袢纏(はんてん)とは、羽織に似ているが、わきに襠 (まち) がない、丈の短い上着。胸ひもをつけず、襟を折り返さないで着るもの[1]。袢天、半纏、絆纏とも書く。
江戸時代、特に18世紀頃から庶民の間で着用されるようになった。主に職人や店員など都市部の肉体労働者の作業着として戦後まで広く使用され、労働者階級を示す「半纏着(の者)」という語もあった。種類については袖の形による広袖袢纏、角袖袢纏、筒袖袢纏、デザインの面では定紋や屋号などを染めつけた印袢纏などがある。印半纏は雇い人に支給されたり、出入りの職人などに祝儀に与えられることも多く、職人階級では正装として通用し、俗に窮屈羽織とも呼ばれた。
さらに防寒着の「綿入れ袢纏」があるが、同じ袢纏と言っても印袢纏とはまったく違う用途と発祥文化がある。よく知られている綿入れ袢纏は、袷(あわせ、表地と裏地の二重)にしてその間に綿を入れたもので、衿は黒繻子をかけたものが一般的である。主に室内用の防寒着として用いられ、男性・女性に限らず着用される。
法被と袢纏の違いは服装の歴史から見てもあまりはっきりしない。江戸時代、法被は民間のものとして発達してきたものではなく、武家社会で生まれ伝えられてきたもので、それが明治時代になっても官員などの生活の中に受け継がれてきた[2]。
袢纏は逆に庶民・町民・職人を中心に日常生活で着用された。江戸時代に一般庶民は羽織禁止令が出たため、襟を返す羽織(当時の法被も襟を返して着用)の代わりに法被が形を変え、その末端で袢纏との混同が始まったようである。
羽織と法被では襟と袖が異なる。襟を折り返すのが羽織で返さないのが法被、羽織の袖は袂(たもと)袖となり、法被は筒袖と違いがはっきりしている。