犯罪学 と刑罰学 |
---|
被害者なき犯罪(ひがいしゃなきはんざい、英語: victimless crime)とは、1965年にアメリカのエドウィン・シャーおよびヒューゴ・ベドーにより提案された「被害者のいない(ように見える)犯罪」を指す刑事法学上の概念。
売春[1]、賭博[1]、違法薬物[1]、堕胎、ポルノ(猥褻図画頒布、公然猥褻)[1]、自殺、不法移民、武器所持などが典型例として挙げられる。ただし堕胎は胎児を被害者と考える立場も有り得る(胎児の人権やプロライフも参照)。
また動物の権利の観点から動物虐待は動物を被害者と考えることもでき、不法移民も侵入される側の国に数々のデメリットをもたらすことから国民を被害者として考えることができる。ただし、例えば日本国の法体系においては、胎児も動物も人権享有主体とは認められておらず、したがって法的には被害者とは見做されない[2]。
シャーなどによれば「被害者がいないにもかかわらず、社会道徳的に見て悪習であるから、あるいは社会的法益を侵害するからなどという理由により、これを処罰の対象としている国家がある」との提起がなされた。
個人の自由を広く認める立場や、この類の活動の違法化は犯罪組織による資金源の温床となり、二次犯罪が多発して社会的被害が大きいとする立場がある。
また、犯罪者として処罰することにより、刑務所で他のさらに凶悪な常習的犯罪者と接触を持つこととなったり、社会的に犯罪者と認知され社会復帰が困難になり、常習的犯罪者となってしまう可能性(ラベリング理論)を回避するべきという立場などから、これを非犯罪化ないし非刑罰化すべきである旨の主張がなされている。
被害の有無にかかわらず、「被害者とされる側の人間が起こす」という側面もある犯罪であるため、刑事的介入が難しい性格がある。
また、違法化しても根絶は難しい上に、違法化したことで別の問題を引き起こすことが想定されているため、より悲惨な結果を招くとの批判もある。そのため、国によっては違法化されていたものが以下のように合法化された例もある。
堕胎罪が母体保護法によって死文化していることなど、国民の自由と刑事規制の間で揺れ動いている。
原則合法化の下で、医者から処方することにして管理する方が、関連犯罪の減少、さらに税収のメリットなどがあり、合理的だと主張する意見もある。
一方で、薬物は薬物乱用使用者自身が被害者ともいえ、そのようなことをすれば社会秩序の崩壊を招くとの反論も存在する。
ヨーロッパのいくつかの国では、薬物中毒者に医師の監視の下、薬物を提供するクリニックが実験的に運営されている。