薩摩街道(さつまかいどう)は、江戸時代の薩摩藩の主要街道の一つ[1]。脇往還の一つである。地域により鹿児島街道(かごしまかいどう)とも呼ぶが区別されることもある(後述)。
薩摩街道には複数の経路があり、主要なものに出水筋、大口筋、高岡筋、志布志筋、加久藤筋、綾筋、寺柱筋などがある[2][3]。このうち西方と東方への経路は小倉筋(西目筋)と東目筋として分かれていたが、寛永年間に小倉筋(西目筋)は出水筋及び大口筋、東目筋は高岡筋(日向筋)に名が改められた[1](「小倉筋」から「出水筋」への改名を安永2年(1773年)とする資料もある[4])。
西目筋は、筑前国山家宿(現福岡県筑紫野市)で長崎街道から分岐して、薩摩国鹿児島(現鹿児島県鹿児島市)に至る経路である[5]。国道3号にほぼ沿っている[4]。その後、鹿児島から熊本境の「境橋」までに区切り、先述のとおり出水筋と改称された[4]。なお、熊本市内などでは「旧鹿児島街道」と呼ばれている場合がある[6]。
東目筋は佐土原から、本庄、高岡を経て、加治木から鹿児島城下に至る経路である[2][7]。この佐土原から都城を経て鹿児島に至る街道を「薩摩街道」と呼ぶのに対し、宮崎から都城を経る街道を「鹿児島街道」として区別する場合もある[8]。先述のとおり高岡筋(日向筋)に名が改められた[1]。
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鹿児島から北進し吉田(現鹿児島市)を通過[1]。白銀坂で薩摩・大隅国境を越え[1]、加治木(現姶良市)で高岡筋と分岐する[2]。その後は溝辺(現霧島市)、栗野(現湧水町)経て大口(現伊佐市)に至る[1]。加治木の龍門司坂(りゅうもんじざか、約0.5km)と白銀坂(約2.8km)は2006年(平成18年)に国の史跡となっている[1]。
鹿児島から北進し加治木で大口筋と分岐[2]。加治木 - 高岡(現宮崎市)間は現代の国道10号に相当する。高岡からは北進。本庄(現国富町)を経由し佐土原(佐土原城、現宮崎市)に至る[9]。高岡郷(外城)に去川関所(宮崎市立去川小学校跡)が設置されていた。