年12月開催の第4回興行以来、アキバプロレスとしての興行は打たれていない。菊タローが他団体に参戦する際は、アキバプロレス所属を名乗っている。
現地での試合や動画サイトなどを通じて海外のファンも獲得しており、DDTにプロレス留学生として参戦していたワンチューロもそのひとりである。ワンチューロが2014年3月にバトルロイヤルで勝利して「好きな選手と対戦権」を獲得した際は菊タローを指名、同年3月29日に対戦した(菊タロー勝利)。試合では松井レフェリーも含め、3人で数々の、お約束ムーブを披露。
非常に多趣味な人物である。リング上同様にプライベートでも人脈が広い。
コミカルな技と共に体格に似合わぬ飛び技も披露する。